あなたの元に帰りたくて
短編の「小国の王女が大国の皇帝に嫁ぐ理由」が好評だったので、短編を投稿しました。
よろしくお願いいたします!
西の大国と東の大国は何百年もの間争っていた。
両国の争いは因縁であり、伝統であり、負けることは許されない戦いでもあった。
大国同士の争いは他国に莫大な富をもたらしたが、西の大国と東の大国は長年続いた戦争によって疲弊し、領土が荒廃した。
このままでは共倒れ。
高みの見物をしている他国の思惑通りになってしまう。
西の大国と東の大国は休戦協定を結ぶことにした。
そして、両国が争いから平和へ進むための証として、西の大国の皇女が東の大国に、東の大国の皇子が西の大国に送られることになった。
西の大国の皇女を迎えたのは東の大国の皇子だった。
「どのような者が来るのかと思っていたが、やはり期待はずれだったか」
「西の大国の第十三皇女ミレイと申します。どなた様でしょうか?」
話し相手は四十代と思われる男性。
結婚相手の皇子は二十二歳と聞いていただけに差があった。
「我は第三皇子の緑王だ」
「なぜ、第三皇子の緑王様がここに? 私が嫁ぐのは第十三皇子の黒王様だと聞いているのですが?」
「黒王の後見人をしている」
東の大国の皇帝には大勢の子どもがいる。
年長の皇子はすでに妻帯者であるため、未婚の皇子との縁談にしようということになり、第十三皇女なら第十三皇子でいいとなった。
「休戦協定を守るための縁談だが、協定が破棄されない保証はない。どうでもよい皇女を送って来るとは思ったが、ここまで酷いとは思っていなかった」
東の大国における美人の条件は美しい黒髪と放漫な体。
しかし、ミレイは白髪でやせ細った体つき。
まだ十八になったばかりだというのに、老齢であるかのような印象を受ける王女を美しいと思えるわけもなかった。
「申し訳ありません。未婚の皇女の中から選ぶことになり、数字に縁があるということで私になったと聞いております」
「まあ俺がもらうわけではないからな。黒王のものだ」
緑王はそう言って自分の後ろに控える黒髪の青年に顔を向けた。
精悍な顔立ちで、年齢以上に大人びた印象をしている。
西の大国では死神として恐れられている皇子だった。
「お前の妻にしろ。どうなるかは状況次第だ。まだ殺すなよ」
「御意」
黒王は頷くとミレイに視線を向けた。
「東の大国第十三皇子の黒王だ。ミレイを俺の妻にする。反抗は許さない。大人しく従え」
「お仰せのままに」
「あとは任せた」
緑王は立ち上がると部屋を出ていく。
部屋に残ったのはミレイと黒王の二人だけ。
「俺の宮へ行く。皇宮内の様子を西の大国の者に知られるわけにはいかない。ここに来たのと同じ方法で運ぶ」
ミレイは黒い布袋を頭にかぶせられ、荷物のように肩に担がれて運ばれてきた。
「従順な妻である証として、これをかぶれ」
黒い布袋。
ミレイは黒王から渡されたそれを迷うことなく頭にかぶった。
すぐに黒王に抱き上げられる。
「黒王様、ここに来た方法と違いますが?」
「荷物のように担がれたのは知っている。それは西の大国からの送付物だからだ。だが、俺にとっては妻だ。荷物のように運ぶわけにはいかない」
「理解いたしました」
ミレイは黒王に抱き上げられたまま移動したあと、馬車に乗った。
「黒王様の宮は遠いのでしょうか?」
「第十三皇子だからな」
おそらく上位の皇子ほど皇宮に近く、あとから生まれた皇子ほど遠い場所に住む場所があるのだろうとミレイは思った。
「俺の宮に着いたが、部屋まで布袋を取るな」
「はい」
馬車から降りたあとはまたしても抱き上げられての移動になった。
「着いた。ここがミレイの部屋だ。布袋を取る」
顔を覆っていた黒い布袋が取り去られた。
ミレイは目を慣らしながら部屋を見回した。
漆喰の壁。石の床。木の建具。
豪華絢爛とはほど遠いが、清潔感はある。
質素というよりはさっぱりとした部屋という印象が強かった。
「東の大国は西の大国と違う。その差に驚くことになるだろうが、慣れるしかない」
「はい」
「贅沢は禁じられている。東の大国らしい生活をしてもらう」
「わかりました」
「日常生活の世話は侍女がする。必要なものは用意するが、西の大国とは違う。東の大国にあるものが用意される」
「はい」
「夜に来る」
黒王が部屋を出ていくと、四人の女性が入って来た。
「ミレイ様にご挨拶申し上げます。ここにいる四人が交代してお世話をすることになります」
「わかりました」
「長旅でお疲れのことかと思います。入浴していただき、衣装を着替えていただきます」
「もう入浴するのですか?」
「はい。入浴の仕方も違うと思いますのでご説明いたします」
東西では文化的な違いが多くある。
慣れる必要があるのはわかる。
だが、その生活がいつまで続くのか。
安心できるものなのか。そうではないのか。
ミレイにはわからないことばかりだった。
夜。
寝台の上に座っていたミレイは、静かに開けられた扉のほうに顔を向けた。
予想通り、姿をあらわしたのは黒王。
「その座り方は違う」
ミレイは膝を抱えるように座っていた。
「女性は正座をする。教えられていないのか?」
「正座をしていたら、足がしびれてしまいました」
「そういうことか」
黒王が寝台の端に座った。
「まだしびれているのか?」
「治しました」
治りましたではない。
その意味を黒王は知っていた。
「自分で治せるなら、正座を続けることができそうだが?」
「同じ座り方をしていれば、またしびれてしまいます。魔力を無意味に消費するだけだと思って」
「そうか。治癒の力があるのは知らなかった。ほかにも何か使えるのか?」
「解毒もできます。ですが、魔法を使うのは自分のためです。東の大国のためには使うなと言われています」
「そうか」
「でも、黒王様が私を妻として大切にしてくれるのであれば、黒王様にも使います」
魔法は自分や味方のために使うものであり、敵のために使うことはできない。
しかし、黒王がミレイを守ってくれるのであれば、味方として魔法を使う。
それは結局自分のために魔法を使ったのと同じだという解釈をミレイは伝えた。
「他の魔法は?」
「灯りの魔法も使えます。基本的にはその三つですが、期待されては困ります。王女なので最低限は使えるように練習しただけなのです。どんな病や傷も治せると思われては困ります。軽症であれば治せますが、重症者は無理です」
「そうか」
「黒王様は私をどのように扱うおつもりですか?」
ミレイは直接聞きたかった。
「私は休戦協定をできるだけ長くするための贈り物です。皇子の妻としての身分と衣食住は保証されるので、何も考えずに生きていれば良いと言われました。黒王様もそう思われているのでしょうか?」
「俺は夫だが、監視役でもある。まだ殺すなとは言われているが、丁重に扱えとは言われていない。東の大国について不利なことをした場合は反逆罪に問われる。牢に入るだけで済むと思うな。生きてさえいれば拷問もできる。気をつけろ」
黒王の言葉は淡々としているが、その内容はミレイにとって恐ろしいものだった。
「黒王様に従順な妻であれば、そのようにはならないのですよね?」
「確約はできないが、そうだと答えておく」
ミレイの不安はぬぐえない。
それでも黒王は質問に答えてくれた。
元敵国の皇女に対して脅すのは常套手段。
何も教えてもらえず、いきなり反逆罪になるよりはましだと思った。
「大人しくしています。というか、最初から大人しく生きるつもりでした」
「こちらからも皇子を送った。どのように扱われるか知っているか?」
「いいえ。でも、推測はできます」
「推測を話せ」
「皇女は結婚すると自分の城を与えられるので、第十皇女も夫もその城に住むと思います」
「夫になった第十皇子に求めることは何だ?」
「西の大国を困らせるようなことをしないことです。第十皇女が面倒を見ることになっているので、第十皇女の機嫌を損ねないことも重要だと思います」
「そうか」
「私は正直に話しました。長旅で疲れているので、お話については機会をあらためていただけないでしょうか?」
「わかった。寝る」
ミレイはついにその時が来たと思った。
「……優しくしてくださると嬉しいです。男性と一緒に寝るのは初めてなので」
「先に言っておく。俺はずっと戦場暮らしだった。暗殺を警戒するため、女性と一緒に眠ったことはない。いびきをかくかどうかはわからないが、うるさい時はゆすって起こせ。鼻をつまんだり口を塞いだりしたら皇子に対する殺人未遂だ。命はないと思え」
「わかりました! いびきがうるさかったらゆすって起こします!」
「横になれ」
ミレイが寝台の上に横たわると、毛布をかけられた。
抵抗してはダメ! 従順でないと!
そう思ったミレイだったが、黒王が自分を抱きしめたまま動かないことに気づいた。
「黒王様?」
「早く寝ろ」
「もしかして……何もしないのでしょうか?」
「寝ているだろう?」
「私たちは夫婦です。だから、その……なんていうか……寝る以外にもすることがありますよね?」
「言いたいことはわかる。だが、敵と判断された妻が俺の子どもを身ごもっていたらどうなる?」
「どうなる……のですか?」
「妻と一緒に俺の子どもの命も奪ってしまうことになる。そうならないように、子どもができるようなことはしない」
「なるほど! 納得です!」
「寝ろ」
「はい。おやすみなさい」
ミレイは安心した。
しかし、それは間違い。
何かあればミレイは死ぬことになる。処分しやすいように子どもを作らないと言われただけ。
だというのに、敵国に嫁ぐ緊張と不安と疲労のせいで、とにかく今はゆっくり眠りたいという気持ちが勝った。
「……単純だな」
早々と寝息を立てる妻を見て、夫はため息をついた。
黒王の妻としての生活が始まった。
生活様式の違いについては説明を受け、日々実践しながら学んでいこうとミレイは思っていた。
だが、ほとんどのことは侍女がやってしまう。
ミレイは侍女が言う通りに起き、着替え、食事をして、ぼんやりしていればいいだけだった。
「本を読めませんか?」
「読めません。この国について教えるわけにはいきません」
「刺繍をしたいのですが?」
「針は危険物です。刺繍も裁縫もできません」
「書きものをしたいのですが?」
「できません。スパイ行為を疑われないためです」
「日記とか黒王様へのお手紙でもダメですか?」
「ダメです」
「お庭を散歩したいです」
「できません。自室で大人しくしていてください」
「世間話をするのは」
「身分が違います」
ミレイは敵国の皇女。
余計なことはさせたくないというのはわかるが、ぼんやりするだけというのは暇。
一日や二日なら我慢もできる。
しかし、何日もとなると難しかった。
「こんなに毎日が暇なんて! 何かないですか?」
「ないです」
「私の側に控えているだけでは暇ですよね?」
「暇ではありません。控えるという仕事をしています」
「座っているだけですよね?」
「いつ何が起きてもいいように警戒しています」
「でも、何もないです。眠くなりませんか?」
「なりません」
「暇つぶしになりそうなことはないですか? トランプとか」
「ありません。遊ばないでください」
ミレイは体を揺らした。
「貧乏ゆすりはやめてください」
「ちょっとした運動です」
「この国では貧乏ゆすりと呼ばれるものです。落ち着きがなくみっともない女性だと思われてしまいます。動かないでください」
「瞑想をしていればいいということですか?」
「それなら可能です」
ミレイはげんなりするしかない。
夜、夫婦として一緒に寝る時だけ来る黒王に相談することにした。
「退屈で死にそうです」
「退屈というだけでは死なない」
「何かできることはないでしょうか?」
「昼寝でもしていろ」
「夜に眠れなくなります」
「夜も寝ろ」
「何かさせてください! 黒王様の役に立ちたいのです! 妻なので!」
「気持ちだけでいい。下手に何かさせると、俺が注意される。この国のことについて教えるわけにはいかない。必要最低限のことだけだと言われている」
「西の大国にいた時とは大違いです」
「どう違う?」
「とても忙しかったです。戦争中は怪我人が大勢出るので、治癒魔法の使い手は一人でも多くいたほうがいいのです。かすり傷を治せる程度でも手伝わされます」
「かすり傷はどうでもいい気がするが?」
「いいえ、戦争中はどこもかしこも不衛生です。かすり傷からばい菌が入れば症状が悪化して怪我が治りません。病気になってしまうかもしれません。かすり傷でも治しておいたほうがいいのです」
「なるほど」
「黒王様、かすり傷はありませんか? 私が治します!」
「もうない」
黒王には戦争中にできた傷が全身にあったが、ミレイが本当に治癒魔法を使えるのかどうかを確認するため、治させていた。
「本当に? 剣の訓練とかしますよね?」
「訓練はしない。俺と剣を合わせた者は死ぬと思われている」
死神と呼ばれる人物らしいとミレイは思った。
「いいことを思いつきました。治癒魔法は私と黒王様のために使うと言いました。でも、私や黒王様のために働いてくれる者が病気や怪我になると、私や黒王様に悪い影響が出てしまうかもしれません。なので、この宮で働く者の病気や怪我を治します。どうですか?」
「悪くない」
「前にも言いましたけれど、軽症者だけです。重症者は無理です。でも、軽症のうちに治せば重症にはなりません。そういう意味では有用ですよね?」
「そうかもしれない」
「では、それをお知らせしていただけませんか? 明日から早速治します。かすり傷でも大歓迎です!」
翌日、黒王は自分の宮で働く者に対し、ミレイが治癒魔法で治してくれることを通達した。
重症者は無理。軽症者ならいい。かすり傷でも大歓迎だと。
その結果、ミレイに目通りを申し込む者が増えた。
興味本位の者が多く、本当にかすり傷程度の治療者が多かった。
それでもミレイは優しく微笑みながら治療した。
誰かを治療することは良いこと。感謝される。自分も相手も嬉しくなれる。
退屈過ぎて死にそうな日々からミレイは解放された。
黒王の宮にいるミレイの評判は他の宮にも広がった。
最初は敵国の皇女の魔法に頼るなどありえないという声が強かったが、黒王が反論した。
「病人や怪我人はいないほうがいいに決まっている。宮の運営に支障が出ない。経費がかかりにくくなる。夫のために妻を活用するのは当然のことだ。西の大国の王女であれば余計にそうする」
この説明を聞いたほとんどの者は納得した。
他の宮の者も治してほしいと言われるようになったが、ミレイは断固拒否。
魔法を使い過ぎると自分の体調が悪くなる。
黒王や自分のための働く人については、自分に悪影響が出ないよう治すだけ。
退屈しのぎとして無理なくできる程度に留めており、自分の健康状態を維持するほうがよっぽど重要だと主張した。
ある日のこと。
「第四皇子を治してほしい」
夜、寝台に横たわったあと、ミレイを抱きしめた黒王が言った。
「かなり悪いようだ」
「重症者は治せません」
「わかっている。軽症のうちに頼めばよかったと思うかもしれないが、できない事情があった」
皇宮には名医が揃っている。
皇族の治療を敵国の皇女に任せるなど言語道断という意見が圧倒的に強く、皇族付きの医者が担当していた。
第四皇子がかかった病は珍しいものではない。
従来の方法で完治させることができると思われていたが、予想に反して悪化。重症化してしまったことが説明された。
「皇帝の命令だ。拒否する場合は処罰すると言われた」
「どんな処罰でしょうか?」
「第四皇子は皇帝のお気に入りだ。死んだらかなり重くなるだろう。手足を失うかもしれない」
恐ろしい処罰だとミレイは思った。
「では、第四皇子がどんな状態か確認します。でも、治せる保証はありません。治癒魔法は万能ではないのです。治せないことも普通にあります」
「わかっている」
「そもそも私は魔力が少ないです。休戦中とはいえ、敵国に有用な皇女を送るわけがありません。むしろ、無用な皇女を送りますよね?」
「重症者は無理だと何度も話した。できるだけのことをしてくれるのであれば、俺も夫としてできるだけのことをする」
「わかりました」
翌日、ミレイは病気だという第四皇子に会った。
「どんな薬を用いても症状が改善しない」
全身にポツポツとした水ぶくれがあった。
「水疱瘡のようです。大人がかかると重症化する確率が高いです」
「治せるか?」
「普通の水疱瘡であれば治せますが、重症化している状態ではわかりません。というか、感染力が強いです。近くにいる人は全員うつりますよ?」
「俺は平気だ」
黒王は子どもの頃に水疱瘡にかかっている。
しかし、第四皇子は今回が初めてということだった。
「合併症になっていろいろな薬を処方したら、かえって体に負担をかけてしまったのかもしれません。西の大国でも薬が合わない人は治癒士を頼ります」
「なるほど」
「自信はありませんが、黒王様のためだと思って治癒魔法を試してみます」
ミレイが治癒魔法を使うと第四皇子の全身にあった水ぶくれがなくなった。
だが、ミレイが倒れてしまった。
「ミレイ!」
「もう無理です……私が先に死んでしまいます」
黒王はすぐに医者を呼んでミレイを診察させた。
「魔力の使い過ぎだと思われます。回復するまでは絶対安静です」
「そうだと思った」
ミレイは療養することになった。
一方、助からないと言われていた第四皇子はミレイの治癒魔法によって一命を取り留めた。
ミレイが回復してから再び第四皇子に治癒魔法をかけると快方に向かい、三週間後には全快だと判断された。
「ミレイのおかげだ。感謝する」
「黒王様のために頑張りました。でも、これでわかったはずです。私は魔力が少ないので、重症者を治せません。治癒魔法をかけたせいで自分が倒れてしまい、そのまま死んでしまうかもしれません。重症者の治療は断ってください」
「俺からしっかり伝えておく」
今回のことがきっかけで、ミレイに利用価値があることが強く認識された。
皇帝は戦争で大怪我をした者や長期に渡って病気である者を治させようと思ったが、黒王が断った。
ミレイは魔力が少ない。重症者を治すと魔力が減り過ぎてしまい、その反動でミレイ自身が死んでしまう可能性がある。
自分の命と引き換えに他人を治したくないのは当然のこと。
治療を強要したせいでミレイが死ぬと、西の大国に休戦協定を破ったと思われてしまう。
治癒魔法は有用だが極めて有限。使う時も使う相手も熟考しなくてはいけない。
皇帝や皇族が病気や怪我をした時に備え、ミレイが治癒魔法を使えるような状態にしておくべきだと話し、皇帝を納得させた。
「勅命が出た。ミレイは皇族のための特別治癒士に任命された」。
皇族の病気や怪我は従来通り皇族付きの医者が担当するが、症状が改善しなければミレイが治癒魔法を使う。
その代わり、ミレイの安全、健康、魔力維持のための待遇改善や予算追加が指示されたことが説明された。
「ミレイへの差別や蔑視を軽減させることもできるだろう。了承してほしい」
「でも、重症者は困ります。軽症のうちにお願いしたいです」
「それについても抜け道を考えた。皇族が個人的にミレイに依頼するのはいいとなった」
基本的に医療行為については皇族付きの医者が担当するが、皇族自身の判断でミレイに治癒の依頼するのは自由。
依頼を受けるかどうかはミレイが自分の体調や魔力の状態等を考慮して決めていい。
重症化する前に治したいということであれば、依頼を受けて治せばいいだけ。
所詮は軽症のため、依頼を断ってもミレイが処罰されることはない。
「依頼を受けると謝礼がある」
謝礼内容は相手に任せることになるが、ちょっとした要望ならミレイから出すこともできる。
金銭や贅沢品は要求できないが、カルタやトランプのような小物がほしいというのは可能。
美しい庭園の散策、各宮で開かれるお茶会や催しに参加してみたいと聞いてみることもできる。
相手次第ではあるが、了承されればこれまでとは違う生活や体験ができるようになることが説明された。
「招集や招待という形であれば俺の宮から外出することができる。部屋で退屈するのを防げるだろう」
「それはいいですね!」
「では、了承してくれるか?」
「わかりました。とりあえずはそれで」
「良かった。追加された予算の使い道について検討中だ。何かほしいものはあるか?」
「お茶の時間にお菓子か果物を食べることができると嬉しいです」
「わかった。菓子や果物を用意させる」
「ありがとうございます!」
ミレイは心からの笑顔を浮かべた。
東の大国での生活がどうなるかわからなかったが、黒王は夫としての責任を果たしている。
蔑視も差別もしない。妻として尊重し、何かあってもできるだけのことはすると言ってくれる。
平穏な日々が続いてほしいと願わずにはいられなかった。
皇族の数が多いせいか、ほぼ毎日ミレイは皇族の誰かに呼ばれて外出していた。
「忙しくて大変ではないか?」
夜、寝台でミレイを抱きしめながら黒王が尋ねた。
「大丈夫です。外出できて嬉しいです」
「大活躍だと聞いた」
「それは言い過ぎです。かすり傷の治療依頼もあります」
「他の宮で悪く言われないか? 酷い扱いをされた場合は、俺から抗議する」
「それも大丈夫です。敵国の皇女としてではなく、黒王様の妻兼特別治癒士として扱ってくれます。依頼を受けたことへのお礼として歓迎してくれますし、美味しいお茶やお菓子も出してくれます」
「そうか。俺とは違うようで良かった」
「それはどういう意味でしょうか? 何かあったのですか?」
「皇族だけの謁見があった」
年に数回、皇帝家の行事として皇族だけの謁見がある。
皇帝に高く評価された者は名前を呼ばれて褒められ、内容によっては褒賞が与えられることもある。
西の大国と戦争をしていた頃は、戦場にいた皇族が高く評価された。
しかし、現在は休戦中。
和平交渉を担当している第二皇子と軍事統括の第三皇子が高く評価された。
それについては誰もが予想していたことだったが、黒王も評価された。
「俺が評価されたのは、ミレイに治癒魔法を使うよう説得して第四皇子の命を救ったからだ」
「黒王様のお役に立てて嬉しいです」
「妻の活躍は夫の功績になる。だが、評価されなかった皇族から嫌味を言われた。妻に頼るしかない夫だと」
「そんな……黒王様は素晴らしい夫です! 戦争中はそれこそ大活躍されていたのに」
「上位の皇族は重要な役職につくことで評価されるが、下位の皇族は戦場に行って戦果を挙げなければ評価されない。休戦中では活躍しようがない。その不満が俺に向いている。ミレイにも向かないか気にしていたが、今の話を聞くと大丈夫のようだ」
「私の知らないところで黒王様はご苦労されているのですね」
「子どもの頃から戦場にいた。一人でも多くの敵を倒すように言われ、その期待に応えるためだけに生きてきた。今はもう戦わなくていい。そのことに安堵すべきだというのに、皇宮には自分の居場所がないと感じてしまう」
「居場所はあります」
ミレイは黒王を見上げた。
「ここです。黒王様の宮ですから」
「他の宮とは違うだろう?」
ミレイは皇族の治療をするため、あちこちの宮に行った。
どこも立派で内装も家具も豪華。さすが皇族が住む宮殿だと思えた。
西の大国にあるような調度品もある。
黒王の宮との違いをまざまざと見せつけられた。
「気になっていたのですが、黒王様は貧乏なのでしょうか?」
「俺はずっと戦場にいた。いつ死ぬかわからない独身の皇族に宮殿を与える必要ない。休戦になって皇都へ戻ったら結婚しろと言われ、自分の宮を持つことになった。敵国の皇女に皇宮のことを知られたくないため、ずっと使われていなかった宮殿になった」
「なるほど。それで古くて小さな宮殿なのですね」
「俺は実力で奪った西の大国の領地を与えられていた。だが、全部没収された。和平協定が調印された場合、西の大国に返還するらしい。祖国の領土を守り抜いたことを誇りに思う。平和が訪れるのも良いことだとわかっている。だが、多くの犠牲を出して勝ち取ったものがなくなった。俺は何のために戦っていたのだろうかと思った」
「そんなの、決まっています」
ミレイは黒王を見つめた。
「生き抜くためです。命を失う前に休戦協定が結ばれて良かったのです」
「……そうだな」
黒王はミレイを強く抱きしめた。
「生き残っただけましか。死んでしまったら命さえ残らない」
「死んだら結婚だってできません。私が言うのもなんですが、黒王様は良い妻を貰ったと思いますよ? 絶対に逆らいません。従順です。黒王様のために治癒魔法を使います。危ないことをしなくても評価されるのは楽でいいと思えばいいだけです」
「そうだな。つまらない話をしてしまった」
「おしゃべりは大歓迎です。私がまともに話せるのは黒王様だけですから」
「外出先で話すだろう?」
「悪く思われたくないので猫かぶりです」
「侍女と話すこともあるはずだ」
「ただのおしゃべりはダメだと言われています。必要なことでないと答えてくれません」
「今の侍女が気に入らなければ他の侍女に変えるが?」
「大丈夫です。今の侍女は有能です。私が処罰されないように細かく注意を払ってくれています。信頼できると思っています」
「そうか」
「いつか黒王様の力が必要な時が来ます。今は英気を養う時だと思って、ゆっくり休んでください。忙しくなってから休もうと思っても無理ですから」
「そうだな」
黒王はミレイの頬を優しく撫でた。
「ミレイは優しい」
「夫を励ますのも妻の務めです」
「俺は良い妻を迎えることができた。次に嫌味を言われたら妻の自慢話でやり返す」
「その意気です」
「ミレイもゆっくり休め。おやすみ」
ミレイのこめかみに黒王が口づけた。
「おやすみなさい」
ミレイは目を閉じる。
だが、こめかみに口づけされたせいで、心臓がドキドキしている。
すぐに眠るのは難しかった。
一カ月後。
東の大国内で襲撃事件が発生した。
犯人は西の大国の者だった。
休戦協定が破られたかどうかを検討することになり、西の大国に説明を求めることになった。
「落ち着いて聞け」
夜。黒王は不安な表情を浮かべているミレイを抱きしめた。
「西の大国への不信感が高まっている。安全確保のため、俺の宮を出るな。治療の依頼があっても体調が悪いと言って断れ」
「わかりました。もしかして……休戦協定がなくなりそうですか?」
「その可能性もある。最悪の場合、ミレイの死体を西の大国に送り付けることになるだろう」
あまりにも衝撃的な話にミレイの体が震えた。
「黒王様にお願いがあります。ダメ元で言ってもいいですか?」
「なんだ?」
「死を避けることができないのであれば、痛くないようにしてください。そうでないと怖いです」
胸にすがるミレイを見て、黒王の胸には言葉にできない感情が沸き上がった。
「ミレイは皇族を治療することで敵意がないことを示して来た。死を避けることができない場合、ミレイの願いを叶えるよう努める。だが、その前に死を避けるための手立てを考える。夫としてできるだけのことをする」
「ありがとうございます」
ミレイが頼れるのは黒王しかいない。
黒王に自分の命を預けようと思った。
やがて、西の大国からの正式な返事が届いた。
事件はあくまでも犯罪者が勝手にしたことで、西の大国としては休戦協定を破る気はない。
東の大国の軍の様子が変わったため、西の大国の軍には警戒態勢を通達したが、あくまでも休戦協定を東の大国が破った場合に備えただけ。
実を言うと、西の大国でも東の大国の者が爆破事件を起こした。休戦協定を破ることに備えた破壊活動かどうかを調査している。
同じ時期に発生したことを考えると、両国の休戦協定を壊したい第三者の仕業かもしれない。
両国内で発生した犯罪事件について、詳細な情報交換を行いたいとのことだった。
「話し合いで解決したいとは思っている。だが、詳細な情報を入手して検討した結果、休戦協定の違反になる可能性がある。犯罪者の事件同士として相殺する案を出すつもりだが、疑惑を完全に払拭することは難しい。不信感が残るだろう」
「そうですか」
「今回は何とかなっても、また同じようなことがあれば、今度こそ休戦協定が破棄されるかもしれない。そこでミレイと第十皇子を交換することになった」
東の大国に送られたミレイも西の大国に送られた第十皇子も大人しくしており、両国の平和のために尽力している。
だというのに、何かあった場合は休戦協定の内容に従って死体を送り付けなくてはいけない。
皇族の命を無駄にしないためにも、休戦協定の内容を修正する条項を加え、生存しているうちに身柄を交換することになった。
「国境まで送る。夫として最後の務めだ。ミレイとの婚姻は解消になる」
「ダメ元で聞きますが、東の大国に残れないでしょうか?」
「残りたいのか?」
黒王は驚いた。
「西の大国に戻っても私の居場所はありません。ずっと戦場にいた皇女ですから」
ミレイの告白は黒王にとって衝撃的だった。
「……戦場にいたのか?」
ミレイが兵士の治療行為を行っていたことは知っている。
しかし、それは皇都に運ばれて来た負傷兵に対してで、ミレイが戦場にいて治療をしていたとは思っていなかった。
「子どもの頃から治癒魔法が使えました。皇族が戦場にいれば士気が上がります。かすり傷が治せる程度でもいいのです。皇女は沢山います。十三番目の皇女であれば、戦場で死んでも仕方がありません。尊い命を皇女が捧げたということで、より士気が上がるかもしれません」
自分と同じだと黒王は思った。
黒王は子どもの頃から魔力があり、武術に秀でていた。
戦場では一人でも多くの兵がほしい。武術に堪能なら子どもであっても大歓迎。
皇族であれば士気が上がる。
戦場で命を落としても名誉の戦死。それさえも士気を上げるために有用だと考えられていた。
「私の魔力が少ないのもそのせいです。補給物資がなかなか届かないことが多くて栄養失調でした。そんな状態では体も魔力量も成長するわけがありません。だというのに、戦場から戻った私を見て、父も姉も容姿や能力を卑下しました。私がこうなったのは父や姉が戦場へ行くのを拒否したからです。私の母親はすでに死んでいたので、戦場に送ることに反対する者がいませんでした。それで私は父や姉の名代として戦場に送られたのです」
そうだったのかと黒王は思った。
だが、それを知ったところで、どうしようもない。
「皇帝の決定を覆すことはできない。だが、どこにいても生き続けることが重要だ。戦場よりもましな場所は多くある。西の大国にもきっとある」
「黒王様を困らせないためにも、皇帝の決定に従います。それが妻として私ができる最後の務めでしょうから」
ミレイは第十皇子と交換された。
その後、詳細な情報交換を行った結果、中立国である央の国にいる武器商人が黒幕であることが判明した。
東の大国と西の大国は揃って央の国に抗議し、黒幕であった武器商人を国際的な陰謀を主導した犯罪者として処罰させた。
両国から睨まれた央の国は国交の悪化を懸念。
央の国と西の大国と東の大国の三国間による政略婚姻を提案した。
その話を知った黒王は父親である皇帝にミレイを再び引き取りたいと願い出た。
ミレイは従順で東の大国に慣れている。皇族のための治療士がいるのは有用だと説明した。
皇帝も同じように考えており、政略結婚をするなら扱いやすかった第十三皇女にしたいという要望を西の大国に伝えた。
しかし、西の大国と央の国の話し合いが先行して進んでおり、第十三皇女は央の国に送ることが決定しているために無理だと言われてしまった。
最終的には東の大国が西の大国に再度第十皇子を送り、西の大国が央の国に第十三皇女を送り、央の国が王女を東の大国に送ることになった。
東の大国に央の国の王女が到着した。
大国同士の戦争でいかに央の国が益を得たのかがわかるほど、王女は豪華な衣装や宝飾品を身に着け、持参金替わりの調度品等も数多く持って来た。
王女の結婚相手は第十三皇子の黒王。
ミレイとの結婚がなくなったことで独身者に戻った。
西の大国との和平交渉の材料として戦果として与えられていた領地を没収されたため、裕福な央の国の王女との婚姻で埋め合わせをすることになった。
「あまりにも違い過ぎる……ミレイの時とは」
ミレイとの婚姻は休戦協定を破りにくくするための人質交換と同じ。
祝えるような状況でもなければ、祝い事でさえなかった。
婚姻は書類のみで、結婚式も披露宴もなし。
本人たちが従順でも、相手の動向次第では休戦協定に従って命を奪うことになる。
捨て石同然の花嫁だけに、深入りはするなと言われていた。
しかし、今回は戦時中ではない。
央の国との政略結婚は国益になるため、花嫁は丁重に扱えと言われた。
結婚式や披露宴の費用は央王家のほうで負担することもあり、派手に行われることになった。
「何が埋め合わせだ! 俺の心に空いた穴を埋めることなどできない!」
黒王はミレイを国境まで送り届けた時のことを思い出した。
ミレイは黒王と一緒に国境へ行けることを喜んでいた。
死神と呼ばれるほど恐れられている人物が守ってくれるなら心強い。
黒王が所有する皇族専用の軍用馬車に乗れたのも嬉しい。
婚姻がなくなることはわかっているが、新婚旅行のような気分を最後に味わえたと言っていた。
どう見ても空元気。しかし、最後は笑顔で別れたいと思っているのもわかる。
黒王はできるだけ穏やかな表情をミレイに向けるよう努め、少しでも優しい記憶になるよう願った。
――ミレイ、俺のことは忘れていいからな?
黒王は嘘をついた。
忘れてほしくなかった。帰ってほしくもなかった。しかし、どうしようもなかった。
――忘れません。黒王様と過ごした時間は宝物です。どうかお元気で。
ミレイの言葉は喜びと同時に悲しみになった。
あれからずっと、黒王の心は暗闇の中にいるのと同じ。
深い喪失感から抜け出せなかった。
「東の大国の皇帝陛下、皇族の方々にご挨拶申し上げます」
謁見式に参加した皇帝や皇族たちは信じられないと思った。
「央の国の王女ミレイです」
多くの重臣たちが参列している。
とにかく、この場においては穏便に済ませることが重要だった。
「……よく来た。婚姻相手は第十三皇子の黒王だ。我が国のために尽くせ」
「仰せのままに」
皇帝の言葉は予定よりも短かったが、謁見式の進行は予定通り行われた。
謁見後、央の国の王女ミレイはすぐに皇帝に呼び出された。
「どういうことだ? 西の大国と央の国は我をたばかったのか?」
「どうしてそのようなことを?」
「決まっている! お前が西の大国の第十三皇女ミレイだからだ!」
その場に同席した上位皇族も元夫の黒王も、美しく着飾った王女が誰なのかを見抜いていた。
そして、どうしてこのようなことになったのかを知りたかった。
「東の大国の皇帝陛下に申し上げます。私は確かに西の大国の元第十三皇女のミレイです。ですが、現在は央の国の王女ミレイです」
「元だと? 養女になったのか?」
「私の祖父は央の国王です。なので、孫王女になります」
央の国王と西の大国の貴族の女性との間に娘が生まれた。
娘は王女だが、央の国で継承権があるのは王子のみ。王女は政略結婚をすることになる。
しかし、西の大国では女性の爵位継承が認められている。母親の実家が娘の代わりとして引き取れば、いずれ当主になれる。
将来的に考えると、当主になって婿養子をもらったほうが幸せだろうとなり、娘は西の大国の貴族の跡継ぎになった。
ところが、西の大国の皇帝に見初められ、娘を産んだ。
それが第十三皇女のミレイ。
ミレイは子どもの頃から治癒魔法が使えたため、士気を上げるために戦場に送られた。
その効果が予想以上にあったため、視察だけの予定が短期滞在に変更された。
子どもの皇女が必死で怪我人を治癒している姿は、兵士の士気を間違いなく上げている。
皇女が帰ると士気が低下、戦況が悪いのではないかと勘違いされてしまう恐れがあるため、長期滞在に切り替えられた。
そして、十年後。
休戦協定が結ばれた。
ミレイは戦場からようやく戻ることができたが、その姿を見た父親である皇帝は失望した。
戦場で兵士たちを癒し続けた健気で美しい姿という予想に反し、食料不足のせいで栄養失調、ガリガリにやせ細った姿だった。
そこで休戦協定で東の大国に送る王女をミレイにした。
やがて東と西の国で事件が発生。休戦協定の継続が危ぶまれた。
同じような事件が起きると休戦協定が破棄されるのがわかっているため、互いに送った皇女と皇子を交換することになった。
二つの大国による捜査により、事件の裏で暗躍をしていたのが央の国の武器商人だとわかった。
央の国王は動揺した。
央は国としてこの謀略に関与していない。
戦争で儲けたい武器商人が犯罪者と組んで愚かなことを企んだ。そのせいで、中立国である央の立場が危うくなってしまった。
そこで三つの国の関係を改善するための政略結婚を持ちかけた。
央の国王は孫娘が西の大国にいるのをわかっていたため、この機会に引き取るつもりだった。
ところが、東の大国が第十三皇女のミレイを要望した。
すでに西の大国と央の国の話し合いは済んでおり、ミレイは央の王女として迎え入れられていた。
ようやく再会できた孫娘を酷い父親の元に戻す気はないが、央にいても結局は政略結婚をすることになる。
央の国王は東の大国へ送る者を孫王女から選ぶつもりだったため、東の大国を知っているミレイでいいとした。
きっと東の大国も要望通りの者が来たために喜ぶ。
央の国は誠意を示すため、結婚にはできるだけ多くの金をかけることにした。
持参金替わりの衣装や嫁入り道具を揃え、盛大な結婚式や披露宴ができるよう費用を負担することにした。
こうして、ミレイは央の国の孫王女として来たことを説明した。
「央の国も西の大国も平和を望んでいます。だからこそ、東の大国が要望した私を送ることにしたのです。私は央の国の誠意と同じ。東の大国のために尽くします。ですが、別の王女がいいということであれば央の国王に伝えてください。私は央の国に戻り、別の王女が後日送られて来ると思います。ですが、別の王女は治癒魔法を使えません」
「父上!」
黒王は黙っていられなかった。
「このままがいい。俺は領地も妻も失った。また妻を失うことは避けたい。治癒魔法が使える妻は役に立つ。それはミレイのおかげで証明されている。要望通りの者が来た。それでいいはずだ!」
「私からもお願いいたします」
そう言ったのはミレイに命を救われた第四皇子だった。
「黒王のおかげで私は助かった。借りを返したい。冷静に判断しても、この件については黒王の言う通りだ。治癒魔法が使えない王女よりも、治癒魔法が使える王女のほうがいい」
「見た目も良くなった」
第三皇子も発言した。
「そうなったのは父上のおかげだ。特別治癒士に任命したミレイの健康管理について指示を出した。第十皇子のためとはいえ、育てた者をみすみす西の大国に渡すことになったのは癪だった。取り返すことができた」
「和平交渉は順調です。ミレイを央の国に戻せば、西の大国にも伝わります。こちらが要望した者だというのに、なぜダメなのかとなります。そのせいで和平交渉が調印できなくなるのは困ります」
第二皇子もこのままでいいと思っていた。
「皇太子はどう思う?」
「ミレイは娘を治療してくれた。子ども用の薬は少ないが、治癒魔法であれば老若男女問わず使える。治癒士にいてほしい」
「俺の息子もしょっちゅう怪我をする。ミレイのおかげで傷跡が残らずに済んだ。また怪我をした時はミレイに依頼したい」
第五皇子も意見を出した。
「参考のために多数決を取る。別の王女が良いと思う者は手を挙げろ」
誰も手を挙げなかった。
ミレイが皇族の治療をしていたことが、巡り巡って役立ったともいう。
「問題はなさそうだ。黒王は妻を大事にしろ。ミレイを皇族のための特別治癒士に任命する」
「御意」
黒王は深々と頭を下げた。
夜。
盛大な披露宴が終わり、黒王の宮に来たミレイはしげしげと部屋の中を見回した。
「前とは全然違います。宮殿も部屋も新築みたいに綺麗ですね?」
「俺は父上のためにも国のためにも尽くした。だが、領地を没収されたため、代わりに新しい宮殿と年金をもらえることになった」
「領地のほうが得でしたよね?」
「そうだな。大富豪になりそこねた。だが、新しい宮殿は快適だ。妻を迎えるにも丁度良い」
「てっきり前の宮殿に住むと思っていました」
「ミレイが西の大国に戻ったあと、あの宮殿は壊してほしいと父上に頼んだ。俺一人なら皇宮の隅にある空き部屋でいいと言った」
「空き部屋よりは古くて小さい宮殿のほうが良かったのでは?」
「妻と過ごしたことを思い出す。一人はつらかった」
その言葉が意味するものをミレイは察した。
「黒王様の言葉を胸に生きていこうと思いました。どこにいても生き続けることが重要です。戦場よりもましな場所は多くあるはずだと。でも、私は黒王様の元に帰りたかったのです。祖父である央の国王に懇願しました。私を東の大国へ送る王女にして欲しい。結婚相手は第十三皇子の黒王様になるよう交渉して欲しいと」
黒王はミレイを抱きしめた。
「それでこそ俺の妻だ。二度と離さない。今度は妻を死守する!」
「ありがとうございます。そうしていただけると嬉しいです」
「ミレイに伝えたいことがあった。今、言ってもいいだろうか?」
「何でしょうか?」
「愛している」
黒王はずっと胸に秘めていた言葉を口にした。
「夫としてミレイを大切にする。ずっと俺の側にいてくれるか?」
「もちろんです。私の願いは黒王様の元に帰って愛されることですから」
二人の唇が重なり合った。
それは決して叶わないことのように思えたが、そうではなかった。
運命に翻弄されるばかりだった二人の人生は、ようやく幸せに辿り着いた。
終わり
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