衰弱(2)
白湯と錠剤を一気に喉へと流し込んだ柊が倒れるように枕に沈む。
楡が毛布と掛け布団で震える少女の身体を覆う。
「電気を消すから、もう寝なよ」
「電気を消すって、楡はどこに行くの?」
「外をブラブラするよ」
「ごめんね。楡の家なのに楡を追い出しちゃって。本当は私が外に出るべきなのにね」
最近になって楡は柊の外出を認めるようになった。
殺対が柊を探して捕まえようとしていることは間違いない。現に柊と出会った日の夜には、柊は市川駅で殺対の人間に追われて逃げているのである。
とはいえ、さすがに1ヶ月も経てば、柊が徹底的にマークされるということもないだろう。検査によって殺人遺伝子が発見された後に逃走している柊はレアケースかもしれないが、検査を拒否して殺対から逃げ回っている人間は少なくないはずだ。たかが17歳の少女一人を殺すために多くの人員が割かれているとは考えがたい。
もっとも、警戒するに越したことはないため、柊には必要のない外出はなるべく避けさせ、外出のたびに行き先を楡に連絡させるようにしている。加えて、アルバイトを始めとしたなんらかのコミュニティーに属することも禁止している。
これが恋人同士だとしたらとんだ束縛彼氏だが、柊の命を守るためには仕方がない。
「気にしないで。柊は今風邪を引いてるんだから仕方ないよ」
「ごめんね。他に行ける場所もなくて……」
柊には頼れる友達は誰もいないらしい。柊は学校に通っていないため、友達を作る機会がなかったということだろう。
楡と出会った日、柊が市川に向かったのは、柊が唯一頼れると思っていた友達が市川にいたからだそうだが、その友達の家に向かう途中で殺対の人間に捕まりそうになったことから、友達が柊を裏切ったか、そうでなくとも友達が殺対にマークされていた可能性が高い。とすれば、もうその友達をあてにするわけにもいかない。
「私、やっぱり死んだ方がいいのかな」
柊の突然の呟きに、部屋の明かりのスイッチに向かっていた楡の手が止まる。
「柊、今なんて?」
「私、死んだ方がいいのかな、って」
楡は足元の柊の顔を見る。
彼女は、仰向けになっていた口を半開きにした状態で、茫然と天井を見つめていた。
「約束しただろ。頑張って生きる、って」
「その約束って誰のためのものなの?」
「誰のためって……もちろん、僕のためだよ。僕は柊に生きて欲しいから」
楡は柊の目をじっと見つめていたが、柊はそのことに気が付かないのか、目を合わせてくれない。
「意味分からない」
「え?」
「私は楡にとってお荷物でしかないでしょ?邪魔な存在でしょ?」
「何言ってんだよ!!」
楡が声を荒らげても、柊は表情ひとつ変えずに淡々と続ける。
「どうして私に生きていて欲しいの?私が死んだ方が楡にとっては嬉しいんじゃないの?」
「柊、もうやめてくれ!柊は何も分かってない!!」
「私が分かってないのは、楡が分からせてくれないからじゃん!!どうし……ゴホッゴホッ」
ついにヒートアップした柊だったが、激しい咳が彼女に歯止めを掛けた。
苦しむ柊の姿が、楡に冷静さを取り戻させる。
「何度も言ってるけど、僕は柊のことが好きなんだ。だから柊には生きて欲しい。それ以上の理由なんていらない」
「楡の『好き』は信用できない」
「どうして?」
布団の中の柊が睨むようにして楡を見上げている。
思わず今度は楡の方が目を逸らしたくなってくる。
柊は口をほとんど動かさず、息を吐くような微かな低音で呟いた。
「バカ」
「は?」
「楡のバカ」
「いきなり何言ってんだよ。きっと風邪を引いて情緒が不安定になってるんだ。もう寝た方がいいよ」
「病人扱いしないでよ」
「だって、病人だろ」
「そうかもしれないけど、情緒不安定なんかじゃない」
柊の目は真っ赤に充血し、身体の震えも更に大きくなっていた。
このとき、楡は可憐な柊に対して、楡は初めての感情を抱いた。
-怖い。
「楡、正直に言って。どうして、あのとき私を助けたの!?」
「どうしてって……」
「ねえ、どうして、あのとき、私がホームから飛び降りるって分かったの!?」
柊の大きな瞳が、突き刺すような言葉が、楡を捉えて離さない。
楡は、柊に自分の母親のことについて話した。
母親が自分を産んだことによって病気に罹り、その病気に長年苦しめられていたこと。
ついに耐えられなくなった母親がホームから転落自殺を図ったこと。
楡が母親の断末魔を誰よりも近くで目撃していたこと。
話が途切れたことを確認し、柊が口を開いた。
「じゃあ、楡は私に、楡のお母さんの二の舞になって欲しくなかったっていうことなんだ」
「いや、まあ、それはそうなんだけど……」
「ふーん。分かった」
柊の口調は吐き捨てるような乱暴なものだった。
柊に次に掛けるべき言葉を楡は分かっていた。しかし、何かがそれを口に出すことを阻害した。その何かの正体を、楡は分からないようでいて、実は分かっている。
それは、楡の中にある「不安」である。
楡が黙っていると、柊はゆっくりと目を閉じた。
「楡、部屋の電気を消して」
しばらく待ったものの、自分の口から何も出てくる言葉がないことが分かると、楡は柊の指示に従った。
物を踏むことがないように慎重に真っ暗な部屋から出ようとする楡の背中に、柊はもう一度呟いた。
「楡のバカ」
悲しいことにこのお話を境に、柊ちゃんはしばらく登場しません(/ _ ; )
もちろん楡の心の中には柊のことが常にあります。ただ、複線的なストーリーを書きたいという作者の要望により、柊ちゃんはしばらくお留守番です(/ _ ; )
ただ、それだとあまりに柊ちゃんが可哀想なので、だいぶストックも貯まってきたことですし、今日から気まぐれで1日2話投稿する日を作ろうと思います。
ブックマーク、とても嬉しいです。5分おきくらいにブックマークが増えていないか確認してしまいます←ぇ
少しでも気に入って下さったら、ブックマークをしていただきたいです。展開は少しゆったりしてきましたが、ラストは怒涛の展開をお約束します。推理小説は最後まで読んでもらえないと真価を発揮できないので、ぜひともよろしくお願いします。




