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僕の彼女  作者: 密玄
序章 彼女が私に変わる時
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彼女は、Ⅳ

いわゆる二度寝をした私の寝起きは、すこぶる悪いものだった。


夢がいけなかった。


ひたすら暗い街道を、何かしらの焦燥感に追われて走り続ける夢だ。


先日の一件が深く関わっている感じが否めなくて、気にしていないつもりなのに、実は少なからず怖かったのだろうか、私は。


深層心理なんて、わからないものだ。





ベッド周りを隠すカ―テンを全開にして、保健医に帰る旨を伝えた。



青白い顔をした保健医はこちらを一瞥して、小さく分かった、と呟いた。



保健医の姿をみていると、私は不意に、今でも突っかかっていたものが、無性に気になりだした。


書記さんのことである。


なるべく好奇心をひた隠しにして悟られないようにしつつ、


「先生。先程の書記さんとは、どのようなご関係ですか。」


単刀直入に、聞いた。


最早、好奇心丸出しであるが、不快感よりも先に、保健医は呆気にとられたようだ。


瞬きひとつ。

彼はおもむろに口を開いた。


「先程の彼の態度は注意すべきだったと思う…、その点では、反省してるけど…、彼との関係については、君には関係ない、から。」


彼は心底嫌そうな顔で、私にそう吐き捨てた。



全くその通りだ。

正論を掲げて、非常につまらない。



私は彼の病人のように青白い顔を真正面から見つめて、



「ですが、誰もいないからといって、仮にも勤務中に私事をなされるのは、いかがなものかと思います。


私、これから会長を訪ねるのですが、話の折に保健室の在り方について尋ねてみようかと、思っているのですが…」



少し困ったような顔を作る。

言い終わりかけたところで、保健医はこちらを軽く睨みつけてきた。



彼は、深くため息をついた。



「それ、卑怯…。彼に、迷惑かけることになる。


…ほんと、性格悪い。」



諦めまじりの声で、私に非難の声をあげた。



この程度、私は露ほども気にならない。脅しと嘘は息をするように私の口からでてしまう。

自分の欲望にひたすらに忠実に生きようとすると、こういった弊害はつきものである。


かくして、私は彼と書記さんとの関係を知り得たのである。




保健医から大変興味深い話を聞き終えたところで、保健室の扉が開かれた。

開かれた扉から姿を現したのは、担任の先生だった。


ビシッとのりのきいたスーツで身を固めた姿は、さしもの頼りなさそうな青白い保健医とは大違いである。



担任は辺りを軽く見やり、

ベッドに腰掛けたままの状態の私の所までやってきて、

少し驚いている私をよそに、先生は私の顔を覗き込んだ。


「よし、血色はよくなってるな。

…朝お前を職員室で見たときは、いつ倒れるかと思うぐらいで、ひやひやしてたんだ。」


軽く笑いながら、頭を撫でられて、私は恐る恐る先生を伺う。


頭を撫でられたのなんて、いつぶりだろうか。久しく味わっていなかった感触が、私の心を少し乱すようで、柄にもなく羞恥に悶えてしまった。



「は、はい。今のところは大丈夫だと、思います。」


戸惑いが顕著に現れた返答を小さくして、沈黙する。


頭を撫でる先生の手は、一向に止まる気配がない。


いい加減、私の羞恥心を少しでも感じとって欲しいものだ。


どうしたら伝わるだろうかと思案しつつ、さっきよりかは強めの口調で、


「何時間も寝たら、流石に気分が悪いのも治りました。」


私は苦笑いをする。


そこでようやく先生の手が引っ込んで、先生は優しげな面持ちをして、私の顔をもう一度伺うように見つめた。



主に女子生徒から好評な先生の整った爽やかな顔が、すぐ目の前まで近づいて、私は思わず息を呑んだ。


ついでに先生から香るシトラス系の爽やかな香りが鼻をくすぐって、

先生に合う匂いだなあ、と他人事のように考えていた。



高鳴る鼓動を無理やり押し付け、表面上は何でもないかのように取り繕う。



「先生、私、ちょうど保健室を出ようとしていたところなんです。」


私の見舞い兼軽い様子見に来たであろう先生は、聞いた途端に、そうか、と呟いて、


「じゃあ一緒に行こうか。

…忘れ物はないか?」


先生はおどけるようにそう言って、自然な風に私の手をとり、保健医に一言告げてから、保健室から退出した。





廊下は光が差し込むと幾何学的な模様が浮かび上がる造りになっているが、

今は全体的に薄暗く、見る影もなかった。


上履きが湿った廊下の上を滑る度、小さく音がなる。


「お前は、このまま教室帰るのか?

食堂か?」


二人の間の沈黙を破るようにして、先生は声を発する。


先生がこちらを伺っている。


「いえ…生徒会室に用があるので、そのまま行きます。」


「そうか…、ちゃんと昼、食べろよ。」


私の体調を気遣ってくれているようだ。


なんて律儀な、


「では、さようなら、先生。」


微笑んで、別れを告げた。





先生と今生の別れを今し方体験した後、私は階段で二階に上がっていた。


二階の廊下は総じて綺麗である。

一階の廊下との違いは、一階が光が差し込んだ時の造りや趣向にこだわったのに対し、二階は暗い状態でも見栄えがするほど、綺麗な造形をしている。


その筆舌しがたい美しさはこの学校の卒業生で、

名の知れた建築家によって手掛けられたものだ。



そしてこの階には生徒会室や会議室、視聴覚室といった、

生徒が集まる場所が集中している。

私は大変不本意ながらクラスの副委員長となってしまったので、会議室にはよく行くことになっている。


その度に委員長と私が、優雅に面倒くさいとぶつくさ文句を撒き散らしながら、この廊下を渡るのは常のことだと見られている。



生徒会室は奥の方にひっそりと佇んでいる。

総じて生徒会の役員たちは人気がある人が多く、全員を並べた日には、顔の造形の美しさが恐ろしくなり、自分がいかに凡庸か思い知るほどである。



そんな生徒会室は何代か前の生徒会長の意向で、放課後に生徒が比較的通らない、二階の奥まった場所に移されたのだと言われている。



生徒会室にたどり着く。


生徒会室の扉を開けて、最初に目にしたのは、恰幅のよい黒い学生服に身を包んだ生徒会長だった。



俯いて学校の資料らしき紙の束を整理している。


生徒会長は、なれた手つきで作業をする。


時折紙が擦れる音が聞こえる。


窓の外を見やると、いつの間にか雨は上がっていた。


雲間から光が漏れて何とも幻想的な光景が広がっている、

息を呑むほど素晴らしい。


いつかの胸に溜まった濁りも澄み切っていくようである。



…いつまでも気分が悪いことに縋るのはよそう。



例え今し方感じた幸福が一時しか効力を持たないとしても、

気分なんて所詮、感情から派生する感じ方の違いだ。



だって、私は、本当に気分が悪いと感じてなんていないのだから。




景色が動いた。


作業を終えた生徒会長が中途半端に開いていたカ―テンを勢いよく開く。


細い身体だ。

見た目に反して広い背中だ。


じっくりと僅かな光を堪能したところで、生徒会長はこちらを振り返った。



鷹のように鋭い目。


一番何かを捉えたら離さまいとする、意志の強いその目が好きだ。


その目が私を見据えている。


そう考えると、胸の奥が熱くなって、指先まで高揚感に浸るような、落ち着かない感情に襲われる。

ぬるま湯よりも熱い、目を逸らしたくなる気持ち。


ああ、認めてしまえば楽なのに。


いつの間にか握り締めていた手のひらは、爪が食い込んで、微かに痛い。


その痛みは私を現実に戻すには十分だった。



「あの、生徒会長。聴取にっ…、来ました…。」


治まらない心音、じっとりと汗をかいて気持ち悪い。


「ああ、そうだね。

その前に、大丈夫?」


落ち着け、落ち着け…


「何が…、ですか?」


息を整えて、返答を待つ。


「保健室に行ったと、あいつから聞いてね。

体調が悪いんだろう?」


「ああ、大丈夫ですよ…は、はは。

心配していただいて、ありがとうございます。」


いけない。

乾いた笑いしか出てこない。


喉がカラカラだ。

何か、飲み物が、欲しい…。



熱くて、込み上げる感情に吐きそうになって、それでも完全に離れることなんて出来なくて。


不器用な私に、泣きそうになる。


自分で自分を擽って、更には追い詰めるようなことまでして。


いい加減にしろ。


私の見たくないものを引き出したのは彼。

起爆剤となった目の中にあれを見つけてしまったのは私。


いつまでもこの感情の高ぶりに捕らわれて、あの日の感情の再現を身体が意図的に反芻している。



だからいつまでも逃げられないのに、

それでも逃げようともしないなんて、私、馬鹿みたいだ。



捕まったままでいいのか、とあの日の私が叫んでいる。


駄目なんだと、濁りきった灰色の目で私を見据えるのは――




そこからの記憶は曖昧なものだった。


何かを話して、取り繕って、


私はいつの間にか一階の渡り廊下に来ていた。




第二校舎、

つまり生徒会室や保健室、職員室がある校舎ではない方の校舎の、

陽が当たりやすいところに面したここ、

通称、裏の渡り廊下は近くに園芸部が丹精込めて育てている植物園が広がっている。



園芸部の植物園は有名で、


一度入れば抜けられない。

そう言われているが、比喩ではない。



足を踏み入れるとまず目につくのは、

季節によって様変わりする花で彩られたア―チ状の入り口である。

横目には、

統一された配置で咲き誇る花と植物が映り、

緑と艶やかな花の色のコントラストは目を見張るものがある。


歩く度に心地よい音を奏でるのは、

整然と敷き詰められた茶色いレンガの道である。


十分に花々を堪能した後に待ち受けるのは、

迷路のように入り組んだ何本もの細い道だ。


それら全体で一つの作品だと豪語する程のことはあり、楽しめる作りになっている。


全ての道は最後には一つに繋がっていて、

奥にあるのは、透明感が目に痛いほどの温室である。



そして、今、私は温室の中に入ろうとしているところだ。

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