第4話「浮浪者」
「酷いな」
遺体を前にしたブノワ・ランベール少佐は、思わず本音が漏れる。
地元警察からフリマ軍に、事件の管轄移送を受け、やって来た。
想定はしていたが、遺体の顔面が跡形もなく潰れており、原型がなくなっている。
もはやどんな人相かは、特定出来ない。
背格好から読み取れるのは男性で、太っていて、若者ということ。
今年で四十二歳になり、九歳の息子と、六歳の娘を持つランベールとしては、許され難い事件だった。
「社会党議員のご子息の線が濃厚です。いま確認をとっているところです」
部下であるジェラルド・アラン中尉が、ランベールに耳打ちする。
「政治家の息子、か」
事件について、ランベールの見方も少し変わってきた。この辺りの政治家の息子となると、悪名高い印象が先行する。
暴力、強姦、密売など、あらゆる噂が後をたたない。
地元警察の引き継ぎによると、過去に何度も捜査を打ち切られたことがあったらしい。
「先週の殺しと同一犯の可能性があります」確信を得たようにアランは言う。
先週、銀行屋の息子の遺体が、森で発見された。
死因は絞殺。しかし、ただの絞殺ではなかった。
死者の首が、通常の絞殺ではあり得ないほど細く、圧縮されていたのだ。
そして犯人は、現在も逃走中である。
「まだ確定ではない」ランベールは、部下の気を引き締めなおすよう言った。
今回の死因は、撲殺によるもの。何かしらの鈍器による打撃もまだ考えられる。
しかしそうでないことが、これまでの経験から推測できた。
何より、拳の跡が明確に残っているのが、確たる証拠だった。
通常の人間が撲殺した場合、ここまで露骨に跡が残ることはない。
「虚像者……」
ランベールは、煙草を深く吸い込んだ。
ーーー
「ノア、いつもありがとう」
ニックは木箱を食卓に見立て、フリマパンを貪っている。伸び放題の汚れた白髪が、ニックの顔全体を覆っていた。
二人のすぐ横で、ザイム川が流れている。川の水は濁っており、ニックと同様に不快な匂いを発していた。
「どういたしまて」
「君の優しさは、きっと神が与えたもうたものだ。いや、そうに違いない! ラーヌ」
ニックは、ザイム川に架けられた小さな石橋の下に住んでいた。
「ほら、飲みなさい」
ニックは、木箱の上に置いてある謎の瓶を、ノアに差し出した。
「ありがとう」ノアは口をつけなかった。
詳しい経緯は、ノアもよく知らないが、戦後の大量移民政策に乗じて、ニックはフリマ国にやってきたと聞いている。
また戦後ということもあり、移民制限はまともに機能しておらず、誰でも入国出来てしまう現状もあったらしい。
こうした戦後の復興を目的とした移民政策だったが、当然言語の壁を乗り越えられない者も多かった。
そのような者たちに残された仕事は、誰もやりたがらない汚れ仕事か、危険な仕事だけだった。
その扱いは酷く、休みはなく、給料未払いによる踏み倒しも頻発した。
「我々は奴隷ではない」という名目のもと、移民によるデモが一時期活発に行われていた。
しかし再生に追われていたフリマ政府は、デモに参加した移民たちを反逆者として制圧した。
死者と重症者が大量に出たが、デモは鳴りを潜めた。
この頃にフリマに来た者たちには、様々な理由があった。
自国から逃げなくては行けなかった者。やり直す為に来た者。夢を抱いて来た者。戦争犯罪から流れて来た者。
だが結果として、残された移民たちは、現地の人間に厄介者扱いされた。
それは差別や迫害を受ける者を生み、犯罪に走る者や、ニックのように浮浪者になってしまう者を大量に生んだ。
こうした移民政策の側面は、再生に成功した現代のフリマ国の社会問題となっている。
「ニックおじさん。あの、その」
「はやるな。ちょっと待ってろ」
謎の瓶をぐびぐびと飲み干したニックは、簡易的に作られた寝床の中に入っていく。
「ほれ、本当だったら千イールだが、君の施しに免じて二百イールでいい」
ニックは年季の入った手持ちサイズの本を、ノアに差し出した。
「ありがとう」
ノアは無償でパンを与えたが、特に気にすることなく、ポケットから二百イールを差し出した。
「ニックおじさんは、もう読んだ?」
「あぁ。話していいか」
「駄目だよ。僕はまだ読んでないんだから」
ニックは孫と接する爺さんのように、笑った。
こうしたニックとノアの奇妙な関係は、三年前の雨の日にはじまった。
裕福な家庭の子どもたちにいじめられ、びしょ濡れになっていたノアは、橋の下に駆け込んだ。
そこでひとり泣いていた時に、横からニックが本を差し出してくれた。
翌日、ノアは夕食のパンを食べずに我慢し、ニックに分け与えた。
以降、二人は世間話をする関係になった。
最近調子はどうだ。今年の冬は寒くて敵わん。あの本は駄目だ。いや良かったよ。と友人のように、取り留めのない会話を交わした。
二人には暗黙の了解があって、深い話をあまりしなかった。稀に安酒に酔ったニックが、過去を漏らすことがあっても、直接的な言葉で語られることはなかった。
「面白かった?」
「フリマ人特有の遠回しな表現が多くて、そこが私には疵だったな」
もう一つこのニックという浮浪者には、謎な一面がある。
伸び放題の白髪と、無精髭に覆われた顔のせいで、誤魔化してはいるが、年齢はまだ六十にもなっていない。それどころか、五十代よりも若い可能性があるかもしれない、というのがノアの見解だった。
ノアと同じ青い瞳をしているので、白人なのは間違いないが、どの国からやってきたのかさえ不明だ。ただニックは、プレドセン語を得意としている。母語かどうかはわからない。
とはいえ、プレドセン語は、今や世界の標準語でもあるので、国を特定するのは難しかった。
「ウジェーヌの作品は、いつもそうだな」
「彼ほど詩的な物書きは、フリマのどこ探したっていないよ」
さらにニックには、もう一つの謎がある。
移民のはずだが、フリマ語を扱うことに、不自由していなかったということだ。
ノアは過去に、そのことについて一度だけ聞いたことがある。
しかし「私は身体が弱かったんだ」と簡単にあしらわれた。
「最近はやってるのか」
ニックは右手で書き真似をする。
「全然上手く書けなくて悩んでるんだ」
「どんな話を書こうとしているんだ」
「大した話じゃないよ」
「大した話なんて書く必要なんかない」
「どうして」
「日常のなかに書くべきものがあるだろ」
これはノアの推測に過ぎないが、ニックは過去に軍に所属してた可能性があるということだった。
どの国の軍隊かはわからないが、書物を語るときのニックは、軍人特有のこだわりがあるように感じた。
ここ三年の付き合いで最近知ったのが、ニックの右頬に切り傷があり、それが伸びた髭によって隠されているのだ。
ただ、時代を考慮すると、特に珍しいことでもなかった。
二十年前、ノアがまだ生まれていない頃の世界は、争いあっていたのだ。
「楽しくてやってるんだろう?」
「ここ最近はずっと自分の書きたいものに靄がかかっていて」
「手に届きそうで、届かない」
ノアは縦に頷く。
「ニックおじさんこそ、書かないの?」
「私は、二度と筆を握らないと誓ったんだ」
こうしたやり取りは、過去に何度かあったが、いつも同じだった。
いつもなら、暗黙の了解で流れてしまいそうな展開だったが、今日は一歩踏み込んでみることにした。それほど、ニックの書く物語を読んでみたいという欲もあった。
「どうして書かないの。こんなに物語に詳しいのに」
ニックの青い瞳は、濁ったザイム川を見つめていた。しばらく沈黙が訪れる。
失敗したと思い、ノアは話を変えようとした。
「――、――――――。……いや、すまない。忘れてくれ」
突如としてニックは、プレドセン語とフリマ語を交えて話した。
プレドセン語の部分は、ノアには理解できなかった。
ノアはそれ以上、踏み込むことはしなかった。
「そういえば、昨夜」
話を変えたかったのか、わざとらしく何かを思い出したように、ニックは対岸の遠くを指差した。
「あそこの辺りで、お前の友に似た、名は何だったか、見たぞ」
突然ニックが何を言い出したのか、ノアは理解するのに、一瞬の間が必要だった。
「アミアンのこと?」
「そう、アミアン。孤児院の友だろ?」
「そうだけど」
「いきなり上半身裸になって、手や服を川で洗っていたな」
「どうして……本当にアミアンなの?」
「この暮らしが長いとな、夜目が効くんだ。間違いない」
確かにノアは、二年前に一度だけ、アミアンをニックのところに連れてきたことがあった。
アミアンはあまり乗り気じゃなかったが、どうしても読みたい本があった。
孤児院では、書店で本を買うような贅沢は出来ない。
貧乏人は、ニックのようなせどり屋を利用し、安価でボロ本を手に入れるしかなかった。
「ゴホッゴホッ」
ニックの咳が酷くなってきた。
「すまんが、ノア」
ニックがいつもこうなると、解散の合図でもあった。
「帰ります。どうも、本をありがとう」
「こちらこそ。いつもパンをありがとう」
ノアは帰り道、アミアンのことを考えていた。
そういえば、昨夜も路地裏で、政治家の息子が殺された。
無惨にも、顔面が潰されていたという。
その政治家の息子は、一年前にエレンを犯し、三年前にはノアからなけなしの金を奪い、何発も身体を殴り蹴った奴だ。
その後、ニックと出会ったことを、ノアは改めて思い出していた。
ーーー
もう無理だ。これ以上息がもたない。
足がもつれ、盛大に転んだ。
「ゔぅ……る」
仲間が殺された時、まさかとは思った。
さらに、もう一人も殺され、確信に変わった。
その日から、眠れぬ日々を過ごした。
「こ、こ、殺さないで」
刺激のない、勉強ばかりの退屈な日々。
医者の父と兄貴からの圧力。
母は父の言いなりで「兄を見習いなさい」の一つ覚え。
道楽のつもりだった。若気の至りだった。
狙ったのは、弱者や貧困者たちだ。
奴らのような人間は、社会にとってお荷物だ。
ろくに税を納めず、悪臭を放つことしか出来ない。
それなのに、やれ仕事がない、政治が悪い、格差をなくせ、などと文句ばかりは一丁前だ。
奴らは努力することを知らない。
ただ糞を垂れ流すだけの獣も同然だ。
もはや救うべき人間ではない。
早く遺体となって、解剖学の発展に貢献した方が、まだ価値がある。
「く、来るな! お、お、お前たちのようなクソは、さっさと、死ん」
一瞬で距離を詰められ、首を掴まれた。
「っつ……」
少年が最後に見たのは、充血した、赤い瞳だった。




