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解放の異言者  作者: 綾高 礼
第一部

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第16話「半月の夜に」


 夜の空に浮かぶ月は、半分に割れている。

 

 「私の勝ち!」


 全力で走り終えた少女は、涼しい顔をしていた。

 反対にカカは、息を切らし、地面に倒れ込む。

 この勝負は、獣道の森を木渡りし、最後に決められた道をどちらかよりも早く走り抜けるという単純な勝負。

 そのカカの得意勝負を、少女は打ち破った。

 普通の少女だった。ただし勝負事になると、別人のように見えた。

 こう見えてもカカは、セルミネ族の少年たちの中では、一二を争うほどの身体能力の持ち主だった。

 体格にも恵まれ、年々筋肉質な体型に成長している。

 反対に少女は、カカのような逞しい体格ではない。

 だが少女は、猿のようなしなやかな身のこなしと、俊敏性を持って、カカを圧倒した。


 「早く、木の実を差し出して」

 「ほらよ」


 カカは腰に巻いた小さな木籠から、色とりどりの木の実を幾つか手渡す。

 少女は木の実を口に含むと、酸っぱそうな顔をする。すぐに笑顔を見せた。カカはその笑顔から目を背ける。


 「今度は何で競う?」

 「今日はもうおしまいだ」

 「なに? 村一番の少年が逃げるっての」

 「ちげぇよ。今日はたまたま不調だっただけだ」

 「なあんだ。セルミネ村って大したことないのね」

 「いまなんて言った?」

 「セルミネ村が大したことなないって言ったの!」

 「再戦だ」

 「そうこなくっちゃ」


 しかし、結果は同じだった。

 再び不様に寝転んだカカは、悔しそうにうなだれる。


 「早く。木の実、木の実」

 「ほらよ」

 

 カカは残りの木の実が入った木籠を、少女に投げつけた。

 難なく受け取った少女は、驚きを見せる。


 「いいの?」

 「うるせぇ。それ食って黙ってろ」

 「やったあ」


 少女は喜々として、木の実を食べていく。

 甘い時は頬が緩み、辛いと険しく、酸っぱい時は口をすぼめ、苦みがあると露骨に不味そうな顔をした。

 忙しい奴だ。カカは寝転びながら、少女を不思議そうに見つめる。

 勝負事に負けることは、カカにとって悔しいはずなのに、清々しい気持ちさえあった。

 

 彼女は、ツチャル村の少女で、突如としてカカの前に剣幕を立てて現れた。

 どうやらツチャル村の別の少女が、セルミネ村の少年から、木の実を奪われたらしく、それに対して彼女は息巻いてきた。

 

 早い話「私と勝負して、負けたら木の実を返しなさい」というものだった。

 

 カカは、女になど負けるはずがないと高を括り、即座に了承した。負けた場合、お前の木の実を全部差し出せと言い足して。

 彼女は迷いなく「いいよ」と言った。


 「あっいっけない。あの子の分の木の実、全部食べちゃった」


 少女は天真爛漫に舌を出した。


 「もうないぞ」

 「うん。何とかする」


 「じゃ」そう言って少女は、慣れたように木に登る。


 「おい」

 「なに」

 「名はなんだ」

 「そっちから名乗るのが礼儀でしょ」


 木の上で、少女はいたずらっ子のような笑みを浮かべる。

 

 「カカ。いずれセルミネ村の戦士になるカカだ」

 「ふぅん。わたしはツチャル村のミュラ」

 「ミュラ。次の半月の夜、ここで勝負だ」

 「え、あなた弱いからなぁ」

 「絶対勝つ」

 「わかった。楽しみにしてるよ。カカ」


 笑顔を見せたミュラは、木を渡っていく。

 カカはその笑顔が、脳裏に焼き付いて離れなかった。

 

 そうして、半月の夜になると、二人は何度も競い合った。

 結果はカカの惨敗続きだった。

 そんないつもの対戦に、変化が訪れた。

 ついにカカが勝ったのだ。


 「おめでとう」


 ミュラは、木籠をカカに手渡す。ずっしりとした重みがあった。

 籠の中には、いっぱいの木の実が入っている。


 「木の実食べるの初めてでしょ。あのね、木の実って美味しいんだよ」


 ミュラは含み笑いでカカを見る。

 

 「ふざけるな!」


 カカは木籠を地面に投げつけた。木の実があちこちに転がっていく。


 「何!?」

 「どうして手を抜いた」

 「は? 手なんか抜いてない」

 「嘘をつくな」

 「嘘なんかじゃ……」

 「俺を馬鹿にしてるのか。いや、こんな弱い俺にはもう興味もないってか」

 「それは違う」

 「いいぜ。もう終わりにしたかったんだろ」

 「違う……。けど、確かにもうここには来れない」

 「はっ、ほれ見たことか。さぁとっとと帰れ」

 「カカ。あなた勘違いしてる」

 「勘違い? 何を俺が勘違いしてるって……」


 怒りが抑えられないカカは、そこで驚く。

 ミュラをよく見ると、静かに涙を流していたのだ。


 「おい、何の真似だ」

 「ごめんなさい。手を抜いた」

 「ふっ、認めたか。俺がお前とどれだけやり合ってきたか」

 「わたし、次の満月の夜に、神子になるの」

 「えっ……」


 カカは言葉を失う。

 神子。この島でその存在を知らない者などいない。

 人間を超えた神の子であり、遣いであり、丁重に育て、もてなす高貴なる存在。

 神子は物語を授けてくださる、部族間を超えたライリー島の象徴。

 

 そして神子は年に一度、神のもとへ還る。

 神はその見返りとして、島に加護を与えてくださり、安全を約束してくれる。

 困惑したカカを見たミュラは、無理やり笑みを浮かべた。


 「あなたと違ってわたしは優秀なの」

 「……」

 「わたしは物語を創る才能にも長けているの。祭司様がお認めになってくださったの」

 「……」

 「聞いてる?」

 「なんだよ、それ」

 「どうしてカカが怒ってるの」


 ミュラは呆然と立ち尽くすカカの前で、おどけたように儀式の小躍りをして見せた。


 「お前はそれでいいのかよ」


 ミュラは動きを止め、カカをじっと見つめた。

 

 「信仰を疑うの、あなた」


 ミュラから発せられる声は、年頃の女のもとは打って変わり、毅然としたものに変化する。

 カカは一瞬、驚く。だがいま目の前にいるのは、ツチャル村のミュラでしかないのだと、自分に言い聞かせる。

 

 「そうじゃない。今はミュラ、お前の本当の気持ちが知りたいんだ」

 「本当の気持ち? 光栄以外なにがあるの」

 「……いいんだな」

 「いいって何が」


 ミュラは小馬鹿にしたように、冷笑する。

 

 「死んでもいいんだなって聞いてんだよ!」


 カカは怒りのままに叫ぶ。

 

 「……」

 「すまん。余計なことを言っ」

 「良いわけないじゃない!」


 ミュラはその場にうずくまった。涙を必死に堪えるように、身体が震えていた。

 このようなミュラの姿を見るのは、初めてだった。


 「……仕方ないでしょ」


 今にも消え入りそうそうなミュラの声に、カカは何も言い返せなかった。かけてやる言葉さえなかった。

 自分がもしミュラの立場なら、断れただろうか。

 考え足らずな、己の愚かしさを痛感する。同時に、無念が込み上げてきた。


 「どうして……わたしなんかが」


 ミュラはひとしきり泣いたあと、ゆっくりと立ち上がった。

 泣き腫らした目元を見るのが痛々しくて、カカは目を背ける。


 「ごめん。らしくないね。今日のことはみんなに内緒にして」


 取り繕ったように、ミュラはぎこちない笑みを浮かべた。


 「五年だ」

 「えっ……」

 「五年だろ。神子の任期は」

 「そうだ……けど」

 「俺がお前をこの呪われた島から救ってやる」

 「ちょっと何言ってるの」


 カカは思わず、ミュラの華奢な肩を掴んだ。その力は、異常に強かった。


 「ちょっと、なに」


 あまりにも突然のことに、ミュラは頬を赤くする。


 「俺とこの島を出よう」

 「は? あなた先から」

 「嫌なのか?」

 「嫌っていうか、無理なこと、言わないでよ!」


 ミュラに押し返されたカカは、ふと冷静さを取り戻し、頬を赤らめた。


 「すまない。つい」

 「う、うん……」

 

 二人は気まずさに、距離を少しあける。互いに落ち着きなく、その場でソワソワしていた。

 カカは耐えきれくなり、ミュラから背を向ける。

 しばらく二人は、虫の鳴き声と森の音に身を委ね、森からのぞく夜の海を眺めることにした。

 半月の明かりが、海をきらきらと反射させている。

 

 「さっきのこと、本気?」

 「あ、あぁ」

 「カカってやっぱり馬鹿だね」


 そう言って、ミュラはいつものように笑った。

 

 「は? いったい誰の為に」

 

 馬鹿にされたと思い込んだカカは、勢いよく振り返る。

 瞬間、二人の影が重なり、一つになった。

 数秒間のあと、背伸びしたミュラは、カカから離れた。


 「わかった。待ってるね」


 ミュラの目尻から、小さな涙が流れる。


 「お、おう……」


 人生で初めて味わう柔らかな感触に、カカは戸惑いを隠せなかった。心臓が異常に速く鼓動している。


 「大丈夫、カカ?」


 ミュラはおかしそうに笑った。急に恥ずかしさが追いついてきて、カカは腕を組み、背を向けた。


 「約束だ。絶対に忘れるなよ」

 「カカこそ。馬鹿なんだから忘れないでよ」

 「俺は馬鹿だけど約束だけは破らねぇよ」


 ミュラは泣き笑っていた。カカは照れくさそうに指で鼻を擦る。 

 そんな二人を、草陰からじっと見つめる姿があった。

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