第14話「祭司」
部屋に入る。香木を炊いた香りが、二人の鼻をつく。
他の部屋と同様に、幾何学模様が壁に描かれ、四隅に火が焚かれている。
違いとしては、絨毯が敷かれた段が設けられ、その真ん中に一人の男が鎮座していた。
「よく眠れたか」
艶のある黒髪を床まで伸ばした祭司は、口角をあげた。年は四十代後半辺りだろうか。
焼けた褐色の目元には、無数の皺が刻みこまれている。
肩から身体に巻き付けた薄黄色の衣服を纏い、頭部には、羽筆が何本も巻かれていた。
「はい。助けて頂きありがとうございます」
「構わん。礼ならセルミネ村の者たちに言ってやれ」
「あの、どうして僕たちを救ってくれたのですか」
待ってましたとばかりに、祭司は再び口角をあげる。
「創造を導く者か、この目で確かめたかったのだ」
「創造を導く者……」
「はたまた、破滅を齎す者かどうか」
ノアは背筋を伸ばす。アミアンは、本能的に警戒する。左右の足をずらし、祭司と対峙する形をとった。
「肩の力を抜け……といっても無理ないことか」
祭司は余裕そうに微笑む。しかしその目の奥に宿る鋭い瞳は、二人の出で立ちを、隅々まで観察している。
「何はともあれ、よく来たな。何もないが、座れ」
ノアはゆっくりと石の床に座る。しかしアミアンは、その場から動かなかった。
「アミアン、座れって」
「立て、ノア」
ノアは首を振る。警戒を顕にすることの方が、危険だと思ったからだ。
祭司は手を前に出した。
「獣よ。そのままで良い」
衣服から伸びた祭司の腕は、この大自然で鍛え抜かれたのがわかるほどに、筋骨たくましい。
それを見たアミアンは、拳を握り合わせる。
「アミアン落ち着いて。そのままで良いってさ」
アミアンは歯をきつく噛み合わせ、祭司を睨みつける。
「どうしてこうなった」
祭司は一度アミアンを見つめたあと、再度ノアを向き「継承者」と低い声で言った。
ノアは、それが自分に向けて言われていることだと認識するのに、しばし時間を要した。
「アミアンのことですか?」
祭司はゆっくりと頷く。
「祭司様には、虚像者がわかるのですか?」
「テテロペだ。お主らが島に入った段階から、獣臭が我の鼻をついておる」
ノアには、祭司・テテロペの発言がはったりには思えなかった。
先程からアミアンが警戒するのも無理ない。
このテテロペという男から放たれる風格は、自分たちをいつでも絡め取ることが出来るように思えた。
「アミアンは……事情があって自ら虚像者になりました」
「ほう。力を求めたか、少年」
アミアンの破けた衣服を見て、テテロペは口角をあげた。
「どうやら、その代償は大きかったようだな」
アミアンには、二人の言葉が理解出来なかった。だがおおよそ自分について話しているだろうことは、容易に想像できた。
「ノア、余計なことを話すな」
「わかってるさ」
「それであの……」ノアは逡巡を巡らしたあと、勇気を振り絞り、口を開いた。
「僕の羽筆を知りませんか」
再び待ってましたとばかりに、祭司は口角をあげる。
「あぁ。我が持っている」
「か、返してくれませんか。大切なものなんです」
「残念だが、それは叶わぬ願いだ」
「大切な人から頂いた羽筆なんです」
「お主には知らないことだろうが、あの羽筆は元々、我々のものだ」
「えっ……」
テテロペの言うことが、はったりかどうか、ノアには判断が難しかった。
「どういう意味ですか」
「言葉のままだ。といっても、遥か昔のことだがな」
「そんな……」
「数日前の夜、その羽筆を使用したのはお主か」
ノアは思考を巡らせる。おそらく、船で使った謎の力のことを尋ねている。
ここで本当のことを告げるべきか。それとも嘘をつくべきか。
それによってどのようなメリットがあり、デメリットを被るのか。判断が難しかった。
試されている。しかしアミアンは余計なことを話すなと言った。
だがテテロペには、ノアのすべてが見透かされているような気がした。
「はい。一度」
テテロペはその答えを聞いて、沈黙した。初めて、腕をくみ、目を閉じた。
「ノア、何を話した」
「数日前に羽筆を使ったかどうか」
「まさか馬鹿正直に使ったなんて言ってないだろうな」
「言ったさ。仕方ないだろ」
「馬鹿。お前も警戒対象になるだろ」
「じゃあここで嘘をつけって言うのかい? 彼はきっとすべてを見透かして」
ノアとアミアンが言い合っている時だった。
「危ない!」アミアンがノアを突き飛ばす。
ノアは盛大に床へ打ち付けられた。
高速で飛んできた赤色の糸が、アミアンの両手両足を拘束した。
「アミアン!」
床に転んだノアは、どうしてとばかりにテテロペを見る。
テテロペはいつの間にか立ち上がり、右手に羽筆を握っていた。
「くそ! どうして」アミアンはもがいているものの、拘束をほどけない。
アミアンは虚像化が使えない。その事実に、ノアは凍りついた。
いつの間にかアミアンだけではなく、自分も心の何処かで、虚像化に頼っていたことを痛感する。
「やめてください祭司様! 僕たちは無害です!」
「ならば証明しろ。継承者」
「証明?」
「お主がこの島の守り神となるか」
「は!? 何を先から仰っているのですか」
「この世はもう、神から分け与えられた力を、正しく使えないようになった。このライリー島にも、その脅威は日々迫ってきておる」
「何を……」
「ノア! そのクソ野郎の言葉に耳を傾けるな!」
テテロペは、アミアンを壁に叩きつけた。あまりの衝撃に、壁が抉れる。
「アミアンっ!」
拘束されたアミアンは、顔から血を流し、ぐったりとしていた。
「やめてください祭司様!」ノアは泣きそうになりながらも、必死になって訴える。
「我には、目を見ればわかる。こやつはもう……何人も人を殺めている、立派な獣だ」
「どうして……」
「なぜこのような獣と同行している」
「貴方には関係ない。早くアミアンを離してください」
「ふっ……ならば、このライリー島の話神となれ」
「話神……」
テテロペは何を唐突に言い出したのか、理解不能だった。
だがノアは記憶のどこかで、この単語を聞いたことがあったような気がした。
「もし、僕が断れば」
「こやつの命は保証できない」
アミアンを見る。四肢を拘束され、がっくりと下を向いていた。
「脅迫のつもりですか」
「どう捉えてもらっても構わん」
「では僕が話神というものになれば」
「こやつの命は担保しよう。暴れない限りはな」
ノアは再び、選択を迫られた。
それも自分たちの人生を左右しようとしている、重大な選択を。
話神。島の守り神。なんなんだいったい。
わかっていることは、もうこの島から出られないかもしれない、ということ。もし断れば、アミアンの命はここで終わるということ。
「……あ」ノアが口を開いた時だった。
後方から、物凄い速度でアミアンが駆けてきた。ノアを追い越し、テテロペに向かって、そのまま飛び蹴りを放つ。
テテロペは瞬間的に腕でガードする。しかし虚像化したアミアンの威力は凄まじかった。
そのままテテロペは壁に激突し、貫通した。
「アミアン!?」
「うぅゔ……る」
振り返ったアミアンは、喉を鳴らす。赤色の目を宿していた。
「ゔうらぁぅゔ……らぁ」
アミアンは何かを訴えている。だがノアには理解できない。
「アミアン逃げるよ!」
ノアが今にも走り出そうとした。その時だった。
「させん!」
テテロペが我が身一つで、空いた穴から飛び出しきた。お返しとばかりにアミアンに飛び蹴りを放つ。アミアンは腕で防ぐ。
それを予期していたテテロペは、人間離れした体使いで、着地し、態勢を整え、即座に殴りかかる。
間一髪、アミアンは躱した。両者ともに、何発か拳の応酬をやり取りしたあと、最終的に両手で掴みあった。
「そんな……」
ノアには目の前の光景が、信じられなかった。
ただの人間が、肉弾戦で虚像者とやり合うなんて。
両者共に、額から血を流しているものの、実力は拮抗しているように思えた。
「どうした!? 獣!」
「ゔうらぁぅゔ」
力勝負に挑むテテロペの目は、大きく見開いている。さらに笑みがこぼれていた。
対するアミアンの顔は、苦しそうだった。それに赤色の瞳が、点滅を繰り返している。
「そんなものか!?」
おかしい。アミアンの様子が。テテロペが凄まじく強いことは、ノアにでも理解できる。
しかしテテロペの攻撃を躱すことなど、以前のアミアンなら余裕をもってやれたはずだ。人間離れした触覚と柔軟性をもって。
「ゔうらぁぅあ!」
よだれを垂らし、叫ぶアミアン。
互いの力は拮抗しているように思えた。この瞬間まで。
テテロペは勢いよく右腕を、自身の方へ引き抜いた。
アミアンの態勢が、崩れた。
そこからテテロペの動きは早かった。アミアンの腹に、強烈な右膝を打ち込む。アミアンの呼吸が一瞬止まった。その一瞬を利用し、自身の頭部の羽筆を引き抜く。
羽筆が発光し、赤色の糸が幾重にも分かれ、アミアンの四肢を拘束し、天井に叩きつけた。
石壁は突き抜け、ぐったりとしたアミアンがゆっくりと降りてきた。
「あっ……」
ノアは言葉を失った。目の前で起きている事実を受け止めるのに、時間を要した。
「継承者よ! 答えは出たか!」
「アミアン……」
ノアに選択肢などなかった。
「アミアンを殺さないでください」
「返事ととってよいな」
ノアは小さく頷いた。




