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奴隷市場

馬車は門を通る抜けると荷台を激しく揺らしながら進み、ついに止まった。

荷台の扉が外から開けられると、湿った空気とともにざわめきが流れ込んできた。


「降りろ!」

御者の声と共に、奴隷たちは一人ずつ外へ追い立てられる。


 ルーカスは顔色の悪いラシェルの腕を支えながら荷台を降りる。目の前に広がるのは、石造りの高い城壁に囲まれた広場。そこには数十人の商人達が群がり、物色するような眼差しをこちらに投げかけている。


「……ここが、奴隷市場…」

 ルーカスは思わず息をのんだ。声を潜めたはずなのに、その言葉は自分の胸にずしりと響いた。


並ばされた奴隷たちの列は、まるで商品棚に並べられる前の物品のように扱われる。


ラシェルの横顔は蒼白で、それでも必死に平静を装っていた。小さく組まれた手はわずかに震えている。


「大丈夫。一緒にいるから」

 ルーカスは小声で囁いた。自分自身も怖さで心臓が跳ねているのに、ラシェルをアンナに重ねたのか、そう言わずにはいられなかった。


 ラシェルは驚いたようにルーカスを見て、ほんの一瞬だけ微笑んだ。

「ありがとう、ルーカス……」


 その時、見張りの兵が怒鳴った。

「前を向け! 下を向くな!」


 二人は慌てて視線を前に戻した。

 巨大な鉄の門の奥――薄暗い建物の影が迫ってくる。そこで待つのは、彼らの未来を左右する「売買」の場。


 市場のほうへ一歩、また一歩と進むたび、空気が重くなる。

 鉄と汗と血の匂いが混じり合い、言いようのない不安が押し寄せてきた。


市場の中央には、檻が幾つも並んでいた。木枠に鉄格子を打ちつけた粗末な牢屋だが、そこには値札を付けられた人間が収められている。

列に並ばされた奴隷たちは一人ずつ檻に連れて行かれている。


「次、坊主だ!」

荒々しい声に押され、ルーカスはよろめきながら前へ出た。

その隣にはラシェルも連れ出されている。怯えを隠すように背筋を伸ばしていた。


商人達は二人を見比べる。


「ふん……碧い目にその顔立ち。こっちは、貴族筋だな。高く売れるな。別枠だ、丁重に扱え!」


ラシェルは兵に腕を取られ、奥の部屋へ連れて行かれる。


「そっちのガキは…… 深紫の目か。珍しい。その上顔もいい……。洗って少々整えれば良い値が付きそうだな。奥に入れとけ。」

 ルーカスは粗雑に背中を押され、薄暗い部屋に入れられた。

湿ったレンガの匂いに顔をしかめていると、怯えた眼差しに囲まれていることに気づいた。

よく見ると数人の自分と同じような子供達が肩を振るわせ泣いていた。

しかし、その中にラシェルの姿は無い。

どうやら、ここはラシェルが入れられた部屋とは別らしい。


「……ラシェルは、どこに連れて行かれたんだ……」


肩を小さく震わせ、ルーカスは床に座り込む。藁もなければ、温もりもない。

視界の片隅に同じ馬車に乗っていたエルフの子供の姿が目に入った。

耳の長いエルフの少女は母親と離され、細い肩を震わせて泣いている。


「ママー……!」


ルーカスはそっと耳を塞ぐが、その声は胸に刺さる。

目を閉じても、頭の中に泣き叫ぶ少女の姿が浮かび、胸がぎゅうっと締めつけられた。


「なんで……なんでこんなことに……」


泣き声に呼応するかのように、ルーカス自身の目からも熱いものが溢れた。

泣くことしかできない自分、どうにもできない状況――そのすべてが、狭い部屋の中でひときわ重くのしかかる。

 

――――――――――――――――――――――

部屋の小さな窓から暖かい光が入ってきた。

ルーカスは薄い毛布を体に巻きつけ、まだ重いまぶたを開ける。

昨晩は風呂に入れられた後、自分では気付いていなかったがどうやら疲労が溜まっていたようでいつの間にか寝てしまっていた。


「……ラシェルは大丈夫かな」

小さな声でつぶやきながら、ルーカスは床に手をつき、馬車の中での魔法のことを思い出す。

あの光景――ラシェルが水を作り出した瞬間の輝き――は、うす暗い部屋の中でも鮮やかに目に浮かぶ。


部屋では子供たちが、目覚めとともに小さくざわめく。

ルーカスは泣き疲れた少女のすすり泣きを聞きながら、自分の胸を押さえた。


「……僕も、何かしないと……」


ルーカスはそう言うと、ラシェルから教わった魔法を練習しだした。

やはり、まだラシェルのように上手く制御できないが最初に比べたら断然綺麗な球体になっている。

こんなことをしてもここを出られるわけでは無いし、どうにかなるわけでも無い。

ただ、ラシェルのあの魔法を使っているときだけは少しだけ気持ちが落ち着いた。


「……ラシェルの祈りもこういうことなんだろな。」

 

――ガチャッ


扉の鍵が回る音で、ルーカスはぱっと魔法をやめた。


「そこのガキ、ついて来い。」


無表情の奴隷商人が、皮の手袋をはめた大きな手を差し伸べる。

ルーカスは緊張で言葉も出ず、ただ体を硬直させた。


「……え?」


商人はため息をつき、冷たい目でルーカスをじっと見下ろす。

「さっさと立て。お前をお呼びだ。早くしろ。」


ルーカスはかろうじて立ち上がるが、体が言うことをきかず、よろけてしまう。

部屋の隅に同じくらいの子供たちがちらりと見えたが、誰も助けてくれる様子はなく、沈黙が張り付いている。


商人は無言でルーカスの腕をつかみ、部屋の外へ引きずるように連れ出した。

外の明かりが差すと、ルーカスは他の奴隷たちが檻に入れられて並んでいる光景を目にした。


檻の中で子供や大人が手足を震わせている。

ルーカスは怖くて目を逸らすしかなかった。


商人は腕をぐいっと引き、ルーカスを市場の地下へ向かわせる。

「おまえ、良かったな。貴族様がお前をご所望だとよ。」


商人はそう言って、重そうな金属製の扉を開くと、息を飲むような光景が広がった。

天井の高い広間、漆の床に敷かれた絨毯、壁には精緻な装飾。きらめく水晶のシャンデリアが光を反射していて地下なのに地上にあったさっきまでの部屋よりも明るい。


「――ここは……?」

ルーカスは初めて見る光景に目を見開いた。


広間の奥には椅子に座った上級貴族。

豪華な衣装と宝石で飾られた指先が、静かに宙を指すだけで威圧感を放っていた。

その視線が向けられると、心臓がぎゅっと締め付けられるようだった。


商人は小声でルーカスに耳打ちする。

「ほら、可愛がってもらえるように尻尾振っとけ。怯むなよ」


ルーカスは足を震わせながらも、背筋を伸ばす。

厳かな空間の中で黙って立たされて、まるで生きた標本のようだった。


貴族の手がゆっくりと伸び、ふっくらとした指でルーカスの頬から首筋、胸の辺りまで撫でる。

「ふむ……健康そうだな」

低く響く声は優雅でありながら、どこかいやらしかった。

ルーカスは視線を床に落とし、鼓動だけが耳に響く。


商人は貴族のその様子を見てすかさず語りだした。

「左様でございましょう、左様でございましょう。なにしろ、こちらは昨夜到着したばかりの品でございます。そして、この瞳――! マルヴィス侯爵様が濃い色合いの眼の幼子をお求めと伺い、特別にご用意させていただきました。私も長らくこの稼業に身を置いておりますが、ここまで深い紫の瞳は滅多にお目にかかれませぬ。しかも、この面差しでございます。齢も十に満たぬ幼子ゆえ、侯爵様のお望みに添う形に育て上げることも容易にございましょう。……いかがでございましょうか?」

 


目の前の貴族に媚び諂う商人の口角にはいやらしい笑みを張りつけ、手を擦り合わせながら語る姿は、長年人を物のように売り買いしてきた者の癖がにじみ出ていた。言葉の端々に媚びと打算が滲み、まるで獲物を前にした狐のように細い目がぎらついている。


貴族と商人が商談を進めている間、ルーカスはただじっと俯いていた。

「商品」という言葉が耳に刺さり、胸の奥が焼けるように痛んだ。自分の瞳や顔立ちが称賛されるたびに、まるで自分自身ではなく、ただの装飾品の一部を褒められているようで、吐き気すら覚える。


ルーカスは胸が押し潰されるような恐怖と緊張の中、ただ立ち尽くす。

豪華な広間の美しさと貴族のいやらしい視線――それらが入り混じり、心をぐっと締め付けた。

 

だが、完全に絶望することはなかった。どれほど惨めに扱われても、心の奥底には小さな火種のような反抗心が残っている。ルーカスは俯いたまま、侯爵の視線を避けながらも、その火を決して消すまいと握り締めた。


そうこうしていると、いきなりルーカスは別室に連れて行かれ貴族の子供が着るような小綺麗な服を着せられ、髪をすかれた。

商人に連れられるまま片道とは違う地下通路を通り地上に出た。


そこには黒漆塗りの車体に金の紋章が光り、四頭立ての馬車があった。

その後ろには小さな木箱を車輪に乗せただけのような馬車が並んでいる。窓は小さな格子ひとつで中は暗かった。

ルーカスは今まで遠くからしか見たことがなかった馬車が目の前にある状況に狼狽していた。


これが、スラムの子供達と一緒に面白半分でイタズラを仕掛けに来ただけなら、あったかもしれない未来で貴族の護衛としてだったのならどれだけ良かっただろう。

だが現実は違った。ルーカスは奴隷だった。その馬車は中に乗る者の権力を見せつけるかのようだった。

そしてこの馬車に乗る貴族に買われた。


―――もう逃げられない。


ルーカスは怖かった。寒くて苦しかった。

それはルーカスがいままで感じたことのなかった未来への恐怖だった。親に置いて行かれても、お金が尽きても自分でどうにかすればなんとかなった。しかし、自分ではどうしようもできない大きすぎる力の前では戦うことも逃げることもできなかった。


商人に連れられて向かった先にある小さな木箱のような馬車——それが自分の行き先だと悟った瞬間、喉が張り付く。

扉を開くと中には布が敷かれ、傷つかぬよう気が配られている。

だがその優しさは、自由を奪うための枷にすぎない。

「大切にされる」のではない。

「飾る物を傷つけないように保護する」のだ。

ルーカスは震える足を動かし、小さな馬車へと身を沈めた。暗がりの中で膝を抱えたとき、悔しさと恐怖が同じ熱で胸を焼いた。


商人が扉を閉めようとした時、背後から落ち着いた声が響いた。

「その馬車ではなく、こっちの馬車に入れてくれ。」


商人の肩が跳ね、慌てて振り返る。

「ですが……侯爵様、これは観賞用と言っても奴隷ですので――」

「構わん。」

有無を言わせぬ声音が商人の言葉を断ち切った。


貴族は扉を指で軽く叩き、当然のように続ける。

「私の物だ。私の望む通りにしてもらおう。」


商人は青ざめた顔でしどろもどろになりながら頭を下げ、護衛に目配せした。

その手に導かれ、ルーカスは黒漆塗りの大馬車の前に立たされる。

見上げれば、金の紋章が陽光を跳ね返し、眩しくて目を細めた。

喉がごくりと鳴る。拒めばどうなるかは考えるまでもない。


扉が開く。厚い深紅のカーテンが揺れ、重い空気が流れ出てきた。

その貴族に続いて足を踏み入れると、柔らかな絨毯が沈み、外の喧騒が遠ざかる。


扉が閉ざされた瞬間、胸の奥に冷たい重みが落ちた。

四頭の馬が力強く蹄を響かせる。

車輪が軋み、馬車はゆっくりと動き出した。


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