毒か薬か 1
剣と魔法の国・オズテリアの東部にある森には、大魔法使いとその弟子が暮らしておりました。
とある昼下がりに、木造の小屋に不釣り合いな大きな声が響きました。
「なあ、頼むって!」
声の主は麓の村に住む肉屋の店主です。
丸太のような腕を少年に突き出していますが、脅しているわけではございません。
「ほら、見てくれよ。こんなに腫れてるなんてヤベぇだろ! 昨日は痒くて眠れなかったんだ!!」
「……なるほど」
たしかに手の甲の一部が赤く腫れ上がっています。
それよりも少年は患部が微妙にテカテカしていることが気になりました。
「軟膏を塗っているようですが、何を使っているんですか?」
「え?」
ミカエルの指摘に、店主はぎくりと動きを止めました。
「今塗っているものは効果が無いんですよね。ならもっと効くものにしないといけないので、何を塗っているのか教えてください」
「い、家にあったヤツを適当に塗っただけだ!」
「『昨日は痒くて眠れなかった』――つまり、昨日から症状が続いている。家にあった薬なら、昨日の時点で効果がないとわかっているのに、今日も塗ったんですか?」
「それはっ、その……これは昨日、寝る前に塗ったんだよ」
「つまり今日は塗ってないと。そういうことですか?」
「そうだ!」
「食品を取り扱う仕事なのに、手を洗っていないと。それはそれは……」
「うっ……」
咄嗟に嘘をついたことを認めるか、悩んでいる店主をミカエルはジト目で見つめました。
「正直に言ってくれないと、適切な判断ができません」
「うっ、うるせぇ! 余計な詮索せず、パパっと魔法で治せばいいんだよ!」
年端もいかない子どもに詰められて、店主が声を荒げました。
怒りよりも、気まずさを誤魔化すような姿に、ミカエルは怯むこと無く説明を続けました。
「治癒魔法のことでしたらダメです」
「なんでだよ!」
「違法だからです」
ミカエルは即答しました。
あまり認知されていませんが災害時や戦場など、例外を除いて治癒魔法の行使は禁じられています。
あまり厳しく取り締まると、取りこぼしてしまう命があるので努力義務です。
破ったところで罰則などはないので、患者に強く求められると応じてしまう魔法医がいるのが現状です。きっとこの店主も頼めばやってもらえると考えたのでしょう。
「治癒魔法は短時間で、酷い状態から全快まで身体を変化させます。この落差を快感と誤認して精神的依存に陥るのが問題になり、死ぬか生きるかの状況以外での使用を国が禁じているんです」
身体が限界を訴えるまで蒸し風呂に入った後に、冷たいエールをがぶ飲みする行為に似ています。
健康に悪いのは一目瞭然なのに、体が求めてしまうのです。
「あの時の感覚をまた味わいたくて、わざと怪我をしたり、身体を痛めつけるような生活をする者がいるんですよ……自分なら大丈夫。たった一回だけ。そう考えている時点で、底なし沼の入り口に片足を突っ込んでいるんです」
ミカエルはあえて強い言葉を使いました。このくらい言わなければ、目の前の男性は諦めそうに無いからです。
「で、でもよう。前にジルのヤツにはかけてやったんだろ」
「ええ。師匠が考えなしに使って、ルカ医師に叱られました」
村唯一の医師の名前を聞いた途端、店主の目が不自然な動きをしました。
ミカエルは暖炉の上にある置き時計を見て、店主の行動を逆算しました。
「店主さん。今日の午前に受診したけれど、結果に満足できなかったから、その足でうちに来たんですね」
「そ、そうだよ! あの若造の薬が効かないのが悪いんだ!」
塗った直後に痒みが消えるなら、それはもう麻酔です。腫れに関しても、そんな短時間でどうこうなるものではありません。
でも医学の知識の無い人間にとってはそうではないのでしょう。
「家に帰ってないなら、処方された軟膏を持ってますよね。見せてください」
むっすりした顔で、店主はエプロンのポケットから軟膏壷を取り出しました。
*
ミカエルの手にもすっぽり収まる小さな壷には、数字が手書きされています。
几帳面なルカは、混ぜ薬について塗り薬は三ヶ月、水薬は一週間、粉薬は半年といった風に使用期限を定めています。書かれていた数字は丁度三ヶ月後。ミカエルの推理通りです。
「中身は――抗炎症にマンドラゴラ、抗アレルギーで月光花、マンドラゴラの臭いを軽減して清涼感を与えるミント。見たところ化膿している様子もないので、この軟膏ひとつで必要なものは全部含まれていますね」
「でも効かないんだって!」
「医師の処方だからこの濃度で出せるのであって、薬屋で売ってるのはもっと低濃度になりますよ。効いたと感じさせるために、ミントを多くして感覚を誤魔化すくらいです」
「じゃあ我慢しろって言うのか!」
「……痒いのって、時には痛みよりも辛いですよね」
「お、おお」
容赦なく責め立てていたかと思えば、急に寄り添うような発言をされて店主は面くらいました。
「法に触れない。ルカ医師の治療を妨げない。それでいて薬の効果が倍増する方法があります」
「マジかよ!?」
「ふっふっふ。わしにはもうわかっとるぞ」
離れた場所で二人のやり取りを見守っていたラファエロが、したり顔で口を挟みました。
「あ。たぶん不正解です」
「答えを聞かずに判定するでない! あれじゃろ、手の甲だけ時戻しを行うんじゃろ」
どんな異常も、起きる前に戻せばどうとういうことはない理論です。
「師匠。ぼくの話を聞いてましたか? 時間遡行とか、それこそ法的制裁を受ける違法行為じゃないですか」
「ひぃっ。絶対にやるなよ! この程度の痒みで、犯罪の片棒かつぐなんて冗談じゃねぇ!」
腫れと痒みで押しかけてきた大人とは思えない発言ですが、世の中そんなものです。
ラファエロの回答は見当外れにもほどがありましたが、店主を大人しくさせるという点では役に立ちました。
「ヒントは○○○法です」
「わかった。鎮静魔法じゃな!」
毒や幻覚など、敵の攻撃で錯乱状態に陥った時に使われる、状態異常を解除する魔法です。
冒険者や魔物討伐をする騎士が使用しますが、興奮した患者を落ち着かせるために医療現場でも使用されることがあります。
治癒魔法を使った場合は、患部が治ることで痒みが消えます。
鎮静魔法だと患部はそのままですが、痒みという感覚異常を消せます。
「……師匠。長年そうやって生きてきたので、考え方を変えるのは難しいと思いますが、そのなんでも魔法で解決しようとする姿勢をどうにかしましょう」
「え。わしもしかして弟子に諭されとる?」
「もしかしてじゃなくて、実際そうだと思うぜ。っつーか、ヒント出されてる時点で指導される側になってるじゃねぇか」
呆れ顔の店主が指摘しました。師弟の会話にすっかり毒気を抜かれたようです。
「答えは重層療法です」
鎮静魔法を使うまでもなく、店主がもう興奮していないことを確認したミカエルは、錬金術の道具が置かれた一角に移動しました。
「まずは蜜蝋とオリーブオイルに、酸化させた亜鉛を混ぜます」
患部がジュクジュクしていたら、浸出液を吸ってくれる精製スライムを基剤にするところですが、今回は肌表面に水分はないので保湿効果のある蜜蝋と植物油にしました。
鈍色の亜鉛は高温で熱すれば酸化して白くなります。今回は酸化亜鉛として売られていたものを使いました。よほど特殊なものでない限り、錬金術に必要な材料は、町に行けば簡単に手に入ります。
ミカエルは試薬の瓶に入っていた酸化亜鉛を計量し、戸棚からオリーブオイルの瓶と、蝋燭を作るために買い置きしていた蜜蝋を取り出しました。
気温が高ければ蜜蝋も柔らかくなるのですが、今の季節だと混ぜるのに力がいります。
調理用の鉢に材料を放り込み、気合いを入れて木べらで混ぜました。
*
「バターみたいだな」
できあがったものを見て、店主が感想を述べました。
「その通りバターみたいに固いので、塗るときは匙がバターナイフを使うのがオススメです」
パンにバターを塗るように、ガーゼに薬を塗り広げると、ミカエルは店主のゴツゴツした手の甲に貼り付けました。
「このままだと動いたら落ちるので固定します。今回は包帯を巻きますが、方法はお任せします。ずれなければいいのでハンカチとか、お肉用のネットでも十分ですよ」
「……うちの店は糸を巻いているんだが、カミさんにやってもらえばいいか」
「片手でやるのは大変だと思うので、家族に協力してもらいましょう。塗り直す時は、処方された軟膏を指で塗った後に、今みたいに塗ってください。オリーブオイルに馴染ませて拭き取れば、楽に薬を落とすことができますよ」
「面倒だな。これだけ手間かけるんだ。効果は確かなんだろうな」
「まずこの薬自体に鎮痒、消炎、保護効果があります。更に密封することで、下塗りした軟膏の効果を高めることができます。ルカ医師の薬にバフをかける形です」
「そんな便利な方法があるなら、なんであの若造はやらなかったんだよ」
「……手を布で覆わなければいけないので、お肉屋さんを営む店主さんには向かないと判断したんじゃないですかね」
ミカエルが重層療法を知ったのは、ルカの診療所にあった医学書を読んだからです。
持ち主であるルカが知らないわけがありません。
重症ではないと判断したか、患者の様子から手間が掛かる方法を提案したところ実践できないだろうと判断したのでしょうが、流石のミカエルもやっと鎮火した店主に再び火をつけるような真似はしませんでした。
「ふーん、そうか」
「日中は軟膏だけで過ごして、夜だけ重ね塗りするのもありです。処方された軟膏は一時間もすれば成分が浸透するので、その後は手を洗っても都度塗り直す必要はありませんよ」
「……そういうことなら、ちゃんと説明すりゃあいいのに、あの若造め」
「……」
ルカの性格なら、むしろ口うるさいレベルで説明したはずです。
大方あまりに説明が長くて聞き流したのでしょう。
「というわけで、不正解だった師匠は、これからルカ医師のところに行きますよ」
「え! なんでじゃ!?」
「まだ今年の健康診断受けてないでしょう。行かなければ、来られるだけですよ。逃げられないんだから、いい加減学びましょうよ」
「うう……嫌じゃ」
「罪人に石を投げる資格があるのは、罪を犯したことの無い者だけ」という言葉があります。
罪を犯したことの無い者などいないのだから、誰にも他人を罰する資格などないという意味で、法治国家でよく用いられる格言です。
しかしルカは、その例外に当てはまりそうな人物であり「資格があろうとなかろうと、他人に石を投げるなど恥ずべき行為だ」と言い切るような男です。
バレなきゃセーフで違法行為もなんのそのなラファエロとは対極。
しかも倫理的にも法的にもルカの方が正しいのですから、ラファエロにとっては会うたびに耳に痛いことを言ってくる天敵なのです。
「師匠。往生際が悪いですよ。いつかは行かなければいけないんだから、腹をくくってください。自分から行く方が、不意打ちで往診されるよりはマシでしょう」
「……」
ミカエルに急き立てられて、ラファエロはもそもそと外出の準備をしました。まるで市場に連れられていく子牛のような哀愁漂う背中です。
そんな二人の様子に、店主はなんとも言えない表情を浮かべました。




