物音したる箱なむ一箱ありける
全容を把握したラファエロは、ふぅと溜息をつきました。
「これが同族かと思うと、恥ずかしいわい」
足下で絶命しているのは、見た目通りの連中でした。
貴重な魔物を捕らえて売ろうと、男たちはまずダイアウルフの子を罠にかけました。そして親を脅して、かつて奴隷契約に使われていた魔導具を使って従属させようとしたのです。
親をおびき出すために痛めつけられた子どもが、一矢報いようと男の喉元に食らいついたのが、惨劇の引き金でした。
仲間を助けようと焦った男たちが子どもを殺してしまい、激怒した親が男たちを襲いました。
もはや捕まえて売るどころではありません。両者は殺し合いになりました。
*
「――そして、待機していた仲間も根絶やしにしたんじゃな」
ラファエロが草をかき分けて進むと、頑丈な檻を搭載した馬車が停まっていました。
周囲にはもちろん死体。ここでの戦闘は奇襲に近かったからか、最初の現場に比べると周囲が荒れていません。
襲撃者を片付けたダイアウルフは、臭いを辿って残党も一掃しました。
ただしダイアウルフも仇を討った後に力尽きてしまったのです。
「欲を持った連中に平和な暮らしを壊されて、さぞ無念じゃったろうなあ」
ラファエロは静かに横たわる親ダイアウルフを撫でました。固まった血で毛並みはゴワゴワです。
静まりかえった空間で、同じ人族である男たちよりも、魔物の方に同情しているとカタリと物音が聞こえました。
「え? ポルターガイスト?」
ゴーストの知り合いは何人かいますが、心霊現象となると話は別です。
おっかなびっくりしながらラファエロは、音の発生源――馬車を覗き込みました。檻の奥に、木箱が乱雑に積まれています。
「ま、まずは透視じゃな」
ビビり――否、慎重さを発揮したラファエロは、安易に近づかず透視魔法で確認することにしました。ちなみにこの魔法は性犯罪に悪用される可能性があるので、使用に制限が設けられています。
許可されるのはクエスト中の斥候職の冒険者、もしくは戦場の兵士のみです。
今のラファエロにはどちらも当てはまっていないのですが、痕跡から魔法を特定するのは非常に高度な技術が必要なので、この程度の事件で検証されることはありません。
つまりバレない。バレなければオッケーなのです。
「――なんてことじゃ!」
木箱のひとつに目をとめたラファエロは、慌てて駆け寄りました。
*
箱を開けた瞬間、赤子特有のふわりとした香りが漂いました。両手で抱えられるくらいの箱の中には、赤ん坊が一人収まっていました。
「ああーう」
ちょうど目が覚めたのか、もぞもぞと身動きしています。
抱き上げると、ふにゃりとした重みと温かさが、ラファエロの涙腺を刺激しました。
鼻がきくダイアウルフが赤子の存在に気付かなかったとは思えません。
始末する前に力尽きたのか、見逃したのか今となってはその真意を知るすべはありません。
「しかし連中の子にしては、扱いがなんとも言えんのう」
「んーう」
襲撃してきたダイアウルフから隠すためと思えば、木箱に入れられていたことは理解できます。
しかし赤子の姿からは、子を守ろうとする親の情を感じることができませんでした。薄汚れたおくるみは、連中のバンダナよりも質の悪い布だったのです。
「山賊だが盗賊だかわからんが、連中と血が繋がっていると思えん見た目じゃな」
「あぅええ」
先ほどからラファエロの言葉に律儀に反応していますが、見知らぬ人間に抱かれているというのに泣き出す気配はありません。
「美しい娘を拐かして産ませたか、それともどこぞから浚ってきたか……」
青みがかった銀髪は、まだ生えそろっていないにも関わらず天使の輪ができています。傷ひとつないミルク色の肌も、薔薇の花のような唇も、うっすら開いた紫水晶のような瞳もまるで妖精のようです。
これだけ美しい赤子なら、身代金目的ではなく奴隷として売り飛ばすこともできたでしょう。
「とりあえずわかる範囲で、報告するとするか」
生後間もない赤子相手に鑑定魔法をかけても、得られる情報は限られています。せいぜい名前と性別、種族、加護持ちであるかくらいです。
「なぬ!?」
ため息をつきながら魔法を発動させたラファエロは、バチンと反発をくらって目を見張りました。
「嘘じゃろ」
驚愕するラファエロの腕の中で、赤子はきょとんとしています。
「い、今のは本気じゃなかったもんね」
魔法を無効化する方法は三つだけです。
一つ目は向けられた魔法と反対の波長を持つ魔導具を使う、二つ目は結界や陣地を作成して魔法が発動できない空間をつくる、三つ目は魔力で身体を覆って力業で弾くことです。
今しがた起きた現象は三つ目の方法です。
気を抜いていたとはいえ、ラファエロの魔法を弾くなんて相当のものです。
「赤子は魔力の使い方なんぞ知らんだろうし、本能的に全力で抵抗したんじゃろうな」
自分に言い聞かせるような解釈をすると、ラファエロは鑑定魔法をかけ直しました。
今度は全力です。赤子相手に本気を出す七十二歳の図です。
「……名無しか」
鑑定の結果、赤子は男で人族としかわかりませんでした。名前が出てこなかったということは、この赤子は洗礼を受けていないのです。
*
オズテリアでは子どもが産まれたら、まず教会に連れて行きます。
そこで洗礼をうけることで名前が魂に刻まれ、魔力の有無がわかるのです。
もし洗礼で魔力持ちだと判明したら、魔力暴走や魔法犯罪を防ぐために親には養育費が支払われ、子どもはしかるべき場所で教育を受ける権利を与えられます。
孤児だったとしても、魔力持ちだと判明したら手厚く保護してもらえます。
逆に洗礼を受けないことによるメリットはありません。長期間同じ名前で呼ばれても、魂に名前が刻まれるので、たとえば密偵にするために洗礼を逃れても意味は無いのです。
むしろ公的機関に就職する際には鑑定魔法を受ける義務があるので、名無しや、明らかにコードーネームという結果が出てしまったらその時点でお縄になります。
「ううむ。困ったのう」
もし誘拐されていた場合、オズテリアで洗礼を受けさせない親など、育児放棄か邪教に染まっているかの二択です。親元に帰したところで、子どもの未来は明るくないでしょう。
馬車の外で死んでいる連中の子どもだった場合は言わずもがな。
犯罪者の子として、孤児院でも肩身の狭い思いをして生きていくことになるでしょう。
ラファエロは腕の中の赤子を見つめました。
再び夢の世界に戻った赤子は、ラファエロの胸に頭を預けて安心しきった寝顔を晒しています。ふくふくとした頬が重力に従ってたゆんと流れています。
誘われるように頬を突いたラファエロは「ふわっ! なにこれ液体!?」とその柔らかさに驚きました。
「……もふもふじゃないけど、ぷにぷにじゃな」
ラファエロの悪い癖が発動しました。
幼い頃から卓越した力を持っていたために、同世代どころか大人にも頼られては、快く応じてきたラファエロ。だって感謝されるのも、褒められるのも嬉しかったし、他人には難しいことでも彼にとっては大した問題ではなかったからです。
反抗期真っ盛りの頃ですら「やれやれ」と言いながら、持ち込まれる無理難題を大した報酬もなしに引きうけていました。ここまでくると承認欲求ではなく、便利なお人好しです。
そんなラファエロは、明らかに厄介事であっても、あれこれ理由をつけては抱えこんでしまう習い性がありました。
「子どもを育てると、若々しくあれると言うしのう」
ラファエロは同窓会という名の、マウント合戦で交わされた会話を思い出しました。
育児という責任感と、子どもから受ける刺激。これらのおかげで周囲に比べると若々しくあれるのだと、多忙な娘夫婦の代わりに孫を育てている同級生が言っていました。
「この山に住んでいるダイアウルフは、あの親子だけじゃったし……。ペットを飼う代わりに、子育てというのもありかもしれんな」
愛玩動物と養子では育成の難易度が段違いなのですが、ラファエロは気付かぬふりをしました。
そして男はDTで父親になったのであった。




