言っていい事と悪い事
「誰でもいい! 文句のあるやつは片っ端から相手にしてやらぁ!」
アキラが椅子を高々と掲げたのを見たクラスメイト達は、悲鳴を上げる。アキラの視界に映っていた生徒は、速やかに避難を始めた。
アキラは怒りで目の前が見えなくなったのか、椅子を真正面に放り投げた。投げられた椅子は、その先の机に激突する。ガシャンという音が教室内に響き、机はいくつか倒れて教科書が溢れ出てくる。
生徒達は更なる悲鳴を上げたが、アキラはそんな事はお構いなしに、近くにある机も蹴り飛ばす。机は大きな音をたてて弾かれ、机上にはヒビが走る。
アキラの暴れっぷりを見た生徒達は、成すすべもなく戦慄しているだけだった。それはマキナやアユナも例外ではなかった。
ミサは、「やれやれまた始まったよ」という表情でアキラを見据えている。
そんな状況の中、ヒロヤは相手の精神を直接攻撃するかのように言葉を紡ぎ出す。
「とことん馬鹿だなお前! そんな事をしたら余計に嫌われる事が分からないのか!?」
言葉の意味もろくに理解できていないアキラは、ヒロヤに突っかかろうと胸ぐらを掴む。そしてそのままヒロヤを押しながら、窓際まで追い詰めた。ヒロヤは窓の縁に勢いよく頭をぶつけた。
クラスメイト達からは、「宮葉、やりすぎだ!」「ぼ、暴力沙汰だ!」という声が繰り返される。
が、アキラの威圧にヒロヤはまだ怯まない。それどころか、更なる罵声を発せようとしている。
「悔しかったらそのひん曲がった性格を治したらどうだ? ハッ、そんな無様な姿を藤野さんが見ているところで見せたりなんかしたら、彼女はさぞガッカリするだろうなぁ……」
ヒロヤは一瞬、視線をマキナの方に移す。アキラはマキナの事が頭をよぎり、ハッとなり掴んでいた手を緩めた。
しかしヒロヤは、それを待っていたと言わんばかりに冷たい笑みを見せ、次の瞬間アキラの脛に蹴りを入れた。
「痛ぇ……!」
アキラは声にならない悲鳴を上げた。そんなアキラに追い討ちをかけるが如く、ヒロヤはアキラの左脇腹にミドルキックを入れる。アキラは思わず咳き込んで悶えるが、倒れない。
「ふうん、馬鹿力と打たれ強さは噂通りみたいだな」
ヒロヤは、脇腹を抱えるアキラに対して冷ややかな目線を送っている。
「まあ、そんなものがあったってお前に守れるものなんて何一つないけどな」
マキナを守る誓いを立てたアキラにとっては、この言葉は最も残酷なものだった。いくらすぐには周囲からは認められないだろうと予測していたとしても、守れるものなんてないなんて事を言われたら、アキラだって我慢ならない。
アキラは立ったままヒロヤを睨む。
「俺だけへの暴言ならまだ我慢できたんだけどな、お前はマキナちゃんをバカにした。真剣さがないだと!? イヤイヤ付き合わされているだと!?」
アキラは奥歯を噛みしめながら喋った後、再びヒロヤの胸ぐらに掴みかかった。目つきは先程よりもずっとずっと鋭い。
流石のヒロヤも恐怖心を抱いたのか、唇が僅かに震える。
「マキナちゃんは言ってたよ、俺が好きな気持ちは誰にも負けないって。それと同時にな、俺だってマキナちゃんが好きな気持ちは誰にも負けない! 俺はマキナちゃんが大好きなんだ!」
アキラはヒロヤを窓に押さえつけながら、周囲にも充分聞こえるような大きな声で、己の信念を高らかに語った。
その教室内を震えさせる程の怒号は、目の前のヒロヤに恐怖心を与える。ヒロヤの唇の震えは先程よりも激しくなり、視線は泳ぎ始める。アキラの威圧に、ヒロヤは反撃をする事ができなかった。
その時マキナが二人の間に割り入って喧嘩を止めようとする。
「もうやめて! 私の事でこれ以上争わないで! 久坂君もこれ以上アキラ君を責めないで!」
マキナの目はいつもの優しい目付きではなく、ヒロヤを怒り、アキラを守りたいという決意に満ち溢れている。
「マキナ! ヒロヤは宮葉君がマキナに変なことをさせないためにああやって――」
アユナは後ろからマキナに話しかける。が、マキナはアユナを鋭く睨み言い放つ。
「アユナちゃんも、そんな事言わないで! それ以上そんな事言ったら……私……怒るかもしれない!」
マキナはアキラを思う気持ちのあまり、アユナを強く戒めてしまう。
アユナはマキナの怒気に思わず青ざめて、二、三歩引き下がってしまった。
教室内はマキナの声によって、しんと静まり返った。
アキラはマキナの真剣さに感服するばかりだった。
親友であるアユナにまで、あれほどの剣幕で注意をしたのは、「アキラはマキナに悪さをする人間」という偏見を持つことが許せなかったのだろう。マキナはそんな感情を糧に、アキラのプライドを必死で守ろうとしている。
この時アキラの頭の中で、マキナの声がこだまする。
『アキラ君だけに全てを背負わせるつもりはないよ』
こんな事は限りない程の愛する心と思いやりがなければできないと、アキラは思う。
マキナは教室の中央に移動した。
アキラとヒロヤはマキナを見据える。熱がある程度は冷めたのか、二人の表情は落ち着いていた。
静かになった教室は、大声なんて出さなくたって教室のどこにいても聞こえるだろう。なのにマキナは、教室どころか校舎全体に聞こえんとする咆哮で己の決意を発した。
「アキラ君はっ! みんなの前で本当の思いを伝えましたっ! だからっ! 私もここで本当の思いを伝えますっ! 私、アキラ君の事が大好きですっ!」
クラスメイト達は、「何もそこまで大声出さんでも聞こえとるわ!」とでも言いたそうに、驚きを隠せない様子だった。
「マキナ……」
後ろにいるアユナは呟く。
「フン……アホの子が」
教室の入り口にいるミサは、顔をニヤつかせながらマキナに向かって呟いた。
●
始業のチャイムが校舎内に鳴り響く。それと同時に……
「誰!? 教室で騒いでるのは!」
突然教室の入り口から上原先生が現れた。高身長で美形の上原先生は、アキラに破壊されかけた扉の近くに腕を組んでいる。
アキラとヒロヤは「ヤベッ!」と揃って呟き、上原先生を見つめている。
二年二組の生徒達は、不安そうな面持ちでアキラ達と上原先生を交互に見た。
(はは、やっちまった……)
アキラはもう笑うしかなかった。
アキラは上原先生にここまで暴れるつもりは最初から無かったと弁解をしたかったが、今この状況を目の前にこんな弁解をしても単なる言い訳にしかならない。
「で、教室をこんな風にしたおバカさんは誰?」
上原先生はため息をつきながら教室内を軽く見渡し、その後アキラ達を睨みつけた。もうアキラ達がやらかしているのは既にお見通しだ。アキラは潔く降伏する事にした。
「俺がやった……」
アキラは覇気のない声で右手を挙げる。すると、隣にいるヒロヤも右手を挙げた。
上原先生は「ほう」と何故か感心した声を出した。
「分かったわ、じゃあこの扉を壊したのは?」
「それも、俺がやった」
先生の質問にアキラは誤魔化す事なく答えた。
その後上原先生は教室の中に入ってくる。そしてメチャクチャになった机達を見渡す。
「机は?」
発音にしてたったの四文字。そのまんま過ぎる質問を受けたアキラは、「それも俺だ」と話す。
「ふーん、じゃあこのヒビが入った机って誰のだっけ?」
「……それは、僕のです」
返事をしたのは、隣にいるヒロヤだった。
「だったら宮葉にどうにかしてもらわなくちゃね。久坂、とりあえず机の中から教科書とか全部出しなさい」
ヒロヤは元気なく返事をして、机の下から教科書や筆記具等を全て取り出した。
「よし宮葉。その壊れた机を持ってきなさい」
指示をされたアキラは先生に反論をする事もなく、ヒビの入ったヒロヤの机を運んで教室の入口へと歩み寄った。先生はそのままアキラを連れて行こうとしたが、「あっ」と何かを思い出したように振り返り、クラスの生徒達に呼びかけた。
「みんなはしばらく自習してなさい」
それだけ言って上原先生は、アキラを連れて教室から出ていってしまった。
クラスメイト達は、アキラに対して多少の憐れみの気持ちがあったらしく、「ああ、こんなにやっちゃ叱られるどころじゃ済まねえな」「可哀想に」という事を口々に話しだした。




