師匠
私は"前の私"についてや、その当時の出来事などいろんなことを話した。一部都合の悪い場所を省いて。
「なるほどねぇ。確かに、君の記憶と私が知ってる歴史に食い違いは特に見られない。
いや、いろんな奴に会ってきたが、記憶を持ったまま生まれ変わった人間には初めて会ったよ」
ははは、と笑ってみせる女。なかなか話すのには覚悟が必要だったのだが、その結果がこれである。この人と話していると、気が抜ける。
「面白い話が聞けたねぇ。それでシノアお嬢様、あなたこれからどうするつもりなんです? 」
「もうシノアでもないし、お嬢様でもない。ただのアーデルです。……どうするってどういうこと? 」
「嫌ねぇ、このままここで暮らしてくのかってことさ。順当に行けば、君は年頃になったら村の若い衆と結婚して家庭を築くわけだ。それはそれで穏やかな人生だけど、少しつまらなくない?
悪くない話があるんだけど」
そう言って口元に手を当てうふふと笑う女。悪い人ではなさそうだが、言い方や言葉の選び方が怪しい雰囲気を醸し出す。分かってやっているのだろう。
「悪くない話……」
「そう。実は私、写してしまわなければいけない書物がたくさんあるのだけれど、生憎私は字が綺麗じゃなくてねぇ。ただ字を写すってのもつまらなくて嫌いだし。
そこでだ。君、私の代わりにあれらを書き写してくれないか。なに、タダでなんてケチくさいことは言わないよ。その対価として、私は君に魔術を教えよう。使えるかどうかは、君の才能にかかっているが。
一生懸命勉強さえすればこの村を出て、魔術師として生計を立てる道も開ける、かもしれない。
どうだい? 君、これはまたとない機会だと思うのだけれど」
そう言ってこちらの様子を伺う。
確かに、これはもう二度とないかもしれない機会である。本職の魔術師から魔術の手解きを受けられるなんて。
漠然とした願いだが、いつも思っていたのだ。この村を出て行って、もっと広い世界を見たいと。かつての故郷デイラムや、王都などを訪れてみたい。今の世界についてもっと知りたい。このままでは、女の言う通り私は一生ここから離れられない。
それに、魔術。かつての世界ではまだ発展途上だった技術。いろいろと思うところはある。しかし、もし使えるようになったら、私はもう一度見ることができるのだろうか。始めて魔術を見たときに知った、あの冷たく美しい薔薇を。
「…魔術を扱えるようになったら、氷でできた薔薇を作れるようになりますか?」
「……氷でできた薔薇か、難しいだろうね。できない話ではないだろうけれど。それは君の努力と、如何程の才能を宿しているかに掛かっていると思う」
難しいのか。でも、あの美しい花をもう一度、今度は自ら作り出す。それが可能かもしれないと思うと、興奮で頬が熱くなる。
「ミレニアさん、私、魔術を勉強したい。きっと、魔術が使えればいろんなことができるから」
「そうだろう、そうだろう。君ならそう言うと思ったよ、アーデル。取引成立、今日から君は私の弟子! 今から私のことはミレニアさん、ではなく師匠と呼ぶように」
そう言って胸を張ってはははと笑う。静かな夜に、その声はよく響いた。
師匠と書いてせんせいと読んでいます。