ハイリスク・ハイリターン
偶然見つけてしまったタバコにアダルト雑誌の出土、そしてアユナによる『もしかして惚れちゃってる?』発言と、今回のゴミ拾い活動は予想以上に印象深いものとなった。
学年ごとに決められたルートを巡り、三学年ともゴールであるゴミ捨て場に戻ってきた。
担当の先生は奮発して、有志参加者に学級委員、そして美化委員全員に一人一本ずつジュースを奢ってくれた。
当然アキラ達はゴミ拾いで疲れた表情からうって変わり、その先生を仏の如く感謝をしたのだった。
ゴミ拾いは確かに生徒からは面倒くさがれる奉仕活動だが、アキラにとっては女子とも話ができて、何だかんだ言って充実はしていた。特に自分の好きな女の子と共に行動ができたのだから、むしろこれくらいの作業はアキラにとっては大して苦痛でもなかった。
集めてきたゴミを処理するのは美化委員に任せて、ゴミ拾い組はようやく解散する事になった。他の学年の生徒達も仲良くゴミ捨て場を後にする。
アキラ達も奢ってもらったジュースを片手に昇降口の方へと向かった。
三人の生徒は巳川高校の校舎の前で、ジュースをがぶ飲みしていた。
「ああ、この快感のために頑張った甲斐があったねっ!」
マキナは炭酸を流し込んだ後、ぷはーと大きく息を吐き出した。それを見たアキラとアユナは思わず吹き出しそうになる。
「ぷぷっ! マキナって本当にマイペースというか、本能のままに生きてるよね」
アユナはマキナの性格を気に入っているのか、ニコニコしている。
「だってさ、誰かの役に立てたって思えるとすごく気持ちいいじゃん! ましてや、こんな見返りがあるなんてめっちゃラッキーじゃないの?」
マキナはそう言いながら、手に持ったジュースの缶を親指でツンツンとつついた。表情はジュースが飲めただけで十二分と言わんばかりに満足げだ。
「そ、その考え方凄くね?」
アキラは思わず目を丸くしてマキナに尋ねる。
「藤野さんがこういう事をやる時って、面倒だとか、恥ずかしいっていう感情は湧いてこないのか?」
アキラは大多数の生徒が考えていると思われる事を代弁してみた。マキナは少しの間考えたがやがて首を左右に振った。
「ううん、そんな風には基本的には考えないかな。ほら、私って結構単純じゃん? だから面倒だとか、恥ずかしいって考える前に、とにかく自分がやらなきゃって考えに至るんだよね。今回のゴミ拾いは、さっき教室でアユナちゃんが困っていたから、私が助けてあげなくちゃって思ったの」
アキラは先ほどのホームルームで、誰も挙手をしてくれずにあたふたしていたアユナを思い出した。
「じゃあ、梶原を助けるために自分が立候補したんだな」
「うん。後は今言った、誰かのために役に立てたという快感のために、かなぁ。あっ、でもこれは自分のためなんだけどね」
「「いやいや!」」
アキラとアユナが同時にツッコミを入れる。
「誰かのために役に立てたって思える時点で思いっきり、他人のためですがな! いや、普通の女の子じゃそんな考え方はできねえよ!」
「凄い、凄いよマキナ! さっすがあたしの友達だよ!」
二人に誉めちぎられたマキナは、恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「そ、そうかなあ……私としては普通にやってるつもりなんだけどね……」
「マキナも生徒会来ればいいのに。マキナみたいな頑張り屋さんは大歓迎だよ?」
「え~無理だよ~。私、難しい仕事とかできないし。それに家の手伝いとかで忙しくてできそうにもないし……」
それを聞いたアユナは、「あー」と納得したように返事をした。
それから三人は荷物を取りに教室へ戻る。
現在の時刻は午後五時半。これから夏にかけて次第に日照時間が長くなっていく。この時期の校舎は冬に比べて薄明かるい。
三人は制服に着替え、荷物を取ると教室を出た。アユナはこれから部室に用事があるらしく、ここで別れる事になった。
「じゃあ、あたしはこれで! マキナも宮葉君も今日はありがとうね!」
アユナは二人に対してお礼を言う。身長が百五十センチに満たない彼女は、満面の笑みで二人を見上げた。そのボーイッシュな雰囲気は、周囲を奮い立たせてくれそうだった。
「いいって事よ」
「こちらこそ~」
二人の返事を聞いた後、アユナは表情を少し落ち着かせてアキラを見つめる。
「後ね宮葉君、クラスの人の悪口なんて気にしちゃダメだよ? 宮葉君は自分の意思でこの活動をやったんだから、もっと自信を持ちなよ!」
クラスメイトから罵声を浴びせられて堪えたのを察したのか、アユナは優しい言葉を投げ掛けた。アキラは思わず頬が緩む。
「な……べ、別に気にはしてねえから大丈夫だって」
慌てて否定するアキラを見たアユナはクスッと笑った。
●
別れの挨拶を終えたアユナは部室棟へ向かって行く。
「じゃあ、藤野さん帰るか」
「うん、そうだね」
アキラはマキナと共に昇降口へ向かう。
今回の件でアキラは大きな一歩を踏み出せた気がした。もし先ほどのホームルームの時にアキラが挙手をしていなかったとしたら、次はいつマキナと共に行動ができるか分からない。
学年内でトップクラスの知名度を誇るマキナの手伝いをするというだけで、周囲からの反感を買ってしまうというリスクは存在する。だがそんなリスクを覚悟でこの活動に参加した価値は、充分にあったと確信した。
人気の無い廊下を男女二人が歩く。噂好きの生徒も口うるさい教師も居ないので、アキラはいつも以上に堂々とした気持ちで歩く事ができた。
隣を歩くマキナはというと、アユナと別れてから急に口数が少なくなっていた。そして頬が若干赤くなっており、俯き気味に歩いていた。まるで、アキラを直視するのが恥ずかしい、そして自分の顔を正面から見せるのが恥ずかしい――そんな風に考えているようだった。
「何だかな~」
もっとマキナと話していたいという欲に負けたアキラは、歩きながら呟く。
マキナは何か考え事をしていたのか、三秒くらい経った後でえっ? という反応を示した。不思議そうな顔つきで首を傾げるマキナに対して、アキラは言葉を続ける。
「藤野さんって俺から見たら非の打ち所がねえよ。優しいし可愛いし――あっ、これは買いかぶりなんかじゃねえぞ。学年の連中から好かれるのも無理はない気がするぜ」
アキラの言葉には嘘偽りはない。
マキナはアキラの方を向き、両手を使って否定した。
「そ、そうでもないよ~」
「いいや、俺なんかとは大違いだ」
「そんな事ないよー。宮葉君だっていいところあるじゃん」
「えー? どんなとこ?」
アキラはマキナに対して答えを望んだわけではないが、何故か自然と自分の長所を挙げてもらおうとしていた。
マキナは歩きながら、アキラの目を何度もチラ見した。
「まず今日みたいに自分から率先して奉仕活動をするところ、スタイルがいいところ、顔が格好いいところ――」
マキナの口から出るものは、アキラにとって根拠の無いものばかり。
アキラは自らの容姿に関しては自分が特別カッコいいなんて思った事はないし、今回のゴミ拾いに関しても、マキナやアユナが参加するからそれに便乗して自分も参加を宣言したまでだ。正直、生徒達から好かれようと思って参加をしたわけではない。それなのに、マキナはそれをアキラのいいところとして数えている。
「後ね、宮葉君はどんなにイライラしていても、物に当たる事はあっても人に当たる事は絶対にない……って事かな?」
マキナの表情が真剣になる。
「人間は余りにも苛立ってくると、他人に八つ当たりしたり、傷つけたりしちゃう。けれど宮葉君は、他の生徒達から色々言われても、無関係の人に当たったり傷つけたりする事は無い。宮葉君はどんなに辛くても、怒りに打ち勝つ事ができる、そんな人だと思っています……」
その後は再び、しばしの間沈黙が続いた。
アキラはこの言葉の意味が咄嗟に理解できず、マキナもまた、自分で言った言葉なのに関わらず、その意味を考えてしまう。
誰も居ない廊下には、二人の足音が虚しく響き渡るだけ……
やがて二人は階段を下り、購買部のある学食を通り過ぎ、昇降口に戻って来た。無言で靴を履き替え、校舎の外に出た。
巳川高校の校舎は夕焼けに染まっており、昼間とは雰囲気がまるで違っている。
昇降口から校門までの距離は約百メートル。相変わらず二人は無言のまま、校門へと歩いていく。
アキラは今日自分自身がした事に対して満足していた。同じクラスの中に居ても物凄い距離感を感じてしまうマキナと、共に行動をする事ができたのだ。今のアキラからしてみれば、こうやって話ができただけ充分、そんな風に思っていた。
自分を変えて先へ進み、目的を達成するにはそれ相応の努力が必要だ。アキラの目的へはまだ程遠いが、今日の出来事で確実に一歩を踏み出せたのは確かだった。
だったら少しずつ行動を起こして、マキナと関わる努力をすればいい。時間はかかるかもしれないが、アキラはそれでもいいと感じた。すぐにマキナに告白せずとも、しばらく片思いを続ければいいのだ。
(誰が誰に片思いをしようとも、そいつの勝手だよな……)
アキラは満足げに鼻で笑った。
「じゃあな藤野さん、また明日!」
校門を出たアキラはマキナに向かって別れの挨拶をする。マキナの帰り道はアキラとは反対側だ。
「あっ、宮葉君ちょっと待って」
マキナは鞄の中に手を突っ込んだ。
取り出したのはクリアファイルだった。中には広告のようなものが何枚も入っている。
マキナは中から一枚を出し、アキラに差し出す。受け取ったアキラはそのチラシを見やる。
そのチラシには豪快な文字で、料理名と値段が書かれていた。更に下の方には『このチラシを見せたら全品一割引』とデカデカと書かれている。まるで料理の紹介よりもこの一割引の事を宣伝したいと言わんばかりの筆跡だった。
「え~と、藤野さんこれは?」
アキラが首を傾げながら尋ねると、マキナは嬉しそうな笑顔を見せてきた。
「私の家が食堂やってるのは知ってる?」
「あ、ああ」
「宮葉君にも店の料理を食べてほしいから、時間があるときに来てくれれば嬉しいなーって思って――それは宣伝用にお父さんが作ったチラシ。学校の友達にも宣伝してるんだ~」
「へえ……」
マキナの顔の広さが改めて伺える。
「後ね……」
マキナは突然顔を伏せて呟いた。
「宮葉君ともっとお話ができたらいいな~って思ったりして……」
アキラは今の今まで、今日行った奉仕活動だけで充分マキナに近づく事ができたから、これ以上無闇やたらにアプローチをかけるのは逆効果だと思っていた。
なのに向こうがアキラに話がしたいと近づこうとしている。
マキナの意図がよく理解できない。理解はできなかったが……
「えっ? マジで店に行っていいの?」
「うん、前々から宮葉君にうちの店の料理の味をみてもらいたいって思ってたんだ~」
「うおーっ、やったっ! 俺何でも食っちゃうよ!」
「えへへ、待ってるよ~」
アキラのテンションは最高潮だった。何故なら、自分が片思いしている女の子にまた一歩、近づく事ができるのだから。
何故いきなり話がしたいなんて言ってきたのかは分からないが、少なくともアキラを貶めようとする考えなんて微塵もないはずだ。
マキナは誰に対しても優しく接する事のできる少女だということは、アキラだって百も承知だ。そんな彼女がアキラに敵意を持っているとは、到底考えられなかった。
アキラはチラシを丁寧に折り畳んで鞄の中に入れる。
「ありがとうな、明日にでも行っていいか?」
「えっ、明日来てくれるの?」
マキナはまた頬を紅潮させた。それを見たアキラは、反則的に可愛いなと心の中で呟く。
「み、宮葉君だったら、大歓迎だよ!」
若干口ごもりながら、マキナは歓迎の意を延べた。
「そうか、誘ってくれてありがとな!」
「ううん、こちらこそ。喜んでくれて嬉しいよ」
「……まあ、善は急げって言うしな」
二人はお互いに笑顔を見せあったのだった。
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その後マキナと別れたアキラは、一人帰り道を歩く。
店の事が気になり、思わず鞄の中からチラシを取り出した。
マキナの店の名前は『るんか』というらしい。チラシの右下には店名に電話番号、そして大まかな地図が書かれていた。
とにかく、自分の好きな女の子の家に行けるとは、まるで夢物語のようだ。マキナとはどんな事を話そうかということばかり考えながら、再び足を動かした。
その足取りはこれまでにないくらい、軽快なものだった。