第12話「接触禁止区域」
「おい、起きろ」
夢の中で、声が聞こえる。
「起きろ白人」
「はっ」
張りついた瞼を開く。まだ視界がぼんやりとしている。
「いつまで寝るつもりだ」
「ごめんなさい。僕なんか……あれ、アミアン!?」
「アミアンじゃない。俺はカカだ」
「カカ……」
カカという男は、寝ぼけ眼であっても、強靭な肉体を有していることがわかった。
半裸から伸びる逞しい腕が、ノアの手を無理やり引いた。
「お前の知り合いが外で待ってる」
「知り合い?」
ノアは、入口を見る。
「起きたかい、ノア」
元気そうなアミアンが、顔を覗かせている。
ノアは喜々として、立ち上がった。一気に立ち眩み、バランスを崩す。
即座にカカが、身体を支えた。
「気をつけろ」
「あ、ありがとうございます」
「準備が出来たら、外に出てこい」
そう言ってカカは、住居を出た。アミアンが入ってくる。
「元気そうだね、アミアン」
「お陰様でね。この身体になってから、傷の治りが早いんだ」
アミアンはすでに治りかけている腕の瘡痕を見せた。
「君こそ大丈夫かい?」
「まぁ、なんとか」
「それより、どうしてノアはここの人たちの言葉がわかるんだい?」
「えっ?」
「僕なんて、何一つ理解出来なかったよ。全部身振り手振りさ」
老婆との会話を思い出す。
「確かに……どうしてだろう。でも何故かわかるんだ。僕にもわからないんだけど」
「君って、不思議な奴だったんだね。あの羽筆といい、いったいどこで」
「あの羽筆はニックおじさんがくれたんだ」
「ニックが」
「羽筆……あっ」
ノアは自分の懐を探る。そこにあるはずの感触がなかった。
「ない。ない。羽筆がなくなってる!?」
「奴らに奪われたんだと思うよ」
「どうして」
「どうしてって、そりゃ、こんな訳のわからない二人を野放しにするわけないだろ」
「そっか……」
そこで、一人の小さな少女が入ってくる。
まっすぐノアのもとにやってきて、「ど、どうぞ」とコップを渡した。少女はそそくさと帰ろうとする。
「確か君はウルカ、だったよね」
ウルカは突然名を呼ばれ、驚いたように背筋を伸ばした。
「うん」
「ありがとう」
「どういたしまして」
ウルカは、顔を赤らめながらぺこりと頭を下げ、その場を離れた。
ノアはコップの匂いを嗅ぐ。無臭に胸を撫で下ろした。
「水だ」
ノアは勢いよく飲み干した。続いて、少年二人がやってきて、とろみのある謎のスープと果実を二人に手渡した。
「どうもありがとう」
同じく少年たちも走り去り、二人は慌ただしく食事にありついた。
数日間ろくに食事をしていなかった二人は、ぺろりとたいらげた。
そこで待ちかねたカカが、入口に顔を覗かせた。
「おい。祭司様のもとに連れて行くんだから、早くしろ」
「奴はなんて言ってるんだい」
「僕たちを祭司様のもとに連れて行くって」
「祭司?」
「さぁ、なんだろうね。とりあえず行こう」
住居を出ると、日差しがノアの目をすぼませた。
周囲を森に囲まれた村には、同じような茅葺き屋根の竪穴式住居が、数十軒建てられている。
住民たちは、不思議そうにノアとアミアンを見つめていた。
みな一様に顔にペイントを施している。
基本的に男たちは半裸で、女たちは、胸部や下半身を朱色の布で隠しているだけだった。
その中に、ウルカもいた。ノアと目が合うと、顔を赤らめて目をそらした。
「君、あの娘に随分と気に入られているじゃないか」
「まだ子どもだよ」
「おい、こっちだ。早く来い」
カカは早歩きにも思える速度で、村を先導する。置いていかれないように、二人も足を早めた。
三人は村を出て、森に入り、二時間ほど歩き続けた。傾斜こそ緩いものの、着実に登っているのがわかった。
病み上がりの二人には堪えたが、人道があるお陰でまだ歩きやすくはあった。
途中、崖から見える島の景色を見ると、自分たちが随分と山を登ってきたのがわかった。
さらに山気が深まり、川のせせらぎが聞こえてくる。
「休憩しようって言ってくれ」
息を切らしたアミアンは、ノアの肩に手を置いた。
「カカさん。休憩しませんか?」
「あぁ? これだから白人は」
カカは露骨に顔を歪めたが、川場を指差す。
木漏れ日が反射した川は、きらきらと透き通っている。
「水が上手い」
アミアンは、何度も手で水をすくっては口に運ぶ。ノアもそれに習った。
「ほんとだ」
三人はしばらく、手頃な岩場に腰かけた。
「あ、あの」
「なんだ」
「ここはライリー島って聞いたのですが、具体的にどの辺りの島ですか。フリマの近くですか?」
「あ? ライリー島はライリー島だ」
もともとノアは、地理に明るいわけじゃなかった。カカもそれは同様だった。
カカは休むことに飽きたのか、必要以上の交流を避ける為か、木に登りはじめた。
ノアは、カカの木登りを関心するように眺めていた。
彼がこの自然で生きてきたことが伝わる、身軽さだった。
「そうだアミアン。ライリー島って知ってるかい?」
こういう時は、とりあえずアミアンを頼ってみる。それが長年培った、二人の関係性でもあった。
「ライリー? ライリー、ライリーか……あ、聞いたことある。たぶん地中海に浮かぶ島のことかな」
「流石アミアンだね」
「ということは、僕たちはズバエン寄りに流されていたのか」
アミアンは納得したように、考えはじめる。そこで何かを思い出したかのように、手を叩いた。
「ノア。僕の見立てが正しければ、ここ、接触禁止区域の島だよ」
アミアンは、できるだけ小さな声で囁く。
「接触禁止区域!?」
「声が大きいよ」
「ごめん」
「って言っても彼にフリマ語がわかるわけでもなさそうだけど」
アミアンは木に留まるカカに、目を向ける。
「僕も詳しいわけじゃないけど、おそらくズバエン政府がそう指定しているはず。普通だったら、外部から人を受け入れないはずだ」
「えっ……それならどうして僕たちは受け入れられたんだろう」
「わからない。あまり警戒を顔に出すなよ」
アミアンは、カカの腕に巻かれた羽筆を盗み見る。
「そうだね……」
いつの間にか木から降りてきたカカは、「もういいだろ。行くぞ」と山道に向かっていく。
しばらく歩いてから、ノアは事前に用意していた質問をカカに投げかけた。
「この島には、どれくらいの人が住んでいるんですか」
「この島には五つの部族がある。お前たちが先ほどまで居た場所は、セルミネ村」
「カカさんもセルミネ村の人なんですか」
「俺はセルミネ村の戦士カカだ。お前たちこそいったい何者だ」
「えっ」
「突然、島に漂流してきた。お前たちは憔悴しきっていた」
「僕たちは、フリマからやって来ました」
「フリマ? あのろくでもない奴らか」
「フリマを知ってるんですか?」
「知らない。だが過去に何度も、この島に白人たちが侵入しようとしたことがある」
おそらくカカにとって、白人はすべて嫌悪の対象なのであろう。
ノアは質問する際に、細心の注意を払わなくてはと思った。
「どうして僕たちを救ってくれたんですか?」
「祭司様のご判断だ。神と交信されるお方だ」
「神と、交信……」
「もうすぐ着く。無礼のないようにな」
鬱蒼とした木々が、開けようとしていた。
ーーー
夜のナルジエール港から、中型モーター船が走り出す。
操縦室には、フリマ兵が二人、何やら忙しなく会話を交わしている。
仕切りを挟んだ船内で、ナギサは机の上に地図を広げた。
「情報を整理します。まず虚像者たちは、小型帆船でナルジエール港から、地中海へ逃亡し、現在、約二日が経過しております。ナルジエール港から考えられる候補地としては、まずここから東へ一番近いフリマ領のアオルジーア島。そこからすぐ南にくだると、エドクレア領のザルティクマ島があります。反対に、ナルジエール港から南東方向へ進み、一番距離の遠いズバエン領のナロルカ島、エペサ島などがあります。現在我々は、南東方向へ向かっています」
ナギサは、インクに浸した羽筆で、島の周囲を丸で囲んでいく。
「漂流している可能性もあるだろう」
そう言ったオリフィスは、皆と一緒に地図を見ず、ひとり窓辺に立ち、夜の海を眺めている。
「その可能性も捨てきれません。さらにフリマ軍の情報によると、虚像者は身体を負傷し、食料や水などは持ち込まず、逃げるように船に乗り込んだ模様。ここ数日の地中海気候は安定していますが、それらを差し引いても、島に上陸しかつ命があるとすれば、かなりの運も必要とします」
「どう思う」
オリフィスに促されたミロンは、地図を見るために屈めていた大きな身体をまっすぐ伸ばした。
今年で四十一歳となるミロン・ネストロヴィチ・バチェリコフは、オリフィス班の最年長者らしく、落ち着いた声で喋りはじめた。
「逃亡者たちは、そもそも島になど向かっておらず、もっと西へ進み、ズバエン王国の海岸や港に着港している可能性も考えられないか?」
「はい。そこで現在スバエンの港や海岸付近に人を回しています。もし逃亡者の着港が確認され次第、話鳥を飛ばしてもらうよう頼んでいます」
「流石の段取りだな」
ミロンは関心した親のように、ナギサを褒めた。
「いえ、当然です」かしこまるナギサ。
「よっ、クジアの天才、ナギサちゃん!」
カルロはおどけたように小躍りする。
決してカルロは、イーローブ圏でよくある、クジア人差別の意味合いを込めてやっているわけではない。
そのことは、何年も共に過ごしてきたナギサにも理解していた。
だがこのエドクレア人の陽気さが、純粋に少し苦手だった。
ナギサは、冷めた目でカルロのくせ毛を掴む。
「イタいイタい」
「貴方、階級は?」
「創造師です!」
「私は?」
「筆務官様です!」
「私が貴方の上司だってこと、忘れないで」
カルロは隅に縮こまり、小さな悲鳴をあげている。見慣れた光景にミロンは苦笑し、オリフィスは興味を示さない。
ナギサはカールさせた茶髪をはらい、咳払いをした。
「仕切り直しまして、ズバエン領のナロルカ島、エペサ島には国際出版局の者がいないので、直接出向く必要があります。この二つの島に入ることは、ズバエン政府から既に許可を頂いております。ただ……」
「どうした?」ミロンが問い返す。
遮るように「接触禁止区域がある」とオリフィスが口を開く。
「接触禁止区域!?」
いつのまに戻って来たのか、カルロが大袈裟に驚いてみせた。
「はい。もう一つ、接触禁止区域のライリー島という島があります」
ナギサは、ナロルカ島とエペサ島から少しだけ離れた場所に浮かぶ、島を丸で囲んだ。
「ライリー島の先住民たちは、外敵に対し、非常に強い警戒心を持っています。ズバエン政府からも、ライリー島にだけは、決して近づかないようにと、釘を刺されました」
「ライリー島ね……」
ミロンはもみあげまで伸びた髭をなぞる。
「なので、逃亡者たちがライリー島にさえ到達しなければ良いのですが」
「いや、例え少年二人であっても流石に追い返されるだろ」
「ミロンさんの仰る通り、情報によると、ここ数年、ライリー島に潜入しようとした学者や盗賊などは、すべて追い返されるか、殺されているようです」
「おいおい、まじかよ……」
わかりやすくカルロは落ちこむ。
「ですが、これは最悪のケースです。ですので、我々はまずライリー島を避け、ナロルカ島を目指します。以上です。オリフィスさん」
オリフィスは、夜の闇に包まれた海を黙って眺めている。
「オリフィス、余計なこと考えてないだろうな?」
ミロンは、オリフィスの眼帯を見つめる。
オリフィスは、ミロンを振り返り力強い左目を向けた。
「余計なことだと?」
「ズバエン政府からの指令は必ず守れ。破ると、今後ズバエンでの活動に影響を与える」
「我々の手助けを必要としているのは彼らの方だ」
「そういうことを言ってるんじゃない」
「そもそも、ライリー島は少年であっても追い返されると言ったのはお前だろ」
「……最悪のケースだ」
「どのような場合であったとしても、判断をくだすのは俺だ。我々の目的は、虚像者たちの捕獲、もしくは息の根を止めることだ。場所は関係ない。協力しないのなら、誰であろうと、敵とみなす」
「オリフィスさん、一般人は絶対に駄目ですよ」
「その一般人が我々を襲ってきた場合、職務を邪魔したも同然とみなす」
ミロンはため息をつき、ナギサを見る。同じくナギサも困ったように眉をひそめた。
「まぁまぁ、オリフィスさんもこんなこと言ってるけど、優しいところはあるんだからさ。ね、筆聖?」
カルロの陽気さにオリフィスは答えることもなく、再び海を眺める。
重苦しい空気が船内に蔓延する中、船は夜闇を突き進む。




