お爺さんは山へモンスター狩りへ
師弟の出会い。
遡ること九年前。オズテリアの首都にある魔搭に一人の魔法使いがおりました。
十把一絡げの平魔法使いではありません。魔法大国であるオズテリアの魔搭主にして、世界でも五本の指に入る大魔法使いです。
死後確実に教科書に載るであろう彼の名はラファエロ。そんな偉大な男である彼は――
「もう嫌じゃぁああ! 面会希望者午前八十人、午後百人とかおかしいじゃろ!」
手足をばたつかせて喚く姿は、名のある人物どころか、まともな社会人とは思えません。
生物としての全盛期を維持する術により、見た目は若々しいものの中身は年齢相応のご高齢者です。
キレる老人とするか、認知症とするかは判断しづらいところですが、どんな立派な人物であっても寄る年波に勝てぬということでしょう。
「ラファエロ様。憤慨されているところ恐縮ですが、定時なので上がらせてもらいますね」
「なぬ!?」
「定年を迎えて嘱託になったので、時短勤務なんです。いやー、早く帰らないとベスがすねちゃうんです。あ、ベスっていうのは最近我が家にお迎えした犬です、可愛いでしょ」
いつも持ち歩いているのか、グレイヘアがダンディな部下は、懐から記録水晶を取り出すと子犬のスライドショーを流し始めました。
「……」
「小型犬なんですが、好奇心旺盛で散歩が大好きな子でね。毎日リードを咥えて、玄関でわたしが帰ってくるのを待っているんですよ」
ラファエロより十歳も若い補佐官は、聞いてもいない愛犬語りを続けます。
「あんなに可愛くて賢い子は、この世に二匹といません。あの子に先立たれる日を思うと憂鬱で……早くもペットロスになりそうです」
「そのベスとやら、どうみても子犬なんじゃが」
「生後六ヶ月ですっ」
「憂鬱になるの早すぎじゃない!? お迎えなんて相当先の話じゃろ!」
みたところベスは魔物とのミックス犬です。長命な魔物の血が入っている愛玩動物は、種族を問わず最低でも三十年は生きると言われています。下手をしたら、人族である部下の方が先に天に召されるでしょう。
「そう考えるのは、ラファエロ様がペットを飼ったことが無いからですよ。ベスと過ごせる時間は有限なんです。わたしはお先に失礼しますが、月末なので諸々の書類提出よろしくお願いしますね」
「え?」
「お疲れさまです~」
悪びれもせず部下は去り、部屋にはラファエロだけが取り残されたのでした。
六十歳で短時勤務となり、一分単位で残業代がつく年下の部下。
対して七十二歳になるというのに、残業時間が月45時間を超えないようギリギリの調整をしつつ、部下が病欠したら休日出勤して穴埋めするラファエロ。
大人の社会は理不尽です。
そもそも「セミリタイアして犬を飼いたい」と言ったのはラファエロの方でした。散々興味なさそうな顔で聞き流しておきながら、あの部下はちゃっかり他人の夢を叶えているのです。
ラファエロは、何十年も前から温かくてモフモフした愛玩動物との暮らしに憧れていました。
宮廷魔法使いの長として魔塔を統括する彼は、その責任と激務に相応しく、お給料も宰相には及ばないものの大臣くらいはもらっています。
自動人形、使い魔の精霊、使用人……他人に世話を任せればどんな動物であろうと飼えないことはないのですが、自分は一切世話をせず、休日に数時間戯れるだけだなんて、はたして胸を張って飼い主と名乗れるのだろうか。
そんなものが、自分が望んだペットとの暮らしなのか。
そうやってあれこれ考えると、生き物を飼う決心がつきませんでした。
そんな状況で先をこされたうえに盛大に惚気られ、とうとう――否、ようやくラファエロの堪忍袋の緒が切れました。
感情に突き動かされるまま【辞めます。探さないでください】と走り書きして、提出書類の上に叩きつけました。
そのまま転移魔法を発動しようとしたラファエロでしたが、はたと動きを止めると【もし連れ戻そうとしたら、全力で抵抗して亡命します】と付け加えて、自宅よりも長い時間を過ごしていた仕事部屋をあとにしたのでした。
*
城を飛び出したラファエロは移住先として、オズテリア東部にある山岳地帯を選びました。
高原部分に集落がいくつかあるものの、岩盤が固いので道の整備が進んでいない地域です。
地盤が固いのは、硬度の高いアダマンタイトを豊富に含む溶岩が冷えて固まったからです。強力な磁気を帯びた岩石により、生物の方向感覚が狂うのも、開発が遅れている理由です。
特に感覚が鋭敏な獣人族、魔物は強く影響を受けるので、この辺りの住民は人族ばかりです。
一時期アダマンタイト目当てにドワーフが移住したことがあったようですが、水が合わなかったようで今はもういません。
奥地にはエルフの里があるようですが、彼らは完全自給自足の引きこもりスローライフを徹底しています。オズテリアの領土に住んでいるものの、オズテリア国民としての恩恵も受けていないので非課税の協定を結んでいます。
よっていないも同然の存在です。
長距離移動となると、空路だとワイバーンやヒポグリフ、陸路はアックスビーク、バイコーン、水陸両用のケルピー辺りが採用されますが、軒並みこの一帯に足を踏み入れるのを嫌がるので交通手段は限られています。
魔物に比べると鈍感な動物――馬やロバといった輓獣であれば、なんとかというレベルです。
これなら野性の大魔法使い目当てに、人が押し寄せたりはしないでしょう。
国に関しては言わずもがな。
全力で抵抗するラファエロなんて、終末の赤き竜よりも厄介です。亡命なんてされた日には、オズテリア存亡の危機です。
二つ名持ちの宮廷魔法使いを手放すのは惜しいものの、下手に刺激した場合の危険が大きすぎます。
どこへ住もうとラファエロが隠居生活を守ろうとするのは予想がつくので、見方によっては雇わずとも国防に一役買ってくれるとも考えられます。
ラファエロの出奔後の緊急御前会議でそう結論を出したオズテリア国王は、逃亡したラファエロに関与しないと宣言しました。
ラファエロとしては追っ手がないことに安堵しつつも、長年勤めたのにこうも簡単に縁が切れる関係だったのかと空しくなったのは余談です。
とはいえ、彼が元職場についてセンチメンタルな気持ちになったのは一瞬のことでした。
「田舎でスローライフしつつも、完全にひとりぼっちは寂しいので最低限の人気は欲しい。ついでにモフモフペットと一緒に暮らしたい!」という条件にピッタリの土地にやってきたラファエロの胸は、新しい生活に対する期待と一抹の不安でいっぱいでした。
*
しかし思い通りにいかないのが人生というものです。
森の中で大量の死体を前にしたラファエロは眉を八の字にしました。
「えぇ~。なにこれ。どういうこと?」
彼の新生活は、何とも血なまぐさいスタートを切ったのでした。
過去編は全6話。




