急襲(2)
「でもな、うちは思うんやけど、殺人遺伝子保有者が可哀想、可哀想、っていくら言っても、殺人遺伝子撲滅法を打倒することはできひんのや」
「え?どういうこと?」
「民主主義国家は、多数決の考えによって成り立っとる。多い方が勝って、少ない方が負ける。これが摂理や。殺人遺伝子保有者は、国民のおよそ0.04パーセントに過ぎひん。絶対的な少数者や。0.04パーセントの国民を守るために殺人遺伝子撲滅法を廃止しようなんちゅう主張は絶対に通らへん。残りの99.96パーセントの国民にとっては、殺人遺伝子撲滅法は自分たちを守ってくれる法律やからな」
「なるほどね……」
「だから、殺人遺伝子撲滅法を廃止するためには、殺人遺伝子撲滅法が残りの99.96パーセントの国民にとっても不利益なものだ、ということを示す必要があると思うんや」
「どうやって?」
「それが分かれば、苦労せえへんな」
いちかは大きな前歯を見せて笑った。
笑うしかない状況だということは楡も十分理解できている。
「ただなぁ、ヒントは個人情報にあると思うんや」
「個人情報?」
「せや。遺伝子検査をして得られた個人の遺伝子情報がどうなっとるかは知っとるやろ?」
「殺対で管理されてる」
「せやな。独立行政法人である殺対が管理しとる。個人の殺人遺伝子の有無についての情報だけちゃう。殺人遺伝子と関係しない遺伝情報も含めて殺対が全てを管理しとる。理由は?」
「別人の粘膜を借りて遺伝子検査の結果を誤魔化すことを防ぐため。たとえば、僕がこの喫茶店のマスターの粘膜を手に入れて、『これが僕の粘膜です』と申告して遺伝子検査を受けたとしても、殺対が管理している僕の親や兄弟の遺伝情報と照合すれば、それは簡単にバレる。なぜなら、マスターの遺伝情報は、僕の親や兄弟の遺伝情報と符合しないから」
「さすがにれっちやな。イメージとしては、殺対は遺伝子版戸籍を作っとる感じやな。にれっちが言ったみたいなチョンボが起きない限り、殺対の作っとる遺伝子版の戸籍は実際の戸籍と矛盾しないはずや。パズルのようにピッタリ一致するはずや。せやから、チョンボ対策として、殺対は検査によって得た遺伝子情報を全て管理し、遺伝子版戸籍を作っとる」
他人の粘膜を借りる。
柊を助けたいと思った楡が、最初に思いついたのもこの手段だった。
未だ遺伝子検査を受けていない15歳以下の少女を適当に見つけ、その子の口内粘膜を掻き取る。それを柊の粘膜として提出し、検査官に対して再検査を求める、という方法だ。
しかし、この安直過ぎる手段は、いちかの言うところの遺伝子版戸籍によって防がれている。殺対は、柊の母親の遺伝情報をすでに持っているから、それと照合することによって、柊が提出した粘膜が偽物であることがバレてしまう。
もっといえば、遺伝子を借りた少女が、16歳になって検査を受けてしまえば、柊の遺伝情報とその子の遺伝情報がダブることになるから、やはりバレる。
「遺伝情報っているのは、最強のプライバシーやからな。その人の身体情報、持病だけでなく、好みや物の考え方までも分かってまう。これが漏れるのはヤバイで」
「だからこそ、殺対が厳重に管理しているわけだよね。用途を殺人遺伝子保有者の確保に限って」
「せやで。ただ、ホンマのところは分からんで。遺伝情報は最強のプライバシーであるからこそ、それを欲している者が官民問わずウヨウヨしとる。殺対が本当に漏らしてないかは分からんやろ」
「でも、殺対は独立行政法人でしょ。どことも癒着してないはずだよ」
「建前はそうや。でもな、独立行政法人なんちゅうもんは、大概が天下りの温床や。裏でどっかと繋がっとる可能性は十分あるで」
「証拠は?」
「ないで。今のところ。でも、仮に殺対が遺伝情報を外に漏らしているとすれば、大スキャンダルや。国民全員が怒る。その矛先は殺対、そして、殺対の存在根拠たる殺人遺伝子撲滅法。99.96パーセントの国民を巻き込めるで」
楡は唸る。
たしかにいちかの着眼点は鋭い。それが殺人遺伝子撲滅法を闇に葬れる唯一の方法であるとも思える。
しかし、証拠がなければ、それは画に描いた餅に過ぎない。今の楡には証拠を掴むようなリサーチ能力がない。
結局は、笑うしかない状況であることに変わりはないのである。
錦糸町駅に戻る頃にはすっかり陽が沈んでいて、ビルが放つ様々な色の明かりが、ロータリーを行き交う人と車を照らしていた。
「にれっち、今日は付き合ってくれてありがとう。楽しかったで」
「こちらこそ、誘ってくれてありがとう。いちかの話、すごく面白かった」
「ありがとう」
突然いちかの小さな鼻がグッと近づく。
同時にフニャッとした感触が胸に伝わる。
楡はいちかにハグされていた。
「え?……いちか?」
「にれっち、またデートしような?」
頰に温かい温度を残すと、いちかは楡の身体を離した。
「え…あ……今のって何?」
「何って、キスや。照れるから言わせんといてや」
いちかの顔が紅潮している。
おそらく楡の顔の方がもっと赤く染まっている。
「言っとくけど、うちは海外留学経験ないからな」
楡が言葉の真意を掴みかねているうちに、いちかは踵を返した。
「じゃあな。うちは地下鉄で帰るから。にれっち、帰ったらまた連絡するわ」
「ちょっと、いちか……」
いちかは楡の制止を意にも介せず、地下鉄の入り口へと小走りで駆けていった。
あらすじでも書いた通り、この作品は「恋愛ミステリー」です。
柊ちゃんが一人でお留守番をしているうちに恋のライバルなんかも現れちゃいます>_<
ちなみに、柊派には悲報なのですが、僕はこの横粂いちかというキャラをかなり気に入っています。元気で積極的なショートカットの女の子には憧れますよね。僕の初恋の女性は「めぞん一刻」の七尾こずえちゃんなので筋金入りです(笑)
そして、柊派への更なる追い討ちとして、本作では実はもう1人、恋のライバルを用意しています。実はもう既に登場しているあの子です。
あ、あと、このお話の殺人遺伝子関連の説明は複雑で分かりにくいかとは思いますが、今後のストーリーにめちゃくちゃ絡んできます。随時説明を加えていくので読み返していただく必要はないと思うのですが、覚悟しておいて下さい←




