完璧な婚約
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季節が巡るのは、驚くほど早かった。
庭の木々が琥珀色に色づき、乾いた風が屋敷の回廊を吹き抜けるようになる頃には、カイル様が屋敷を訪れることは、私の日常に欠かせない、もっとも柔らかな彩りとなっていた。
彼は相変わらず、父の書斎で政情や商いの話に長い時間を割いていたが、仕事の区切りがつくと必ず私を探し出し、短い時間、隣を歩いてくれた。
「エリザ様、今日は少し風が冷たいですね。上着をお持ちしましょうか」
庭の小道を並んで歩く際、彼は決して私の先を行かず、常に半歩後ろで歩調を合わせてくれた。私の歩幅は小さく、語彙は乏しい。それでも彼は、私が次に何を言おうとしているのかを待ってくれる、世界で唯一の人であるように思えた。
「……カイル様は、いつも私のことを待ってくださいますね。父も、屋敷の者たちも、私が答える前に先を急いでしまうのに」
私がふと漏らした言葉に、彼は立ち止まり、穏やかな陽光を反射させる瞳を細めた。
「あなたの言葉は、丁寧に紡がれた糸のようですから。最後まで聞かなければ、その本当の色が分からない。私は、その糸が織りなす物語を、誰よりも近くで見ていたいのです」
そんなふうに言われたのは初めてだった。
期待をしないことで、心が波立つのを防いできた私にとって、彼の言葉はあまりにも甘く、毒のようにじわじわと心の奥底へ浸透していった。
ある日の午後、父から改まった様子で呼び出しを受けた。
重厚扉を開け書斎へ向かうと、そこには少し緊張した面持ちのカイル様が立っていた。父の机の上には、見たこともないほど上質な革の小箱が置かれている。
「エリザ。座りなさい。カイル殿から、お前に大事な話があるそうだ」
父の顔には、隠しきれない満足感が浮かんでいた。促されて席に着くと、カイル様は椅子から立ち上がり、私の前にしなやかな動作で跪いた。
「エリザ様。私はこれまで、仕事のために各地を転々と渡り歩き、どこにも根を下ろさずに生きてきました。ですが、この屋敷であなたに出会い、初めて一箇所に留まりたいと……誰かのために生きたいと、願うようになったのです」
彼は私の震える右手をそっと掬い上げ、祈るような仕草で額を押し当てた。
「不器用な私ですが、あなたの静かな世界を、私が一生をかけて守ることを許してはいただけないでしょうか。……私の妻になってください」
それは、絵物語に描かれる英雄の誓いのように完璧な求婚だった。
驚きで声を失った私の耳に、父の頼もしい声が追い打ちをかける。
「カイル殿は、王都の要人とも深い繋がりが
ある。彼ならば、お前を今の暮らしよりもずっと高く、安全な場所へ連れて行ってくれるだろう。パピア家の娘として、これ以上の幸せはない」
父がここまで手放しで人を称賛する姿を、私は見たことがなかった。
カイル様は、無欲で静かな私だけではなく、野心家で猜疑心の強い父の心さえも、完全に掌握していた。
私は頬が熱くなるのを感じ、震える指先で彼の手にしがみつくようにして、小さく頷いた。
「……私で、良ければ。よろしくお願いします」
カイル様は安堵したように、けれどどこか重みのある微笑みを浮かべ、小箱から取り出した指輪を私の薬指に通した。琥珀色の宝石が、秋の午後の光を吸い込んで鈍く輝く。
「ありがとうございます。これで……すべてが上手くいく。そう確信しました。これからは、あなたは私の保護下にあります。何があっても、私が道を示しましょう」
その言葉に含まれた奇妙な断定に、当時の私は何の疑問も持たなかった。
王都へ戻って正式な手続きと、私たちの将来のための「最後の仕事」を済ませてくるという彼を、私は屋敷の門で見送った。
「来週、必ず戻ります。その時、私たちの結婚について正式に発表しましょう。約束です、エリザ様」
馬車に乗る直前、彼は私の肩を、痛いほど強く抱きしめた。
その体温を、私は出発の合図のような温もりだと信じていた。
来週になれば、私は彼の妻になる。
この閉ざされた屋敷の外にある、まだ見ぬ広い世界を、彼の隣で歩くのだ。
何も求めないと決めていたはずの私の人生に、初めて「明日」が来るのが待ち遠しいという感情が芽生えた。
私はただ、彼が残した琥珀色の輝きを、宝物のように見つめ続けていた。
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