第17話「儀式前夜」
ノアとテテロペは、机を介して、正面で向かい合う。
左側に神子が二人と、右側に神子が三人座っていた。
高さのない木で造られた長机に、世話女たちが食事を次々と並べていく。
藁の香りを纏った大きな焼き魚から、豆と根菜のスープ。
小麦を薄く伸ばし発酵させた乾物、スパイス香るじゃがいもの煮込み。
ぶどうや木の実などの果実が、続々と運ばれてくる。
想定外の文化的な光景に、ノアは驚いた。
複雑な食事の香りに、無意識に腹が鳴る。
「少し気が早いが、話神の帰還を祝して」
テテロペは、ぶどう酒が注がれた木の器を掲げた。
神子たちは、首に巻かれた水色のペンダントを握りしめ、目を瞑り『感謝致します』と唱える。
一同は食事をはじめた。
「気分はどうだ、継承者」
「ノアです」
神子として最年少のキエラが、喉を詰まらせむせた。隣にいたミュラが、背中をさする。
やはりいつ見ても神子たちは、姉妹のようだとノアは思う。
「あの、僕はこれからどうすればいいのですか」
「今はただ、この島にいればよい。ゆくゆくは我の教えた通りに、このライリー島の話神となってもらう」
「話神というのは、いったいなんなのですか? どうして、僕なのですか。僕はただの孤児でした」
「それは仮初の姿だ。神はお主を、聖鳥の羽筆と共に、この島へ運んだ」
「聖鳥の、羽筆……」
テテロペは静かに語りだした。
かつてこの島には、話神と呼ばれる村の長がいた。
「文明がまだそこまで大陸に広がっていない時代だ」とテテロペは付け足す。
島の誰もが、羽筆の使い道を知らなかった。そんな中、話神がひとり聖鳥の羽筆を用いて、外敵や動物、時に自然から島を守った。
その姿は、自然と人々を引き寄せた。まるで神様のように崇める者たちが増えた。
だが同時に、偽物の話神を生む要因にもなった。
各村から話神と名乗る者が現れ、村同士の争いは激化した。
敵村を出し抜こうとした一つの村は、外の世界に応援を頼んだ。
かつてのライリー島は、まだ外の世界と多少の交流があったという。
その隙を外敵に突かれ、多くの者が殺されたり、疫病を持ち込む形となってしまった。
なんとか外敵を追い払った。しかし聖鳥の羽筆を、外敵に持ち去られてしまった。
のちに、この件について島民たちは、欲に溺れた我々に対する神の怒りだと、重く受け止めた。
「聖鳥の羽筆は、使える者が限られた、特別な羽筆だった」
そう言ってテテロペは、ぶどう酒を豪快にあおる。
聖鳥の羽筆の使い手は、ライリー島でも、たったの一人しかいなかった。
いつ頃からか、清く正しい信仰を続ければ、いつか聖鳥の羽筆がライリー島に戻ってくる。
このような物語が、何世代にも渡り、語り継がれてきたという。
「お主が元からそうなるよう、神は道を造られていた」
「僕には、そうは思えません」
テテロペは豪快に笑う。
「だが、現にそうなった」
「……」
「お主がそう思うのも当然だ。神の意思や力を理解することは、畏れ多いことだ」
信じられない。ノアにはそう思えて仕方なかった。
何度考えても、ライリー島に何の縁もゆかりも無い自分が、神の道を歩かされているなど、どうやって信じることができるのだろうか。
それならまだビザスが造られた道と捉える方が、ノアにはしっくりときた。
そんなことを考えているうちに、ノアは無意識に羽を立て、小さく「ラーヌ」と呟く。
「それはなんだ」
突然のノアの行為に、テテロペは興味を示した。
「アフレズト教の誓いのようなものです」
「アフレズト……それは白人世界の神のことか」
「別に白人だけのものではありません。神は神を信じる者に、寛容です」
「ほう。神が神を信仰するというのも不思議なものだ」
食事を終え、神子たちが退出する。
ミュラという神子の年長者は、誰よりも食が進んでいない様子だった。
残されたノアは、テテロペと二人きりになった。
「お主、酒は呑まないのか」
「まだ僕は十五歳です」
「ライリー島では、立派な戦士だ。酒だって呑んでよい」
「フリマでは、まだ子どもです」
またもやテテロペは、豪快に笑う。
「ここはライリー島で、お主は時期に話神なる」
ノアはずっと気になっていたことを聞く。
「神子というのは、なんなのですか」
酔いが覚めたように、テテロペは真剣な眼差しになる。その強い眼力に、ノアは怖気ずきそうになった。
きっとこの目が、ライリー島を支えるには必要なんだと思わされる。
「この島の信仰と何か関係があるのですか。なぜ五人もいるのですか」
「正確に、いつ頃から神子の制度がはじまったのか。それは我にも知らぬ。だが、この島を守る為の、大事な儀式子だ」
「儀式子?」
テテロペはそこから、ノアにとって恐ろしいことを告げた。
ライリー島では、十歳なった娘を、「神子」として選出する。
選出の基準は、候補対象となる娘たちに物語を語らせ、その中から祭司が一人を選ぶ。
ライリー島には、五つの村が存在するので、神子が選ばれた村はお祭り騒ぎになると言う。
その後、神の子として選ばれた神子は、山頂で祭司のもとで丁重に育てられる。
たとえ家族や友人などであっても、神子と島民たちの干渉は、事情がない限り許されない。
そして島では、一年に一度の儀式を行う。
満月の夜に、神子を神のもとへ還すという。
「神のもとへ還すっていうのは……」
ノアの声は微かに震えていた。
「神のもとへ還るには、現世で生を終える必要がある」
テテロペは、当然のことのように言う。
「神が住まわれる世界は、現世の肉体を保持したままでは、還れない」
「……」
ノアは、慎重に発言するべきだと理性が働く。
どれだけ不自然だと感じることがあっても、それを簡単に否定することは危険だ。
信仰には、人を聖人にも狂人にも変える力がある。
現にアフレズト教の聖書にも、今日では考えられないようなことが平気で書かれている。
それを人々が信じているかは別として、否定はしていない。
「神子たちは、どうやって神に還るのですか」
「今度お主にも立ち会ってもらう」
「今度?」
「あぁ。儀式は明日だ」
ーーー
テテロペ祭司は、複数の護衛たちと、神子たちを連れて、セルミネ村にやって来た。
神聖さと品格を身に纏った一行は、村の者とは別格の存在だった。
この日は、半年に一度行われる、『語り夜』というライリー島の一大行事だ。
一行は、五日間かけて、セルミネ村、ジド村、ツチャル村、アネゾ村、イリヴァ村を訪問する。
村の中央にある焚き火をみんなで囲み、神子たちが、決められた部分の物語をそれぞれ語る。
村民たちは、その物語に耳を傾け、有り難そうにする。
そんな中、カカだけは懐かしい彼女の声に、胸を痛ませていた。
この数年間、一度たりともミュラと話すことはなかった。
カカが知っている限り、ミュラはこちらを見ることさえしなかった。
もう自分のことなど、とっくに忘れてしまったかのように。
それが余計に、カカを不安にさせた。
彼女は、自分に失望しているのではないだろうか。いや、失望していて同然だ。
この数年間、自分は何一つ約束を守っていないのだ。
「おい。おい、聞いてるのか?」
隣で見張り番をしていたチャルが、怒りを露わにする。
「どうした?」
「どうしたじゃねぇよ。小便行ってくるからって先から何度も」
「あ、あぁ。そんなことか」
「そんなこと? お前先から心ここにあらずだが、本当に大丈夫か?」
「大丈夫だ。ほら、早く行ってこいよ」
チャルは悪態をつきながら、羽筆から繰り出す糸を収めた。
すぐさま、カカが代わりにアミアンの四肢に糸を通し、拘束する。
チャルは生い茂った草陰へ入っていく。
木檻の中で、アミアンは大人しくしている。
ここは、ライリー島の中腹にあたる、収容檻があるエリアだった。
といっても、森中に三つの木檻があるだけだ。現在はアミアンしか入っていない。
本来は村で悪さをした者を一時的に収容する場所だが、滅多に使われることはない。
そもそもライリー島には、現代文明のような法制度は存在しない。
だいたいは祭司の判断で、物事が決まる。
もう一人のノアという白人は、まだ山頂にいるらしいが、それはそれで意味がわからない。
それにしてもこいつが、と目の前にしても思う。こいつが、テテロペ祭司に刃向かうとは、馬鹿な奴だ。
祭司も多少の怪我を負ったらしいが、無事だそうだ。
どこにそんな力があるのか。アミアンの痩せ細った四肢からは、想像出来なかった。
テテロペ祭司は、今でこそ山頂で品良く過ごしているが、元は誰よりも気性の荒い戦士だったと聞いている。
外敵の命を容赦なく奪っていたとも。肉体的に恵まれたカカでさえ、この大自然で鍛えられたテテロペの体格には、惚れ惚れする。
そんなテテロペ祭司が、この痩せ細った白人を儀式が終わるまでの間、木檻の中に入れて、必ず羽筆で拘束し続けろと命をくだした。
少々大袈裟ではないか。
カカを含めた戦士たちが懐疑的になる中、現在、五つの村から戦士を二名代表して、代わり代わりに見張り番をしている。
それもこれも、儀式を目前にした祭司が、慎重になっているのかもしれない。
「悪い悪い」
すっきりとした顔のチャルは、すぐさま羽筆から赤い糸を繰り出し、片方の手足を糸で結び直す。
アミアンは一向に動かない。
自分も用を足したくなってきたカカは、チャルに見張りを任せ、草陰へ入っていく。
儀式。いよいよ、明日にまできてしまった。
本当にこのまますべてが、何事もなく終わってしまうのだろうか。
運が良いのか悪いのか、彼女の儀式を見る時間は、見張り番をしなくてはいけなくなった。
命をくだされた時、正直安堵した気持ちさえあった。
そんな自分が嫌で仕方なかった。
今よりも少し幼い、彼女の天真爛漫な笑顔。怒った顔。悲しむ顔。
彼女の柔らかな感触は、今でも忘れられない。
手頃な場所を見つけた時、ふとある考えが脳裏をよぎった。
ーーー
アミアンは無事だろうか。
儀式前夜。用意された客室で、ノア寝床に身を預ける。眠気を待っていた。
テテロペ祭司は、自分を「話神」にすると言った。その人質として、アミアンの命が担保されている。
でも、何かが引っかかる。
儀式が終わると、アミアンを船で島から出すと約束された。
本当に祭司は、約束を守るのだろうか。
それに自分は、一生をここで過ごすことになるのだろうか。機を狙い、なんとかこの島から逃げることは出来ないのか。
アミアンと逃亡してからの日々が、現実には思えない。
神子と呼ばれた少女たち。
神に還すとはいっても、よそ者のノアから見れば、生贄となるただの犠牲者だ。
彼女たちも、島の者たちも、それを当然として、生きている。
そうしてこの島の者たちは、何百、何千年と生き続けてきた。
それだけの数の無垢な少女の命が、犠牲になってきたのだと思うと、ぞっとした。
でも確かに信仰や文化とは、そういうものなのかもしれない。よそ者が、土足で踏み込んできた場合、彼らは怒り狂うだろう。
ましてや自分は、神になろうとしている。夢のような現実だ。
いつの間にか、ノアの意識は眠りにおちていた。




