重力制御装置
「本日皆様に、わが社が世界に先駆けて実用化しました重力制御装置の始動を宣言できますことは、わが社の大いなる喜びとするところであります」
盛大なファンファーレと共に式典は始まった。
三年前に解明された超重力理論に基づき、世界中の研究者、企業がしのぎを削った結果、重力制御装置の実用化に初めて成功したのは環太平洋地熱開発公社だった。
重力制御という超先端技術とはお角違いと思われる企業が予想外のヒットを飛ばしたわけだがそれは、必要とするエネルギーの莫大さが実用上のネックになり、多くの企業が挫折せざるを得なかった一方、公社は重力制御装置を維持するのに必要なエネルギーの確保に、地熱利用という回答を提供できたからである。
あとから考えるとそれはある意味当然の帰結であったが、莫大なエネルギーを消費する重力制御装置を地球規模で同時に稼動させるには、無公害で無尽蔵のエネルギーである地熱を用いるしかないのは明らかだった。
重力装置の設置に際してはいくつかの歴史的な都市が移転されなければならなかったし、世界遺産に選定された人類の宝である自然環境を破壊して巨大な構造物が林立するのを甘受しなければならなかった。地球の重力バランスを調和させることが最優先であり(重力バランスが崩れれば地球が変形してしまうかもしれなかった)、そのためには計算結果が要求する地点に装置を設置して重力制御網を構築することが不可欠だったのだ。
そして充分にその価値はある、と人々は確信していた。重力を低減させることで人類に素晴らしい未来が約束されていたからだ。
重力の重荷から解放される人類は怪我や病気から解放され、今と比較にならぬ長寿命になることが予測されていた。また重力低減による輸送効率の向上、さらに構造の簡易化から超超高層建築が可能になるなど多方面で驚異的な効用をもたらすはずであった。
マスコミは「老人ももはや腰をかがめず、五ヶ月で赤ん坊は歩き始める」と謳い、人類のばら色の未来を称えた。
人間の身体が低重力に慣れる毎に少しづつ制御装置の出力を上げ、重力を低下させていく計画もささやかれていたが、それはやがて、自力で鳥のように空を飛ぶという人類の夢をも可能にするかもしれなかった。
こうして、人類史上最も輝かしい勝利の一日が盛大に祝われて、過ぎていった。
半年後。
見上げる夜空に輝く月は少しも変わらない。夏の暑さも例年通りだ。
しかし、人類は知っていた。月も太陽も昔のままではないことを。
これは全く単純なミスだった。地球上の重力バランスについては充分過ぎる考慮をしていたのに、太陽系全体のバランスを考えることがすっかり抜けていたのだ。
人類は異常を感知してすぐ装置を停止したが、時すでに遅く、太陽系内の微妙な重力バランスから弾き出されてしまった地球は誕生以来の軌道を大きく膨らませはじめていた。
三十年後には火星に今世紀二度目の大接近をした後、次々と兄弟星の軌道を横切り、数百年の後、地球は太陽系を完全に離脱し、宇宙の深遠に向かう孤独な旅に乗り出していることだろう。もし、それまでに木星などの巨大惑星に衝突していなければ。
いずれにしても、それも人類にとって大きな意味はない。そのときまで地球上に生物が生存している可能性は殆どないからだ。
これも地球上の小さな調和だけを考えて、太陽系全体の調和へ思いを至らせなかったことへの大いなる報いであった。