明日に備えて……
蛇のイラストが描かれたリストバンドを着けた二人は、百貨店を後にする。別の百貨店をハシゴしようとも考えていたが、二人で話し合った結果、午後は駅前のカラオケで時間を潰す事になった。
アキラは女子と二人でカラオケに入るのは初めて――というか、これまであまりカラオケに行った記憶がない。中学校の時にクラスで行った事があるくらいだ。
カラオケにほとんど行かないのは、別に歌うのが嫌いというわけではなく、皆でワイワイするのが苦手なのである。
マキナはカウンターで手続きを済ます。
幸い一つだけ小部屋が空いており、三時間以内なら入る事ができるという。二人で三時間ならば思う存分に歌う事ができる。
アキラはこの部屋が埋まる前に来て良かったと胸を撫で下ろした。
ついでに二人分のセルフサービスのフリードリンクを付けてもらった。部屋に向かう前に一階のドリンクバーでジュースを調達。
「ねー見てみて! カルピスにコーラを注ぎ足してみましたー」
マキナはグラスを振って見せびらかしてくる。
「い、色ヤバイ事になってるけど大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫! この組み合わせは鉄板だから!」
アキラは名状しがたい色になった飲み物を、まじまじと見つめる。ドリンクバーならば頻繁に行っているファミレスでよく利用しているのだが、ジュースを調合するなんて発想はなかった。
「よし、俺もやってみよーっと!」
アキラは空のグラスを手に取り、メロンソーダとコーラを一対一の割合で注ぐ。
「あっ、この組み合わせも結構いけるよー!」
「へぇ、何でも知ってるんだな」
「えへへ~。ほめてほめて~」
可愛らしくマキナに甘えられたアキラは、思わずグラスを落とそうになる。いつまでもここでじゃれあっているのもなんだと思ったアキラは、指定された部屋に向かうよう促した。
「へえ~。今のカラオケってこんな風になってるんだな」
小部屋の扉を開けたアキラは、久しぶりのカラオケルームの雰囲気に感嘆をする。
アキラの予想外の反応にマキナは首を傾げる。
「ん? アキラ君ってカラオケに来るの初めて?」
「まあ、来た事はあるけど数年ぶりかなぁ」
「ふ~ん」
アキラに続いて部屋に入ったマキナは、席を指差して勧めた。
小部屋といっても、二人ならば充分にくつろげる広さはあった。
二人はテーブルを挟んで向き合うように座る。アキラは早速テーブルの上に置いてあるメニューを開いた。
「金払うからさ、二人で何か食べね?」
アキラはメニューのページをパラパラと捲りながら、グラスの中の調合ドリンクを一口飲む。
「えっ? いいよー。二人で食べるんだったら割り勘にしよ?」
「いいっていいって。食べるって言い出したの俺だし、つまみくらいだったら払えるぜ」
「本当? マジでありがとう!」
マキナはソファーの上で体を浮かせて喜んだ。その姿はまるで、欲しい物を親から買って貰える時の子供のよう……
アキラからしてみれば、マキナの喜ぶ姿が見られるなら、一度や二度の奢りくらい安いものだった。
二人で話し合った結果、フライドポテトを二皿頼む事にした。
運ばれてくるまで時間があるので、アキラはマキナに曲を選ぶように勧めた。
それからは交互に歌を歌っていく。歌わない時は機械を使って急いで曲を選ぶ。二人だけだと待っている時間が短いので、かなりの曲を歌う事ができた。流石に歌いっぱなしだと疲れるので、休憩を挟みながらのんびりと過ごした。
「このカルピスコーラ、案外イケるかもな! さっきのメロンソーダとコーラのやつも良かったけど」
アキラはマキナがやったジュースの組み合わせを真似して、未知の味にチャレンジをしていた。
アキラの評価は良好。物は何でも試してみるものだ。
「でしょう? やっぱ炭酸ものは何でも合うんだよね!」
マキナはメロンソーダとコーラの合成を飲みながら答えた。
しばらくすると、注文したフライドポテトが届いた。ポテトの乗った皿の上には、ケチャップとマヨネーズがたっぷり盛られた小皿が置かれていた。
予想外のボリュームに、二人は目を輝かせる。二皿頼んだので、一人一皿を遠慮無く平らげる事ができるのだった。
それからもお互いに、巷で流行っている歌を歌いあった。
二人しかいないので、若干盛り上がりに欠けるとアキラは思っていたが、部屋にあったタンバリンがいい仕事をしてくれた。歌のリズムに合わせてジャンジャンと小気味よい音が鳴り響き、部屋の中はちょっとした熱気に包まれた。
二人とも心から楽しい時間を過ごす事ができたようだった。
●
時が経つのは早いもので、現時刻は午後五時半。カラオケに入ってから二時間半が経とうとしている。やはり楽しい時間は、何でもない時間に比べると短く感じられる。
流石に歌い疲れたのか、二人はソファーの上でぐったりとしていた。二皿注文したフライドポテトもすっかり底をつき、グラスの中も空っぽだった。食べる気力も歌う気力も全て出し尽くしたと感じた二人は、お開きにする事に決めた。
マキナは伝票と部屋番号の札を手に持った。アキラは会計の際、二人のフライドポテトの分のお金を出す。
二人は会計を済ませ、カラオケを出た。
町中はアスファルトやビルが夕日に染まっていた。西の方を見てみると、眩しい日光が沈みかけている。町行く通行人も帰宅ラッシュなのか、駅に向かう人々が多い。
「奢ってくれてありがとうアキラ君」
カラオケの前で、マキナはアキラにお礼を言う。アキラは「構わんよ」と何事もなかったかのように返した。
「今日は楽しかった?」
「もっちろん!」
マキナからの質問にアキラは即答する。アキラから見れば、楽しいの一言では済まされない程だった。
「ごめんな、昨日はこっちが一方的に誘っちまって……」
「ううん、全然気にしてないよ。むしろアキラ君と遊べて良かった。付き合いの証も手に入った事だし!」
マキナはニコッと笑顔を出し、蛇のリストバンドを着けた右手をアキラに見せる。
「明日、頑張ろうね!」
「お、おう!」
マキナの「頑張ろう」が何を意味するのかは、アキラはとっくに把握済みだ。お互いに強い気持ちを込めて、右手首同士をぶつけ合った。
「じゃあ、そろそろ帰ろっか!」
「おっけー!」
二人は並んで駅を目指す。
今日は一生ものの思い出になってもおかしくないくらい、印象に残る日であった。アキラにとってこれほど楽しい日曜日など、今までなかったのだから。
アキラはマキナと別れるまで、デートを堪能するつもりだった……
●
二人は電車に揺られ、マキナの家の近くの駅を目指す。夕方遅くという事もあり、車内は非常に混みあっていたが、それでも二人仲良く談笑しながら過ごす事ができた。
三十分かけてようやく目的の駅に到着。無人駅のホームを出れば見慣れた田舎の町並みだった。
せっかくなのでマキナを家まで送っていくことにした。
申し訳なさそうな顔をしたマキナだったが、アキラが「誘ったのは俺だから最後まで見送らせてくれ」と伝えると、頬を赤らめて喜んでくれた。
オレンジ色のパーカーと白のブラウスのコンビは、閑静な田舎の住宅街でもそれなりに注目を浴びた。周囲の反応は主にマキナに対する羨望と、アキラに対する畏怖だった。
確かに客観的に見れば、怖くて不健康そうな形相のお兄さんが可愛い女の子といちゃついている図が成り立っている。
しかしアキラからしてみれば、怖いとか、妬ましいという感情が、この一日で気にならなくなってしまっていた。それほど、マキナと付き合う事が楽しく感じてきているのだろう。
しばらく歩いていると、藤野一家が切り盛りしている食堂「るんか」と、マキナの自宅が見えてきた。楽しかったデートもここまで……
店の中からは、客の笑い声が聞こえてきた。
「楽しかったよ、アキラ君。今日はありがとう!」
「こっちこそ、付き合ってくれてありがとな!」
自宅の前で別れの挨拶を交わす。そしてマキナは自宅の玄関から半分体を乗りだし、その別れを惜しむかのように少し寂しげな表情を見せながら、手を振ってくれた。生まれて初めての夢のようなひとときはここまで。
マキナと別れたアキラは、我に返ったかのように、自身のアパートを目指し歩きだした。
帰路を歩くアキラは、暗くなりかけている空を見上げた。
西の空はまだ夕焼けが残っているが、東の方角は暗闇に染まりつつある。その中をゆっくりと流れる紫色の雲が、何とも不気味だ。春から夏にかけて吹く生暖かい風が、アキラの頬を掠めていく……
アキラはやがてやって来る月曜日にわくわくしながら、急ぎ足で目的地へと向かう。
ようやくたどり着いた格安のボロアパート。
自室に入ったアキラは、黄色のパーカーと黒のカーゴパンツを脱ぎ、部屋着のジャージに着替える。
コンビニで何か買って食べようかと思ったが、今日は慣れないデートをしたお陰か外出をする気が起きなかった。
とりあえず部屋の隅に置いてあるビニール袋に手を突っ込む。買いだめしておいた食材だ。その中からカップラーメンを引き当てた。
ケトルでお湯を沸かし、カップの中に沸騰したお湯を注ぐ。三分も待たない内に、アキラは固めの麺をすすった。
テレビでも見ようかと思ったが、ラーメンを食べていると一日の疲れがどっと襲いかかってくる。
「クソッ、俺としたことが……」
アキラは皮肉を込めて苦笑をする。
適当にシャワーを済ませ、今夜は早く寝る事にした。何しろ明日は二人の関係を公言しなければならない日なのだ。
アキラは気持ちを切り替え、明日の戦いに備えることにした。




