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教師の鑑

 アキラは上原先生の後をつきながら、長い廊下を歩いていた。両手には亀裂の入ったヒロヤの机……

 学校内は一限目の授業に入ったばかりなので、廊下は閑散としており、人影は見当たらない。

 アキラと先生との距離は約二メートル。この先生とは特別仲が悪いわけではなく、むしろ教師達の中では数少ないアキラの理解者なのだが、何にしろ大事を起こした後である。馴れ馴れしく横並びで歩けるはずもなかった。

 上原先生はやがて廊下を突き当たり、階段を降り始める。一階にたどり着くと、そのまま階段下にある倉庫に向かった。

 倉庫の扉は木製で、指が引っ掛かるかくらいの取っ手が取り付けられていた。正直男子一人が体当たりをかましただけで、強行突破できそうなほどその扉は脆く見えた(アキラにはいつ壊されてもおかしくない)

 倉庫の扉を開けると、室内からホコリが吐き出された。上原先生とアキラは軽くむせる。宙に舞うホコリを振り払いながら、アキラは倉庫の中を覗き込んだ。

 中にはひしゃげたバケツや潰れたバスケットボール、真っ二つにされたホワイトボードに柄をボキボキに折られたモップ等、もう使えそうにない用具達がところ狭しと置かれていた。

 そこは言うなれば道具の墓場……


「あっ……」


 アキラは倉庫の中の用具を見た途端、思わず声を漏らした。アキラが壊した覚えのあるものが、いくつか混じっていたからだ。

 怒りにまかせて本能のままに暴れて壊してしまった用具達。本来はもっと使えるはずであった用具は、アキラの手によって使えなくなってしまった。

 こうやって上原先生にこんな光景を見せられると、あれだけ暴れていた自分をぶちのめしたくなった。かつてのイライラは今思えば、暴れるのがバカらしく感じるほど些細な事だったのだから……



 アキラは用具から上原先生に恐る恐る視線を移す。先生は「ホレ」と言って机をよこすようにジェスチャーをした。

 先生はアキラから机を受け取ると、ひっくり返して、予め置いてあった机の上にドスンと乗せた。

 机を片付け終えた上原先生は、フゥーとため息交じりの深呼吸をして手についたホコリを叩いて払った。そして木製の扉を閉めると、正面の廊下を指差した。指差した先は多目的教室だ。今の時間は使っておらず、誰も居ない。



 教室の隅っこには生徒が使う机が重ねられている。この机を三階まで運んでいくのか、とアキラが考えていると突然上原先生が話しかけてきた。


「んで? あの毒舌久坂に何て言われたの?」


 前触れもなく話しかけられた上にあまりにも単刀直入な質問だったので、アキラは思わずずっこけそうになった。


「な、何で知ってんだよ! エスパーかあんたは!」


 アキラは顔を少し赤らめ眉間に皺を寄せた。


「フン、アタシが教室に着いた時、あんたと久坂が仲良く気まずそうな反応をしてたから、ああこれは久坂に何かしら暴言を吐かれて喧嘩になったって思ったの。図星でしょ?」


 上原先生は顎に手を当てて白い歯を見せる。アキラは先生の勘の鋭さに舌を巻くしかなかった。


「でもあの教室での荒れようは単にイライラしてたってわけじゃなさそうね。一体何があったのよ?」


 先生は先ほどまでの勝ち誇った目つきから一変、アキラを心配するような優しい目つきに変わった。その姿は、思い悩んでいる生徒の相談に乗っている教師そのものだった。

 アキラは壁を背に腰を下ろし、重たい口を開く。


「……俺が大切に思ってる人を、あいつはバカにしやがったんだ」


 今まで心を閉ざしていた人間が、初めて相手に対して心を開く時のような弱々しい口調だった。


「ヒロヤの口の悪さは一年前から知ってる。俺だって最初はカチンときてバカみたいに喧嘩したりしてたけど、いちいちあいつの毒舌にかまってなんかいたら疲れるだけだって思うようになった。だからあいつの言う事なんて軽く流しているつもりだった……」


 そこまで言ったアキラは一旦言葉を止めてため息をついた。上原先生も窓のふちに背をもたれて、腕を組みながら話を聞いている。

 アキラは少しの間俯いていたが、やがて意を決したのか、上原先生を見ながら続きを話す。


「けどあいつは、ヒロヤは、俺が心から好きになった相手に対して「真剣さが感じられない」とか、「イヤイヤ付き合わされている」って言い放ちやがったんだ! 俺だけへの暴言ならまだ我慢できたけど、まさかあいつが女の子に対してそんな事言うとは思わなかった! ムカつきもしたけど、それと同時に悲しかった。あいつとも喧嘩したりはするけど、根っからの悪いやつじゃないって思ってた。誰かを心の底から傷つけるやつじゃないって思ってた! なのに、ヒロヤは心を傷つける事を言いやがったんだ! それが悲しかった!」


 アキラは拳を握りしめ、唇を強く噛み締めた。この時アキラが出したのは、正真正銘の悔しさ、そして怒りだった。

 今までいい加減に生きてきたアキラは、イライラや鬱憤が溜まる事はあっても本気で怒りや悔しさをあらわにするなんて事は、少なくとも学校生活の中ではなかった。ましてや誰かの為に本気で感情を曝け出すなんて事は、かつてのアキラには無縁も甚だしかった。

 なのに今のアキラは、マキナのためにヒロヤに対して怒った。教室の扉に拳の跡を残したのは、初めてアキラが他人の為に怒った瞬間だった。


「そう……そんな事があったのね……」


 上原先生は首を深く縦に振った。そしてアキラの隣に移動し、そっと肩に手を当てた。

 アキラは言いたい事を吐き出す事ができてスッキリしたのか、怒りの形相が和らいでいた。


「相手が誰かは聞かないけど、あなたはよっぽどそのコの事が好きなのね」


 先生の優しい声はアキラに安心感をもたらす。


「……ああ。実はそのコと昨日デートに行って、お互いが好きだって事を再確認したんだ。ほら、これがその時の証……」


 アキラはそう言いながら、ブレザーの右袖を捲る。右手首に巻かれた蛇のイラストが描かれたリストバンドを先生に見せた。

 アキラの顔に少しずつ笑顔が現れ始めている。


「へぇ、宮葉にそんな決意があったなんてね。感心したわ。隕石でも降り注ぐんじゃないの?」


「俺を破壊神にするなよな」


 冗談を言う上原先生を、アキラはニヤニヤしながら肩でグイグイと押す。

 上原先生はしばらく笑い声を上げていたが、やがて表情を元に戻し、天井を見上げながら言った。


「でもさ、お互いが好きだという事を確認するくらいなら、そのコもあなたの事が好きなのね――相手はうちのクラスなの?」


 先生の唐突すぎる質問にアキラはうっかり首を縦に振ってしまう。アキラはしてやられたと再び唇を噛み締めた。

 一方上原先生は、再び顎に手を当ててほくそ笑んでいた。きっと心の中で大笑いしているに違いない。


「だったら今頃そのコ、久坂にこっぴどく説教でもしてるんじゃない? よくも私の彼氏にあんな事言ってくれたわね! ってね。付き合ってる相手の事を悪く言われて嫌なのは、そのコだって同じなはずよ?」


 上原先生は淡々と語り続ける。


「それに、宮葉みたいな粗暴で凶暴な生徒と付き合うなんて、そのコは相当の度胸と覚悟を持ち合わせているはず。だから久坂ごときに悪口を言われただけでくじける性格とは思えないわ」


 アキラには何だかさりげなく罵倒されたようにも聞こえたが、それでもしばらく先生を見つめて何も口に出す事ができなかった。何故なら先生が何の迷いもなく自信満々に推測をしているからだ。それはまるで、推理小説に出てくる探偵のよう……


「そ、そうかな?」


 アキラはようやく上原先生に言葉を返す事に成功した。


「まあ、少なくとも久坂はしばらくそのコに頭が上がらないと思うわ。だからね、あんた達は久坂の悪口とか周りの目なんか気にせずに恋愛を続ければいいって事」


 上原先生は言い終わると、腰に手を当てて伸びをした。そして教室の後ろに積まれた机を指差した。


「さ、机を持って教室に戻るわよ。あんまり遅くなると授業サボりになっちゃうからね」


「あ、ああ……」


 アキラは渋々と逆さまに積まれた机を引っ張り出し、ひっくり返して両手で持った。そして先生の後をついて階段を登り、アキラの教室を目指すのだった。



 ●



 三階にある二年二組の教室を目指す上原先生とアキラの足音が、誰も居ない階段に響いている。

 先生と話ができた事もあり、来るときよりは気まずいムードではなかったが、教室で暴れてしまったのは事実である事に変わりはない。クラスメイト達からの軽蔑の視線攻撃は避けられないと思ったアキラの足取りはまだまだ重たい。



 アキラはヒロヤの事を階段を登りながら考える。

 確かにマキナの事を悪く言ったのは、アキラでも許す事はできなかった。それはアキラにとって自分が完膚なきまでに痛めつけられる事よりも辛いからだ。

 しかし、もし自分がヒロヤの立場だったとしたらどうだろう?

 学年一の器物破損の問題児であり、かつ無気力の塊である存在が、学年一の知名度を誇り、かつクラスのアイドルとも言える存在とカップルになったという話を聞いて、不愉快にならない事なんてできるだろうか?

 そしてそんな話を聞いて、不釣り合いな二人の恋愛感情をすぐさま受け入れ、信じる事なんて果たしてできるだろうか?

 アキラは自問自答をしているうちに、ヒロヤに共感をしていた。ヒロヤは本当にマキナを守ろうとして、アキラを戒めようとしていただけではないのか?

 だとすると非があるのは、その戒めを受け入れようとしなかった自分自身……


「先生……俺、ヒロヤに謝った方がいいかな?」


 階段を登りきったアキラは、前を歩く上原先生に声をかけた。先生は立ち止まって振り返り、アキラの方を見る。


「いいや、今回の件は久坂の方に責任があると思うわ。宮葉の神経を逆撫でしたのは向こうだもの。逆に言うとあんたの彼女に説教されて久坂の方が謝ってるんじゃないかしら?」


「なんじゃそりゃ?」とアキラは心の中でツッコんだ。


「まあ、あんたがそこまで気負いする事もないと思うわよ。あ、でも久坂以外のクラスメイト達には教室に戻ったら、騒ぎを起こした事を謝る事! これは絶対にやらなくちゃダメ! 社会に出るための鉄則よ!」


 肩を叩いてくる先生に対して、アキラは「はい」と自信なさげに返事をした。先生は納得するように首を縦に振る。


「あとはあんたがすべき事は――そうね、相手を認める事かしら……」


「えっ?」


 アキラは上原先生の言葉に首を傾げるが、先生はクスッと笑みを見せて、


「ま、これはあなたで考えた方がいいわよね」


「えー、何だよそれ?」


 アキラは先生の意地悪に口をすぼめるが、これ以上聞き返そうとは思わなかった。アキラにとって上原先生と恋愛相談ができただけで充分満足だった。もし今回の騒ぎの時、駆けつけたのが上原先生でなかったなら、これ以降もずっと誰にも話せずじまいだったのかもしれない。

 アキラはこの幸運に、そして上原先生に素直に感謝をする。

 喋り方はオネエだが、口調とは裏腹にアキラのような生徒にも分け隔てする事なく、親身になって相談乗ってくれる。

 他の教師からは常に冷たい目で見られているアキラは、この先生が担任でよかったと心から思う。

 なのに自分は、こんな先生に何度も迷惑をかけている。物は壊し、授業はサボり、常に傍若無人な態度をとり周囲を見下していた。

 トボトボと机を運ぶアキラは、心の中の罪悪感が少しずつ増幅していった。


「……先生」


 アキラは目の前を歩く上原先生に声をかける。スーツを着た先生の背中は、いつもよりも一回りも二回りも大きく見えた。


「な~に?」


 先生は再び足を止め、アキラを横目で見る。背後から何度も声をかけるのはアキラとて気が引けたが、こればかりは先生に言わずにはいられなかった。


「あ、いや、いつもいつも迷惑かけてごめん……」


 この言葉は上原先生に対する初めての謝罪だった。

 照れ臭そうに、申し訳なさそうに頭を下げているアキラを見て、先生はいきなり吹き出した。


「あははっ、本当どうしちゃったの? 宮葉」


 アキラの謝罪が上原先生からは余程ひょうきんに見えたのだろう。しばらく笑いが止まらなかった。

 ようやく落ち着きを取り戻したのか、アキラに向き直って言った。


「ま、今までの事なんか気にする事ないわよ。宮葉がぶっ壊した物なんて、さっきの倉庫にブチ込んどけばいいんだからね」


 先生はそう言ってアキラにウィンクをする。更にそれに(・・・)と付け加えて、


「あんたが拳の跡を付けた教室の扉は、『教室にスズメバチの大群が入り込んできて、アタシがパニックになって暴れて扉をぶん殴りました』とでも言っておくわ。これであんたはお咎めなしよ」


 上原先生の悪知恵にアキラは「なっ!?」と無意識に声を出してしまい、同時に両手で持っていた机を床に落としてしまう。鈍い音が廊下全体に響き渡った。


「そ、そんな事までしてくれるのかよ?」


 慌てて机を拾い上げるアキラをよそに、上原先生は何やら不敵な笑みを浮かべている。


「当ったり前じゃない! 生徒の面目を守るためなら、何だってするわ!」


 教室で起きた騒動をスズメバチのせいにするのはどうかと思ったが、アキラは先生の「教師の鑑」とも思える態度に目から鱗だった……

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