13.あそこの子なら、もう
それにしても、気になっていることが一つある。
もはやおなじみとなっている一〇三号室の住民の、息子さんだ。
正確な年齢はわからないが、この時期に自宅にいるということは、幼稚園が夏休みなのか、それともまだそういった施設に通う年齢には達していないのか……。
――奥様に直接訊ねるのは、やはり失礼になるのだろうか。
私がこの件についてエミリに相談しないのは、相談したら最後、エミリはきっと奥様のもとに超特急で向かって行って、また奥様を質問攻めにしてしまうだろう。
一〇三号室の奥様以外にも、誰かこのハイツの情報を持っている人物と接触することはできないだろうか。
――とはいっても、それについての選択肢は一つしかないだろう。一〇一号室の男性は正直に言うとこれ以上関わり合いになりたいとも思えないし、一〇二号室及び隣室である二〇二号室の住民とはコンタクトも取れない状況だ。
そうなると、消去法で申し訳ないが、二〇一号室のお婆さんを狙っていくしかないだろう。
一見、気難しそうに見えなくもないが、お年寄りという人たちの大半はご近所付き合いだとか、ご近所情報の類に強いというイメージがある。
彼女もそのステレオタイプな老婆だという確信はないが、彼女に近づくことで得られる情報は、今よりももっと増えるだろう。
私は湯船からのぞいた足先で、ちゃぷちゃぷとオレンジ色に染まった湯を弄びながら、この先のことを思案していた。
*****
翌朝、さっそくエミリに二〇一号室の老婆に接近する案を申し出てみると、驚いたような表情をしつつも賛同してくれた。さすがのエミリでも、やはり家庭事情を奥様に突撃して伺うのは、抵抗があったということだろうか……?
そういえば、最近榛葉を見かけることが少ない。
朝も私が起き出す前には既に外出してしまっているし、夜もご飯を作るだけで、私とエミリが課題を解いている間もあまりこの部屋にいることはない。
せめて、榛葉の所見が聞ければ、何かしらのヒントになりうるかと思ったのだけれど……。
私の思っていた以上に、榛葉はこの件に関してまったく首を突っ込んでこない。さすがに私やエミリに危害が加わりそうであれば出張ってくるかもしれないが、今のところそういったことは見受けられない。――一〇一号室の住民のことをもっと真剣に相談していればよかったのだろうか?
とにかく、居ない執事に頼る算段よりも、今は二〇一号室の老婆にいかに接近するかだろう。
今日も榛葉とエミリが用意したという朝食を食べ終えると、私は寝間着代わりのキャミワンピから、先日エミリと購入したシンプルなワンピースに着替える。――とりあえず、特に案はないけれど、何かしら老婆に話しかける話題でもないか外を見に行こうかと思ったのだ。
――そういえば、老婆はこのハイツに二十年以上住んでいると、挨拶回りで顔を合わせたときに言っていなかっただろうか。面倒見がよさそうで気さくな話し方が印象的だったように思う。
……案外、老婆に近づくのは難しくはないかもしれないと思って、私は一人、玄関のドアを開いた。
ドアを開いた瞬間に目の前に人がいて、驚かない人などいるのだろうか。
私としては、もし驚かない人がいるのならソイツは間違いなくうちの執事であると断言できてしまうような気がする。もしくは、榛葉と同じくらい人間味に欠けているような人種だろう。
ドアを開けた私の視界に突如飛び込んできた老婆は、にこにこと愛想の良い笑顔を浮かべながら、二〇三号室の玄関先で立ち話を始めている。
突然どうしたのだろうか。
そんな疑問も吹き飛ばすような勢いで、老婆は部屋に上がることだけは拒みながらも、話を弾丸のように次々と撃ち出してくる。
そろそろ老婆の話も、最近の天気だの、テレビのワイドショーがどうだのと、同じところを三周ほど回ったかというくらい聞いたので、今度はこちらから質問させてもらう。
「そういえば、下の階のお部屋の男の子。いつも一人で遊んでいて騒いだりもしなくって、とてもいい子ですわね。お婆さんも、あの子とは遊んだりはしませんの?」
そんな私の問いかけに、老婆は一瞬びくりと表情をこわばらせた。そして、冷や汗を垂らしながら、答えた。
「……何を言っているんだい、お嬢さん……。あそこの子なら、もう何年も前に亡くなっているんだよ」
……。
……は?
エミリマジ空気ですけど、きっとアリスが食べ散らかした朝食の食器とか洗っているんだと思います(適当←)