第10話「謎の少年」
先を走っていた軍曹が銃を構え、トリガーをひこうとした。
「待て、打つな!」
すんでのところで、アランが制止させる。
「中尉」
「いいから追い続けろ。まだもう一人の少年には危害を加えるな」
先ほどまで、逃亡者のアミアン・アンビアーニを追っていた。そのはずなのに、なぜかもう一人の少年が加わっている。
最初は人質かとも考えた。
しかし、どう見ても一緒に逃げている。
誰だ。暗くてよくわからないが、孤児院の仲間か。
あの時にいたかどうか、あまり印象がなく覚えていない。
いや、それとも別の仲間か。
まず普通に考えれば、逃亡幇助だ。
だが、万が一にも少年が何も知らない場合、危害を加えてしまってよいのだろうか。最悪の場合、流れ弾が当たり、殺してしまうことも考えられる。
「そのまま扇形態を維持し、ナルジエールの海岸地帯へ追い込んでいけ!」
とは言ったものの、再びアミアンが虚像化した場合、被害はただじゃ済まない。
何とか、それまでに、捕獲出来ればいいのだが。
アランは顔をしかめる。
甘えだ。絶対に殺さなくてはいけない。
だが、少年の対処が難しい。なぜ虚像者なんかと共にいる。
しかしこのまま判断を迷っていては、部下や街に被害が及ぶ。
どこかで非情な決断をしなくては。
「何者なんだ」
ーーー
「こっちだ」
アミアンの呼び声に、ノアは従った。
もう止まってしまいたい。それほどまでに息苦しい状態が続いた。
現在二人は、ヌクルプロムを抜け、潮の香りが漂うナルジエールという街に足を踏み入れていた。
ナルジエールは、フリマ国の地中海沿岸にあたる、港湾地となっている。
「止まれ!」
後方から追ってくる、兵士たちの叫び声が近づいてくる。
その時だった。ノアの足先が盛り上がった段差に躓き、盛大に転んだ。
その際に顎と膝、腰を強く打つ。
鈍痛がノアの身体を駆け巡る。
「いっ……」
まずい。ノアの頭は真っ白になった。
「ノア!」
「行って!」
アミアンは転んだノアを見て、口元を強く引き締める。
「早く! いくんだアミアン!」
「ひとり転んだぞ!」
兵士たちは、目前に迫っていた。
肩で息をするアミアンの目には、この光景がゆっくりと見えた。
逃げろと叫ぶノアの目には、鬼気迫るものがあった。
やがてノアは、兵士たちに取り押さえられた。
ノアはその場で暴れ「放せ!」と喚いている。
筆力の刃を武装した、数人の兵士がこちらに向かってきた。
ここまで来るのに、かなりの負担と負傷を背負った。
自信があるかと言われれば、半々だった。
ここから先は、身体にどのような変化をきたすかわからない。
いけるか。アミアンは自身の身体に問いかけた。
「馬鹿だな……僕も」
『友達が友達を助けるのは当たり前だ馬鹿!』
アミアンの茶色い瞳は、赤色へ切り替わっていく。
「ゔぅ……る」
アミアンは前傾姿勢をとり、地面を強く蹴り出した。
二人の兵士たちは、決め事のように、左右に散る。
開いた真ん中の空間から、筆力弾が数発飛んでくる。
アミアンは、すんでのところで躱し、脇に止めてあった車の影に隠れる。
続々と車に弾が撃ち込まれていく。
その車が、ゆっくりと宙に浮く。
「下がれっ!」
兵士の掛け声のあと、固まっていた兵士たちのもとに車が投げられた。
衝撃音が轟く。兵士たちは転びながらも何とか避けた。
左右に散っていた二人の兵士たちが、見計らったようにアミアンへ、襲いかかる。
まず一人目。刃を振りかざす。アミアンそれよりも速く、低いところから懐に入り、腹を殴る。殴られた兵は、吹き飛んだ。
つぎに二人目。反対方向から振り込まれた刃を躱す。躱したときの前傾姿勢を利用し、獣のような足さばきで、回転し、蹴りを腹に叩き込んだ。敵は宙に浮いたあと、硬い地面に打ちつけられ、ぐったりとした。
「ゔぅ……らぁっゔ」
アミアンは、一目散に直線距離を駆け抜けた。
ノアを取り押さえる、二人の兵士の顔が恐怖で引きつった。
アミアンは容赦なく、二人の兵士を突き飛ばした。
しかし、そのすぐ後方で、筆力銃を準備していたアランが、即座にトリガーを引く。
閃光。銃声。
だが研ぎ澄まされたアミアン赤い瞳には、弾丸の粒子一粒一粒が見えていた。
さらに粒子が、回転するのを目視する。
近距離で発砲された弾丸を、アミアンは宙返りし、難なく避ける。
「化け物がっ!」冷や汗をかいたアランの顔が引きつる。
アランとアミアンは、向かいあった。両者は同時に動いた。
アミアンは蹴りかかる。アランは後方へ下がった。
アミアンの蹴りは空を切るも、即座にノアを抱きかかえた。
「撃てっ!」アランが号令をあげる。
数発の弾丸が放たれる。
その時には既に、アミアンの両足は、宙にあった。
軽々とノアを抱えたアミアンは、バネのような跳躍力で、家の屋根に飛び乗る。
最後にアランが放った一発の弾が、あとを追うも、虚しく隣家に着弾した。
「こんな時間に誰だ!」
家の一部を破壊された家主の叫び声が、残されたアランたちに向けられた。
ーーー
穏やかな波が、係留した船を揺らしている。
深夜の港に、人はいなかった。
「大丈夫かいアミアン」
虚像化が解け、疲労困憊のアミアンの肩を担いだノアが先導する。
アミアンの腕から流れていた血は、赤黒く固まっていた。
すでにアミアンは憔悴しきっており、いつ倒れてもおかしくない状況だった。
「なんとか、ね」
アミアンの奮闘により、フリマ軍を引き離すことに成功した。
しかしこのまま逃げ続けていては、いずれ捕まるのも時間の問題だった。
「うわっ」
遠方から、筆力弾がノアたちを通過した。
まだ小さいが、兵たちがこっちに向かってくるのが見える。
ノアは周囲を見渡す。どちらに逃げるか。右か左か。
それとも、正面に広がる海か。
「あそこに漁船がある!」
ノアが指差したのは、木で作られた簡素な小型の帆船だった。マストが一本、帆は畳まれている。
先にアミアンが船に乗った。
ノアは岸壁に固定された杭に、巻かれた太いロープを取り外す。そのまま走って、船に飛び乗る。
二人は必死で、櫂を漕ぐ。
しかし筆力弾は、容赦なく次々と撃ち込まれた。
遠方からの攻撃により、なんとか致命傷は避けられている。
しかしそれもまた、時間の問題だった。
「ノア! このままだとまずい、船が持たない」
「わかってるけど、仕方ないよ!」
「僕が時間を稼ぐ」
そう言ってアミアンは漕ぐのをやめた。
「何言ってんだ! 君がこの船にいないと何の意味もなくなる。早く漕いで!」
実際アミアンは、再度自分が虚像化できるかどうか、自信はなかった。
というより、一日に何度も虚像の力を使ったのは、今日が初めてだった。
「早く!」
筆力弾が船尾を掠め、木が破損する。
アミアンは急いで、櫂で漕ぎ出した。
だが負傷し疲弊した、不慣れな船乗りたちの航海は、思うような速度を出せなかった。
「止まれっ!」
港から兵士たちの怒声が海に轟く。
腕を負傷したアミアンの漕ぐ速度が、明らかに減速している。
もう打つ手なしか。
それでもノアは、必死に漕いだ。そうするしか、希望はなかった。
ーーー
「アラン中尉。どうされますか」
軍曹がアランに指示を仰ぐ。アランは黙考する。
このまま確実に二人を殺す方法は、船を大破させることだ。
かなりの筆力量を消費するが、アランになら出来る。
海上なら、たとえ虚像者であっても、抗うことなど出来ないだろう。
それに謎の少年は、殺人こそ犯していないが、殺人者の逃走を幇助し続けている。もう立派な犯罪者だ。
陸上ならまだしも、海に出られると、少年にも救いの手は差し伸べられない。
上層部にも、逃がしました、では済まされない。
もう、そういうところまで来ている。
「私が落とす。みなに撃つのをやめさせろ」
「はっ」
軍曹は打ち止めの号令を叫ぶ。
アランは羽筆に力を込める。粒子が大きめの筒状を形成していく。
ーーー
もう駄目かもしれない。ノアがそう思った時、港からの攻撃が止んだ。
「攻撃が止まった。アミアン、チャンスだ!」
ノアは嬉しさを爆発させるように振り向く。
しかしアミアンは、ぐったりと船にもたれ掛かり、片腕は海の方へ垂れていた。
「アミアン!?」
ノアは漕ぐのをやめ、アミアンの方へ向かう。
そんな。せっかく攻撃が止んだのに。
「おい!」
アミアンの身体を揺らす。返事はない。
ニックのことが頭をよぎる。
心臓が早鐘を打つ。
アミアンの呼吸を確認する。
「……よかった。生きてる」
ノアは安堵のため息をついた。そう思ったのもつかの間だった。
港から、強烈な赤い光を放った巨大な砲弾が、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
「あっ……」
絶望がノアを襲った。
まだ距離こそあるものの、間違いなくこの船を撃ち落とすだろう。
いまから船を漕ぎ、攻撃を回避することは不可能だった。
ノアはぼんやりと、赤い光を見つめていた。
この眩い光が、自分たちを殺すのか。
そもそもいったい、何のためにこんなに必死になって、逃げていたんだっけ。
『誓ってくれるか。最後まで悲しみの為に戦い続けると、神に誓ってくれるか』
ニックおじさん。
時間にして、一瞬だった。
逃走に必死で、今まで記憶の片隅に消えていた。
その羽筆を、ノアは懐から取り出した。
それに合わせて羽筆が軽く振動する。
筆先から出てくる赤い粒子が、羽根を覆い始める。
羽筆の使い方などろくに知らない。
ただ、なぜかイメージは出来上がっていた。
こうすれば、自ら何かが創り出せると、思った。
この羽筆は、そうやって何度も窮地を脱してきたことを、感覚的に知っていた。
ノアは高らかに、羽筆を夜空へ向けた。
ーーー
ようやくこれで終わる。
アランは、自身が放った筆力砲弾の軌道を眺めながら、そう思った。
大量に筆力を消費した見返りとして、疲労感が全身を襲う。
だがこれ以上、今日は筆力を使う必要はないだろう。
「中尉!」軍曹が叫んだと同時だった。
船から膨大な赤い明かりが、夜の海を照らした。
なぜか少年が、高らかに右腕を掲げている。
ーーー
雲の上で寝ているような、心地よい感覚だった。
ずっと重かった身体が、随分と軽くなったような気がする。
長時間痛み続けた腕も足も、嘘みたいに痛まない。
そうか。これは夢の中か。
突然、視界が眩しいほどの光に包まれた。
「はっ」
いつの間に気を失ってしまったのか。
身体がぐったりと重い。腕がズキズキと痛みはじめた。
まぶたをゆっくりとひらく。
外が明るい。
もう朝か。こんなに寝てしまうなんて。
それより、無事だったのか。
「ノア……?」
ノアは船尾に立ち、腕を上空に掲げている。
「何を……」しているんだ。
その腕の先。手に握られた羽筆に、赤白い光が帯びていた。
違う、朝じゃない。海を見る。まだ夜だった。
眩しさの原因は、ノアによるものだった。
アミアンはとっさに立ち上がった。
だがすぐに言葉を失った。
砲弾サイズの赤い光が、軌道を描くように、船に着弾しようとしていた。
そしてノアの羽筆に集約された光が、収縮して、消えた。
眩しさがなくなった。
ノアは突き上げていた腕を、だらんと下げる。
「あっ」
失敗した。
何をしようとしているのかわからなかったが、アミアンはそう思った。
だが次の瞬間、ノアは投擲をするような動作で、筆先を空へ向けた。
「はあっ!」
ノアが叫ぶと同時に、膨大な光の衝撃波が、上空を突き抜けた。
穏やかだった海が荒々しく波立ち、波紋のように広がっていく。
「うっ」
突風がアミアンを襲う。転がるように受け身をとり、甲板に身を伏せた。
ノアが放った衝撃波は、砲弾を打ち消していた。
衝撃波は、そのまま稲妻のように、雲を切り裂く。
夜空が鳴いた。
再び、夜の闇が訪れる。
「ノア!」
アミアンが叫ぶと同時に起き上がり、走り出す。
ノアは気を失ったように、背中から倒れようとしていた。




