変わり者の親の家庭は大変だ
ピンク色の照明は落とされ、部屋の中は再び完全な夜の闇に包まれた。小さなベッドに寄り添う二人――アキラとマキナ、お互いの心臓の鼓動がまだ眠る事を許さなかった。
「なあ、マキナちゃん」
ベッドで横になったまま名を呼んだアキラに対し、マキナはなーに? と返した。
「俺達が付き合い始めた事、学校の連中に黙っといた方がいいかな?」
「うーん、黙っててもどっちにしろいずれ広まると思うけど……アキラ君はどうしたい?」
「俺は……」
アキラは言葉を詰まらせた。そして、二人が付き合っている事が学校中に知れ渡ったらどうなるかを想像した。
マキナは学年全体でもトップクラスに有名な女子生徒だ。そしてアキラも違うベクトルで有名な生徒だ。
そんな見た目的にも性格的にも相反する彼らを見て、生徒達が黙っていられる訳がない。二人の周囲には、たちまちブーイングの嵐が巻き起こることだろう。とはいえ元々非難される事に慣れているアキラは、直接的な暴言は聞き逃そうと思っていた。
問題は女子生徒たちのマキナへの反応だ。
これはアキラの勝手な解釈だが、女子は男子よりも直接的な暴言を吐くことは少ない。しかし、やがて噂は次第に拡散していき、女子の間でのマキナへの悪口が発生するのではないか――
とにかくこの事で、マキナが傷つく事だけは避けなければいけなかった。
アキラは心の中で、マキナの為ならば自分はいくらでも傷つこうと固く誓いを立てたのだった。決意の中でアキラは口を開く。
「すぐに公言するつもりはないけど、もしこれが噂でバレて周りが何を言ってきたとしても、マキナちゃんにだけは悲しい思いはさせない」
マキナの目をしっかりと見据えた発言だった。
マキナはアキラの心中を察したのか、布団の中に潜り込んでいる手を掴み、ギュッと握りしめた。
「私だって、アキラ君だけに全てを背負わせるつもりはないよ」
優しそうな目つきでアキラを見つめた彼女もまた、決意に満ちた表情をしていた……
アキラは部屋の中のデジタル時計を一瞥する。二時半を回っていた。
「なあ、この事が学校内に知れ渡ったら後はどうするよ?」
アキラは思わず、今抱えている不安をマキナに漏らしてしまった。
「うーん、まあ何とかなるっしょ!」
マキナの突然のあっさりとした回答に、アキラは思わず吹き出しそうになった。アキラが思っているほど、マキナは深刻に考えていないのだ。そんな呑気な態度は、これから修羅場を潜り抜けるであろうアキラの気持ちを落ち着かせてくれた。
「私がアキラ君を好きになって何が悪いの?」
マキナはちょっと鬱憤を含んだ声で言った。これに関してはアキラにとってもごもっともだ。
「そ、そうだよな! 俺達には何の罪もないよな! 単にあいつらが勝手に騒ぎ立ててるだけで!」
アキラは先程までの否定的な感情を、無理矢理にでもプラス思考へと転換させた。
「俺とマキナちゃんが付き合おうなんてのは俺達の勝手だ! 俺達には選ぶ権利がある! ったくあいつら、ウザいったらありゃしない!」
「ホントホント!」
マキナが深く頷くと、お互いに白い歯を出して笑みを浮かべていた。
やがてアキラは、そうだと閃く。
「なあ、マキナちゃん。あんたに是非来てもらいたいところがあるんだけど……」
「えっ? どこぉ?」
「フフッ、俺にしか知らない隠れ家さ」
マキナの興味津々な顔を見たアキラは、不敵な笑みを浮かべている。
アキラはマキナに、蛇の住む藪――もとい校舎裏手の茂みの中の秘密基地の事を教えた。(地図なんてものは無いのでもちろん大まかにだが……)
とりあえず次の日は、二人は別々に登校する事に決まった。学校内で有名な二人がいきなりそろって歩くのは、流石に目立つだろうし、それにお互いに何だか照れ臭かった。
その時マキナがふぁと欠伸をした。この時間になってようやく睡魔が襲い掛かってきたらしい。
「よーし、今度こそ寝ようぜ!」
欠伸をみたアキラはマキナを布団に入るように促した。
「うん。同じ布団でね」
マキナはちょっといたずらっぽく笑ったのだった。
それ以降の事は二人ともよく覚えていない。気が付かないうちに、夜が明けてしまっていたのだった。
これが二人のカップルを生んだ、長い長い夜の物語……
●
春の終わりの朝日がカーテンの隙間から差し込み、部屋の中を明るく照らす。壁に照射された光で、アキラは目を覚ました。
「ん? あれ?」
アキラは目を覚ました直後の光景に違和感を覚える。いつもの部屋じゃない。まるでここは誰かの家のような……
アキラはベッドの上で体を起こし、部屋の中を見渡す。
寝起きだからか、上半身がクラクラしている。アキラは思わず後ろに倒れそうになるが、咄嗟に左腕を自分の後ろに突き立て支えようとする――が、左手はベッドではなく、何やら柔らかいものに触れていた。
「えっ!?」
疑問に思ったアキラは後ろを振り返った。そして次の瞬間、アキラは悶絶する。左手はベッドではなくマキナの左胸を掴んでいたのだ。
巨乳――とまではいかなくとも、そこそこの膨らみがあるその胸は、マキナの体のラインを美しく強調するには充分だった。
そんなマキナの胸を、わざとではないとはいえ触ってしまった。アキラはひっ! と裏声を上げ、高速で胸から手を離す。
そしてアキラはここで、何故この場所に居るのかをようやく理解した。
「あ、ああっ!」
次の瞬間、夕べの光景がアキラの脳内に流れ込んできた。
そうだ、アキラは去年から想いを抱いていた少女、藤野マキナに告白されたのだ。好きな相手から好きだと伝えられた話。いざ目が覚めてみると、まるで夢物語のようだ。
マキナはアキラに密着した状態で布団を抱きしめながら、気持ちよさそうに寝息をたてている。当然マキナの寝顔を見るのは初めてだ。
普段の笑顔も可愛らしいが、無表情で目を瞑っている寝顔も非常に愛嬌がある。それは無邪気な赤ん坊のようだ。
「触ったのは……不可抗力だよな……」
アキラはボソッと呟いたのだった。
アキラはマキナを起こしたくなった。一刻も早く、夕べの出来事が夢ではなかったかを確認したかったからだ。この事を確認できる人間はこの世にただ一人、藤野マキナしかいない。
「マキナちゃーん……?」
睡眠不足につけこんで襲いかかる睡魔と戦いながら、アキラはそっとマキナの肩を掴み、揺さぶりをかける。
寝息をたてていたマキナは「んむ……」と無意識に声を出し、ゆっくりと目を開ける。
アキラはその間、夕べの出来事が幻ではないようにと心の中で祈り続けた。目を覚ましたマキナは、ゆっくりと上半身を起こす。
「ん、おはようアキラ君……」
目を擦りながら、力のない挨拶をする。起きたばかりなので、当然髪はボサボサで、目元は目ヤニだらけだ。しかしそれでもマキナの顔は充分に可愛く見える。
アキラはこの時、マキナが自分の事を下の名前で呼んでいる事に気づいた。
「おはようマキナちゃん。夕べ二人で何をやったか覚えているか?」
アキラの質問に対して、マキナはまぶたを半開きのまま少し首を傾げたが、やがて、
「えっ、私がアキラ君に告白して、その後アキラ君が私に告白してくれたんでしょ?」
マキナは余りにも正直過ぎる答えをドストレートに返してきた。昨日のお互いの告白は夢ではなかったのだった!
アキラはその答えを聞いた途端、襲いかかる眠気は一気に消し飛んだ。そして心の底から、歓喜と快楽の感情が沸き上がってくるのを感じる。この気持ちを声に出さずにはいられない。
「う、うおおおおおおおおっ!」
その声は最早、奇声と捉えてもおかしくなかった。しかしその声の中に、アキラの夢が現実となった事への喜びがぎっしりと詰まっていた。
「ちょっとーアキラ君? 近所迷惑だよ?」
マキナは口をすぼめて注意を促す。
アキラは少し恥ずかしくなったみたいで、「悪い悪い」と髪の毛をガシガシかきながら謝る。その時の二人の表情は、仲睦まじき新婚夫婦のように笑顔に満ち溢れていた。
●
マキナは窓のカーテンを開けた。
窓の外は快晴。道に植えられた街路樹の葉っぱが、風に吹かれて微かに揺れていた。
どこからか小鳥のさえずりがたびたび聞こえてくる。誰の耳にも聞こえるのだろうが、アキラからしてみればまるで、このカップル成立を祝福してくれているようにすら聞こえてくる。
アキラは枕元のスマホで時刻を確認した。午前六時半だった。
「さてと、家に帰って着替えてこねえとな」
ゆっくりと立ち上がったアキラは、巾着袋の中から歯ブラシと歯みがき粉、そしてフェイスタオルを取り出した。
「マキナちゃん、また洗面所借りるぞ」
「オッケー、朝ごはん食べてく?」
「いや、いいよ。時間無いし、家戻って食べるわ」
「わかった~」
アキラは洗顔と歯磨きを済ませると、適当に髪を水で濡らして手ぐしで大雑把に整えた。これだけでは寝癖が完全に治っていない。
お次はマキナの番。女の子なので、髪の手入れにはやはり時間がかかっている。
洗面所の扉の前で待っているアキラは、スマホの時刻を見る。午前七時を回ったところだ。
「なあマキナちゃん、俺そろそろ家に帰って準備したいんだけど……」
アキラは、洗面台の鏡の前で髪を整えているマキナに声をかけた。
「あっ、ごめん!」
マキナが振り返って謝ったその時、廊下の奥の方から父親がのっしのっしと歩いてきた。
華奢で比較的小柄なマキナとは対照的に、肩幅はアキラより一回りも二回りも大きかった。マキナは恐らく母親に似たのだろう。
「おおっ! 夕べはよく眠れたかい?」
アキラよりも十センチ以上の身長があるであろう父親は、見下ろしながら挨拶をしてくる。
「あ、どうも。おかげさまで……」
アキラは若干たじろぎつつも会釈をした。実際はあまり寝てはいないのだが……
「いろいろとお世話になりました。食事もさせてもらって、家に泊めてまでしてもらって……」
「ははは! いいって事よ。ウチは基本的に来る者は拒まず、だ。特に、あんたみたいなイケメンボーイはな」
「は、はあ……」
(俺が、イケメン……?)
アキラは思わずマキナが髪の手入れをしている洗面所の鏡を覗き込みたくなった。親譲りのクマだらけの顔がイケメンと言われる事が、どうも疑わしく感じたからだ。
マキナの父親は顎に手を当ててニヤニヤしている。
その時廊下の奥から、マキナの母親が現れた。
「あっ、おばさんおはよ……」
アキラは挨拶をしようと父親の陰から体を乗り出したのだが――呑気に欠伸をしている母親には、衣服がほとんど装着されていなかった。
厳密に言えば下着の上に肌シャツを着ただけという、女性が人前に出るには羞恥心のかけらもないといってもおかしくない格好だ。ただ、体つきに関してはマキナ以上に美しい。母親の年齢とは思えないくらいだった。
「ふあぁ……あっらあ、宮葉君おはよ~。夕べはよく眠れた~?」
無邪気な笑みで聞いてくる母親を見たアキラは言葉を失う。
しかし近くにいる父親は腕を組んだまま首を傾げ、後ろで髪を整えているマキナに至っては、相変わらず鏡とにらめっこしていた。
二人とも、いつもの事だと特に反応を示さない。どうやらこの母親がこんな格好で家の中を歩くのは、日常茶飯事らしい。
「ははっ、おかげさまで……」
アキラは同じ返事を母親にした。
このままこの家に居座るのも迷惑だと反射的に察したアキラは、速やかにマキナの両親に挨拶をする。
「じ、じゃあ俺はこの辺で! お世話になりましたーっ!」
アキラが慌てて挨拶をすると、両親は笑顔で手を振ってくれた。洗面所のマキナにも手を振る。鏡に映ったアキラに気がついたのか、振り返り笑顔で手を振ってくれた。
アキラは二階の荷物を手に取り、藤野宅を出る。今急げば、マキナを例の秘密基地へご招待できるだろう。
これから先の不安はあるものの、アキラはそんな事は気にせずに自宅のあるアパートへと足を急がせたのだった。