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初めてのお客さん

 アキラは三十分かけて自宅のアパートにたどり着く。

 二階の自室の扉を開け中に入ったアキラは、早速登校する準備に取りかかる。といっても、制服に着替えて学校に持っていくものを揃えるくらいの事しかない。 

 アキラは普段着を脱ぐと、ワイシャツを羽織りチェックのズボンを穿く。赤いネクタイを締めると、緑色のブレザーを羽織った。

 

「えーっと、学校に持ってくものは……特にねーか」


 一応一通り鞄の中をチェックして、大事な物はないと確信する。

 その後は適当に食パンをかじり、牛乳を飲み干すと準備は万端だ。

 鞄を背負いアパートを出ると、真っ直ぐに学校を目指す。 

 学校まではゆっくりめに歩いても徒歩で約二十分。遅刻常習犯のアキラでもない限り、キツイ距離ではない。そんなアキラでも、今朝アパートを出たのが八時十五分。始業の九時までには充分間に合う時間だ。



 学校の前の坂を登ると、巳川高校の校門が見えてくる。校門付近には、登校する生徒達が挨拶を交わしあっていた。

 アキラはそんな生徒の波を掻い潜り、校舎の右手側を歩いていく。その先には、この間のゴミ拾いで参加者が集合したゴミ捨て場がある。さらにその先にあるのは、アキラの秘密の隠れ家……

 だんだんと細くなる通路を進み、やがて見えてくる突き当たりを左に曲がる。その先にある茂みを掻き分けて、中にあるトンネルを突き進めば、そこはアキラの大事な大事な秘密基地だ(といっても、土と草があるだけの殺風景な場所なのだが……)



 茂みのトンネルを抜けたアキラは立ち上がり、大きく伸びをした。

 目の前にはこの間アキラが無理矢理こじ開けた鉄製の扉。そしてその奥のスペースには、たくさんのコンクリートブロックが積まれている。

 アキラは壁際に積まれているブロックをいくつか運び、土の上に三つ積み重ねた。アキラの分は予め積み重ねてあったのだが、もう一人分の席を用意したのだ。

 その相手は何を隠そう、数時間前にアキラの彼女になったばかりの藤野マキナである。



 アキラは積まれたコンクリートブロックの上に腰を下ろす。ポケットからスマホを取り出し、マキナに「秘密基地に居る」とメッセージを送信した。

 それが終わるとスマホを手に持ったまま、校舎と塀に囲まれた狭い空をボーッと眺めていた。



 風の音を聞きながらくつろいでいると、壊れた扉の向こうで茂みの揺れる音がした。誰かがやってきたのだ。アキラは一瞬身構えたが、その緊張は次の瞬間ほどけてしまった。


「うわっ、何これ!?」


 理由は一つ、声の主が秘密基地の場所を教えたマキナだったからだ。


「ああっ! こんな所に居た!」


「ようこそ! 我が秘密基地へ!」


 ひしゃげた扉の陰から顔を出したマキナは、コンクリートブロックの上に座ったアキラに向かって手を振った。

 制服姿のマキナは見慣れているはずなのに、あまりの可愛さ故に見ると照れ臭くなってしまう。


「さっきのメッセージ、見てくれたんだな」


「うん」


 マキナが笑顔で返事をすると、アキラも笑みを隠さずにはいられなくなった。アキラはそれを誤魔化すために、マキナに積まれているブロックの上に座るように勧めた。

 マキナは「じゃあお言葉に甘えて」と言い、制服のスカートを手で押さえながら、ブロックの上にちょこんと座った。


「へー、こんな場所があったんだぁ」


 マキナは少しわくわくしながら辺りをキョロキョロと見回す。その姿をアキラは心の中で可愛いと呟きつつ彼女を歓迎。


「是非ともマキナちゃんに見て欲しくてな」


「えっ? じゃああの扉を壊したのってアキラ君!?」


「おうよ! 大した手応えなんて無かったけどな!」


「んもう! 先生に見つかったら怒られるよ?」


 右の拳と左の掌をパンパンとぶつけ合ってアピールするアキラに対して、マキナは少し呆れ顔で笑みを見せた。



 ●



 ブロックに座った二人はお互いに言葉を探し続ける。

 だがしかし、付き合い始めてまだ数時間しか経っていないこのカップルは、自分の言葉を紡ぎ出す事が中々できない。こうして沈黙が続いている間も、時間はどんどんと過ぎていく。

 春の終わりの暖かい風が二人の頬を撫でる。そしてその風は、マキナのポニーテールをなびかせた。マキナは顔に髪がかからないように、左手で必死に髪を押さえる。

 アキラはふとマキナの表情を見る。それは決して喜びに満ちた笑顔ではなく、彼女にはとても似合わない、不安に押し潰されそうな表情……

 見た事のないマキナの表情に、アキラは思わず息を飲む。しばらく言葉を切り出せなかったアキラだが、ここまで深刻な表情を見せられたら黙っているわけにはいかなかった。


「なあ、悲しい顔してるけど、何かあったのか?」


 アキラは疑念の一つも持たず、マキナの目を見据えて質問をした。質問を受けたマキナは左胸に右手を当て、おもむろに口を開く。


「えっと……私とアキラ君が付き合ってる事とか、この秘密基地の事が外に知られたらどうなるんだろうって心配になっちゃって……」


 目を泳がせながら喋っているマキナは、いかにも悲しそうで、かわいそうに思える程だった。


「あっ……ご、ごめん。私ったら何言い出してんだろ! い、意味が分かんないよね!」


 マキナは両手を前に出し、ブンブンと振って否定した。マキナは無意識のうちに、己の不安を口から出してしまったのだろう。

 普段、弱音や愚痴をこぼさないマキナが、アキラに向かって自分の悩みを迷わず相談するという事は、相当悩んでいるに違いない。

 アキラはこの時、自分とマキナが抱えている心配事がほぼ一致する事に気づいた。

 マキナ自身、付き合い始めて一晩しか経っていないのだ。彼女とて、不安を抱くのも無理はない。心境はアキラもマキナも一緒なのだ。



 二人の関係が周囲に知れ渡った時の不安と、この隠れ家が見つかってしまった時の絶望感……

 二人の心境の偶然の一致に、アキラは恐怖すら覚えた。


「大丈夫だよマキナちゃん」


 アキラはしっかりとマキナを見据えて口を開いた。


「同学年の連中だっていくら俺と付き合っているからって、マキナちゃんに手を出すほどバカじゃないだろ? だってそんな事したら自分がどうなるかなんて火を見るよりも明らかなはずだ。間違いなく他の生徒からボッコボコだぜ? だから少なくとも、マキナちゃんに危害は及ばねえよ」     


 マキナへのアドバイスは、むしろアキラ自身に言い聞かせているようだった。


「それに、連中がどう思ってたって気にすんな。周りがなんと言おうと俺はマキナちゃんの味方だから」


 己の弁を述べたアキラは改めてマキナの顔をじっくり見た。彼女の顔は熟したリンゴの如く赤面している。


(それにしてもよく赤くなる顔だな)


 アキラは顎に右手を添えながら思った。


「あ、ありがとう。アキラ君……でも……」


 マキナは内股でモジモジしながら下を向いた。両手は制服のスカートをギュッと握りしめている。


「仮に私は大丈夫だったとしても、アキラ君が他の生徒に何かされたりなんかしたら……」


「ああ、それには慣れてるよ。矢でも鉄砲でも何でも来いってんだ!」


「矢と鉄砲って……」


「あ、ああ。よ、要するにだな、仮に俺が何か言われたって軽く受け流せるから心配すんな」


 無駄に強がって胸を張ったアキラに安心したのか、不安だったマキナの表情が和らいだ。


「あ、後ねアキラ君……」


 何かを思い出したかのようにマキナは質問を続ける。


「私ね、この場所をアキラ君が好む気持ち、なんとなく分かるよ。一人でいる時間を大切にしたいっていう気持ちも……分かる気がする」


 アキラにとってこれは意外だった。まさかこんな鬱蒼とした場所を、マキナが嫌がったりしないなんて……


「この場所はアキラ君にとって大切な場所なんだよね。もしこの場所に入れなくなったら、アキラ君はどうするつもりなの?」


 この秘密基地が誰かに見つかる事を心配しているのはアキラもマキナも一緒だったが、マキナはむしろ居場所が無くなった時のアキラの心配をしていた。

 対するアキラは、自分自身の居場所が無くなった時の事を憂うばかり。まだまだ自分の事しか考えていなかったんだと痛感する。

 例え住処が無くなったとしても、アキラには自分をこれほどまでに思いやってくれる人がいる。これ以上の幸せはない。


「べ、別に入れなくなったって気にしねえよ。だって俺には大切な――」


 そこまで言ったアキラは、一旦大きく深呼吸をし――


「マ、マキナちゃんがいるからな! こ、この場所が無くなったってどうってことねえよ!」


 アキラの爆弾発言の第二弾が炸裂。周囲に誰も居ないからとハキハキと発言しただけに、マキナの心にクリーンヒット。この後マキナは約一分、悶える事になる。


「あ、ありがとう……」


 どうにか正気を取り戻したマキナは、赤面しながらお礼を言った。



 ●



 アキラがマキナの悩み事を聞いてあげた後の彼女の表情は、見違えるほどに明るくなっていた。


「……ここ、本当に静かでいいかも」


 雑談の途中でマキナは静かに呟く。


「風が気持ちいいね!」


「だろ? 気に入ったなら、いつでも来ていいぜ!」


「本当? ありがとう!」


 マキナはアキラに向かって満面の笑みを見せて喜んだ。それを見たアキラは連られて笑いそうになる……



 この秘密基地に客を招いたのは、マキナが初めてである。他の誰かに見つかる事もなく、初めて愛した相手をこの場所に招待する事ができた。

 アキラはこれまでクラスにロクに貢献をした事がなかったが、そんな自分が初めて誰かに尽くす事ができた。アキラはこの事を誇りに思えた。


「フーッ、こんな場所が気に入るって、俺もマキナちゃんも変わってるよな~」


 アキラは満足げに呟くと、向かいに座っているマキナが体を震えさせている。アキラは気分でも悪くなったのかと思ってマキナに声をかける。


「おいおい、今度は何があった?」


 アキラはマキナに近づき顔を覗き込むと、吹き出しそうに頬を膨らましている。


「え? ちょっとマキナちゃんどうした!?」


 アキラは声をかけ続けるが、マキナは相変わらず肩を震わせながら俯いている。やがてマキナは耐えられなくなったのか、大声で笑い始めた。


「ご、ごめんアキラ君!」


 マキナは「あのね」と付け足して続きを話す。


「この場所が好きだなんてアキラ君は蛇みたいだな~って思ったら、急に笑いが止まらなくなっちゃってさ~。だって蛇ってこういう茂みの奥とかに居そうじゃない?」


 マキナはブロックに座ったまま、両手を叩きながら笑っている。


「……それ、そんなに面白い事か?」


「うん、面白い!」


 マキナは元気よく頷いた。



 アキラもまた、このような茂みの奥に生息している生き物として蛇を連想していた。まさか自分と同じ比喩をする人間がいたなんて……


「ま、まあ、あながち間違いでもねえかな」


 アキラは頭を掻きながら、自分が蛇である事を認めた。教師からも生徒達からも、あまりいい目で見られていない自分は蛇で充分なのかもしれない。そして自分が蛇であることは否定はできなかった。


「勉強もダメ、性格も悪い、あとカッコよくもない……」


「む~っ。そこまで自分を悪く言わなくたっていいじゃん!」


 アキラが皮肉交じりに笑うと、マキナが口をすぼめて言った。


「私は単にアキラ君がこういう場所を好むから蛇に似てるって言っただけで、悪いところを言ったわけじゃないんだよ?」


「あ、ああ、それは分かってる」


「だったらさ、もう少し自分に自信を持った方がいいんじゃない? そうした方が人生楽しめると思うよ?」


 マキナの目からは真剣さがひしひしと伝わってくる。

 アキラはここで、後ろ向きになっている自分に気づく。こういったネガティブな考えが、マキナに気を遣わせていると感じた。


「分かった、もうこんな事は口にしないように気をつける」


 アキラがそう言うと、マキナは笑顔で頷く。


「それにね、私だってみんなから完璧に好かれているわけじゃないよ?」


 マキナは少し気が抜けた口調で話す。それに対してアキラは「えっ?」と返事をする。


「ほら、私って勉強できないじゃん。試験じゃ毎回二、三科目は追試受けてるし、運動神経は鉄棒の逆上がりどころか前回りもできないんだよ。成績悪いから先生も私の事手を焼いてるの――って私も自分の事悪く言ってるよね、ごめん」


 マキナは恥ずかしそうにアキラに頭を下げた。


「別にいいけど……ってえっ? マキナちゃんってそこまで成績悪いの? でも授業にはちゃんと出てるから少なくとも俺よりかは……」


 そこまで言うとマキナは、左手の親指を左右に振った。そしていきなり、白い歯を見せてどや顔をした。


「フフン、私は授業には出ても勉強は基本的にしない人! テスト勉強は目で覚える、回答はほとんどが直感! 赤点、追試どんと来いだーっ!」


 マキナは右手をチョキにして、アキラに向かってピース。アキラは何とも出す言葉に困ったが、頭でどうにかやりくりして言葉を紡ぎ出す。


「いや、赤点や追試は来ないようにした方がいいと思うけど……」


 アキラの冷静なツッコミを受けたマキナは、少し気恥ずかしそうに両手を膝の上に乗せてかしこまった。

 容姿が可愛らしくて性格も良好。生徒からの評判が良いのなら、きっと成績も素晴らしいに違いないと思っていたアキラにとってこれは意外だった。


「私だって先生から見れば蛇みたいに嫌われているかもしれない。でもね、勉強なんてできなくたっていいんだよ! 今を楽しく生きていれば!」


 マキナは若干開き直ったように伸びをする。それからはっとなってスマホの時計を見た。八時五十五分。始業の五分前だ。


「うわっ、もうこんな時間! アキラ君、そろそろ教室行こ!」


 マキナはそう言いながらスマホの画面をアキラに見せた。しかしアキラは物怖じしていない。


「あー、俺後で行くからマキナちゃん先に行っていいよ?」


「だーめ! あんまり遅刻ばっかりしてると、進級できないぞ?」


「ヘイヘイ」


(あんたがそれ言うのかよ……)


 心の中で密かにツッコミを入れたアキラに対して、マキナは立ち上がるように促す。アキラは仕方なさそうに立ち上がった。

 そして二人は順番に茂みのトンネルをくぐる。マキナは終始子供みたいにはしゃいでいたのだった。

 トンネルを抜けた二人は昇降口を通過し、教室を目指したのだった。



 ●



 授業中、上原先生がオネエ口調で次の試験に出る範囲を口頭で伝えている。それに対して生徒達は黒板に書かれた要点を、一生懸命ノートに書き写していた。

 アキラは時折ペンを止めながら、左斜め前に座っているマキナを横目で見つめる。必死な視線に気づいたマキナはアキラの顔を見た後、舌をペロッと出してウインクをする。



 とにかく今のところ、この二人の関係を知る者はアキラとマキナの二人しかいない。

 マキナの親友であるミサとアユナも知らない。いずれ誰かにこの事を公言しなければいけないのに、二人とも次の一歩が踏み出せないでいるのだった。



 そうこうしているうちに、一週間が終わってしまっていた……

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