問答(2)
「佐伯はどう思うんだ?」
荒居君と三浦さんは、楡を放って議論をすることが常態だったので、突然話を振られた楡は困惑する。
司法試験を現役で合格している優秀な2人と楡とでは頭の回転があまりにも違うし、元々口下手な楡は、議論をすることが好きではない。
「僕は別に……」
「佐伯も被告人を死刑にすべきだと思うよな?」
「佐伯君はそんな残酷な人じゃないよね?」
「あくまで法律適用の問題だからな。可哀想とか残酷とかは通用しないぜ?」
「でも、八十島さんを殺すかどうかの判断なんだよ?客観的な法適用がふさわしい場面じゃない。色々な事情を考慮しなきゃ」
2人がまた楡の頭越しで議論を始める。
その間、楡は自分の考えをまとめてみる。
八十島は、いつ、どうして「人殺し」になってしまったのだろうか。
「金が欲しかった」
八十島は公判において、事件の動機をただ一言で語った。
無収入で就労の見込みもない彼が経済的に逼迫した状況に陥っていたことは明らかである。
しかし、普通、それだけの理由でこんな事件を起こすだろうか。
親族の支援を当てにすることはできなかったのか。
弁護士会がやっている無料の法律相談にアクセスすれば、弁護士同伴での再度の生活保護申請を提案できたのに、その方法は思いつかなかったのか。
百歩譲って、板橋夫妻の家に忍び込んで金品を盗むことは理解するとしても、板橋夫妻を殺す必要はあったのだろうか。
修斗に発見された段階で観念して捕まるという選択肢は?
一目散に逃げ出すという選択肢は?
ナイフを脅すためだけに使うという選択肢は?
夫妻をメッタ刺しなどせず、軽く傷つけるだけにとどめるという選択肢は?
どうして八十島は考えられる中で最悪の選択をしてしまったのであろうか。
もしかしたら、八十島は、板橋夫妻を殺す前から「人殺し」だったのではないか。
普通の人間ならば、たとえ八十島と同じ境遇に立たされたとしても、こんな事件は起こさなかったはずだ。
普通の人間ならば、八十島のような選択は絶対にしない。
お金がないから人を殺す、というのは論理が飛躍している。
八十島は普通の人間ではない。
八十島は、仮にこの事件が起きていなかったとしても、元々、普通の人間とは隔絶した存在-「人殺し」だったのである。
-本当にそうだろうか。
もしも、八十島が侵入したときに板橋夫妻が家を留守にしていたとしたら-
もしも、市役所の職員が生活保護申請を受理していたら-
もしも、八十島がうつ病で職場を離れていなかったら-
もしも、八十島の妻子がバスの横転事故に巻き込まれていなかったら-
八十島は、人を殺さずに済んだはずだ。
八十島を死刑にするべきか、それとも無期懲役にとどめるべきか。
事件の記録を読んでいるときも、裁判員の評議を見学しているときも、司法修習生である楡は、仮に自分が裁判官であった場合にどのような判断をするだろうか、ということを常に考えてはいた。
しかし、どうしても腑に落ちない部分があった。
楡は、八十島個人に対して抱くにはあまりにもお門違いな感情を払拭できない。
-八十島はズルい。
事件記録には、八十島のDNA検査についての資料は入っていなかったが、彼が殺人遺伝子保有者でないということは明白だった。
なぜなら、殺人遺伝子保有者には、裁判を待つまでもなく、問答無用で死が与えられるからである。
実際に人を殺した者よりも、まだ人を殺していない殺人遺伝子保有者の方が不利な扱いを受けるというのはオカシイではないか。
なぜ殺人遺伝子保有者に与えられない権利が、人を殺した者に当然に与えられるのか。
しかも、殺人遺伝子保有者の全員が犯罪者になるとは限らない。
一切犯罪に手を染めることなく生涯を終える者だっているはずだ。
むしろそういう者の方が多いはずだ。
殺人遺伝子は遺伝するため、当世代で犯罪を起こさなくとも、子供の世代、孫の世代、ひ孫の世代まで受け継がれる。そうやって拡散されてしまえば、将来的には必ず犯罪者を生み出す。そのため、社会的コスト最小化のために、当世代で殺人遺伝子を根絶やしにするのが望ましい。このことが殺人遺伝子撲滅法の根底を支える考え方であることは楡も理解している。
しかし、八十島と柊を比べたときに、八十島を生きながらえさせ、柊を殺すべきとする理由はあるのだろうか。
より死に値するのは、柊ではなく、八十島だ。
柊の死が必至ならば、当然に八十島も死ぬべきだ。
八十島の裁判はただの茶番である。
裁判だけではなく、日本社会が茶番だ。
生殺与奪の基準が狂っている社会は、もはや「社会」ですらない。
「おい。結局佐伯の結論は何なんだよ?死刑?無期?」
気が付くと、 荒居君の視線も三浦さんの視線も、一点に楡に注がれていた。
多数決で決着がつくとすれば、楡の鶴の一声が全てを決することになる。
「……僕には決められない」
荒居君は大きなため息をつき、ガッカリした態度を露骨に示した。
三浦さんはしばらく考え込んだ後、ボソリと呟いた。
「決められない……それが正解なのかもね」
本作に感想を寄せて下さった菅康様、ありがとうございます。
菅康様は、本作を離れて色々な場でお話しをさせていただいており、とても心強い、頼れるなろう仲間でもあります。
菅康様は、「白物魔家電 楓」という作品を連載しております。
「家電」というタイトルに惹かれた僕は、この作品を第1話投稿時からチェックしており、1話目の「スイス」の下りで早速作品の虜になりました。ポップでありながらも、予想外の展開と斬新なアイデアが散りばめられた、学園コメディー風のアクション作品になっています。読むときっと明るい気持ちになれます。




