第15話「憧憬」
『島の外にはたくさんの人がいて、綺麗な街並みがあって、そして、果てしなく世界が広がっているの』
『どれくらい広い?』
『そうね……。このライリー島が一万個あっても足りないくらい』
『えぇ嘘だぁ。ライリー島はすっごく大きいんだよ?』
『フフフ。私の可愛いミュラちゃん』
『なあに』
『今日はね、秘密の物語があるんだけど、聞きたい?』
『聞きたい』
『誰にも言わないってお母さんに約束できる?』
『うん』
『お父さんにも?』
『できる』
『わかったわ』
『聞かせて聞かせて』
『今日はね、外の世界を旅する少女のお話』
褐色の少女は、相棒の犬と島を出て、あらゆる国を旅した。
その過程で、たくさんの人を助け、時に助けられた。
肌の白い者から黒い者まで、みんなと仲良しになり、友だちになった。
旅の途中で、相棒の犬が亡くなった。少女は悲しみに暮れた。
しかし、一人の少年が、少女の涙を拭いてくれた。
二人は結ばれた。子どもが生まれ、年老いてもみんな仲良く幸せな日々を送った。
「はっ」
ミュラは瞼を開く。虫の鳴き声が聞こえる。まだ夜だった。
最近は寝ていてもよく目が覚める。
儀式を目前に、緊張しているのが自分でもわかった。
島のみんなの為、未来の為に。そう、何度も自分を勇気づける。
鼓舞すればするほど、自分の胸が苦しくなった。
「お母さん……」
九歳の頃に、病気で亡くなった母を思い出す。
病弱で痩せていたが、綺麗な母だった。戦士の父に支えられ、毎日を懸命に生きていた。
ミュラが神子に選ばれたとき、両親は涙を流し喜んだ。
十歳で神子になって、五年の月日が経った。
最初は五年後など、もっとはるか先だと思った。それなのに、時が経つのは本当に早い。
最初は、信仰や品格を求められるだけの、退屈な日々だった。
やがてその年の年長者だった神子が神のもとに還り、少し驚いた。
だが今まで外側から見てきた経験が、解釈を助けた。
レラという新たな神子が増え、また退屈な日常に染まった。
二人目が神のもとへ還った。それでもまだ実感は遠かった。
センネルという新たな神子が、夜泣きを繰り返し、かつての自分を重ねる立場になった。
三人目が神のもとへ還ったのを機に、末恐ろしくなった。
センネルのようにこっそりと夜に泣いた。
ココという新たな神子が増え、責任感を覚えるようになった。
彼女たちの見本となるように、堂々とすることを意識した。
祭司様にも品格が出てきたと褒められた。
ついに四人目が、神のもとへ還った。
彼女はミュラに、「先に行って待ってるね」と泣きながら微笑んだ。
その姿を見届ける間、怖くて失神しそうになった。
品格の為に、耐え忍んだ。発狂しそうな夜を、なんとかやり過ごした。といっても、人気のない真夜中を選び、ただ山頂から島を眺めていただけだ。日が昇ると、ここから陸影が見える。
ミュラは生まれてからの十五年間、この島から出たことが一度もなかった。
それはミュラに限った話ではなかった。この島に住む誰もが、外に世界があることを認めなかった。
ライリー島に住む者たちにとっての世界は、唯一このライリー島にだけ存在した。その考えに抗おうとする者は、過去にどれくらいいたのだろうか。きっと悲しい思いをしたに違いない。
虚しさに耐えきれず、涙を流すことしか出来なかった。
人は抗えない運命に相対したとき、涙を流すことで、日々をやり過ごせることを知った。
それでも恐怖に心を支配されそうになったときは、夜空を見上げた。
数え切れないほどの無数の星が輝いていた。
ミュラはいつからか、無数に浮かぶ星々を、神のもとへ先に還った子たちだと思うようになった。
やがて自分もあの星となり、光り輝くことだろう。
なぜなら自分は、神に選ばれ島へ送られた子であり、遣いであるからだ。
自分たちがいるお陰で、島のみんなは、神の加護を受け、安全でいられる。
それが何よりも大切なことで、大切なはずで――。
父は外敵と交戦し、亡くなったと聞かされた。
結果として外敵を追い払うことに成功し、島の為に名誉ある死を遂げたと祭司は告げた。
「お父さん……」
キエラという神子がやってきた。
十五歳のミュラから見ても、まだ子どもすぎるのではないかと思うほど、幼い顔をしていた。
村や両親から引き離されたキエラは、心細そうに泣き腫らした目でミュラを見つめる。
ミュラの心は引き裂かれそうになった。
叫びだしそうになる気持ちを抑え、キエラの頭を優しく撫でる。
「大丈夫。大丈夫だよ」
キエラは少しだけ、安心した様子を見せた。
これで良かったのだろうか。いや、これで良かったのだ。
彼女も五年後には、立派な星となるだろう。
みんなが毎日を安全に――なぜ、両親は死んだのだ。
いや、私の両親は、神だ。神が私を創られた。
どうやって。土でこねて創ったのだろうか。馬鹿な。神を疑うな。神はいつも私たちを見守っている。
神って誰なの。なぜ、両親を見捨てたの。
いや、両親なんていない。神が私を創った。
でも外の世界は果てしなく広がっている。
――次は私の番だ。
外にはたくさんの人がいて、いるはずで。私は神の子で。みんなの為で。
守るべき人は、外の世界にもたくさんいるはずで。
神を裏切るのか。島のみんなを裏切るのか。違う。
でも旅に出た少女は、みんなを助け、助けられた。
――私は誰を助けた?
加護は神が与えるのだ。疑うな。外の世界に憧憬を抱くな。島の外は、悪に満ちている。
知らないことが、何よりも幸せでいられる。お前の父を殺したのは、外からやってきた人間たちだ。
なぜ私たちが死なないと、島を護れないの。
裏切るな。裏切るな。
怖い。怖いよ。
神子としての品格を失うな。人間に、なるな。神の子となれ。
なぜ私たちだけが。他の娘たちと何が違うの。
なぜ女を選ぶの。
命に――価値があるとでも言うの。
みんなが死んでもいいのか?
この島が滅んでもいいのか?
――助けて。
ーーー
カカが急いで山頂に戻った時には、門番がいなかった。
中でなにが起きたのだろうか。
身体能力を活かし、石壁を昇り、迷路のような道を上からすっ飛ばしていく。
カカの想定では、白人の二人は、儀式の間まで拘束されるのだろうと踏んでいた。
だが彼ら二人の命は、その後に尽きるだろう。そう思っていたのだが、想定よりも早く祭司が動きだした。
それとも、彼らが抵抗したのか。
あのノアという少年に、そのような度胸があるとも思えなかった。古い羽筆を持っていたのは、彼だったが。
唯一可能性があるとすれば、アミアンとかいう背の高く細い男だが、戦闘能力があるとは考えられなかった。
建物の前に辿り着き、開かれている扉に入ろうとした。
「カカ」
門番の男が出てきた。
クソ。なんて不運なタイミングだ。奥歯を噛みしめる。
「中でなにかあったのですか?」
「あったが、貴様には関係ない。それにもうことは落ち着いた」
「奴らが暴れたのですか?」
「何度も言わせるな。貴様が知るべきことではない。祭司様がすべて解決なされた」
「みな無事なのですか?」
「去れ。ここは神聖な場であることを忘れたのか」
「お願いします。少しでいいので教えて下さい。誰にも口外しません。教えて頂ければすぐに去りますから」
カカがどうしてここまでしつこいのか、門番には理解出来なかった。
一向に帰る気配を見せないカカにうんざりして、簡単に事の経緯を話した。
祭司テテロペに口止めはされていないが、一応『話神』の件については伏せておいた。
「ありがとうございます」
それ以降、門番は口を閉ざした。カカを追っ払うように手を振った。
カカは、再び山道をくだっていく。
ひとまず身の危険はないようだ。それは良かった。
それにしてもあのひょろそうな奴が、祭司様の前で暴れるなんて。
いや、また俺は機会を逃したのだろうか。
カカは何度も繰り返してきた自問自答に陥る。
今回だって混乱に乗じて、島を抜ける。安易な思いつきに過ぎない。
島を抜けてどうする。その後どうやって生きる?
それに文化の違いや、言葉だって通じないだろう。
まともな作戦、戦略すら考えられない。おまけにビビりときた。
だからこの無駄に逞しい肉体も、ろくに活かせない。
――俺は本当に馬鹿だ。
夕暮れは過ぎ去り、山は漆黒に染まろうとしていた。
空に浮かぶ月は、もうすぐ満月を迎えようとしている。
カカは、現実から逃避するように過去の記憶を辿っていた。




