四 昔話
さすがにその言葉は聞き捨てならなかったのか、それまでどうにか保っていた淑女の振る舞いを放り投げて叫んだエヴァンジェリンの大声に、ノアは即座に謝罪した。
「濡れ衣を着せて、ごめんなさい」
どうやら、完全に自分の早とちりだったようである。
誠心誠意謝るものの、エヴァンジェリンの方はすっかり涙目だった。
「本当にそうよ! あのときみたいに、誰彼かまわず殺してまわるような暴挙になんて出ないわよ!」
だが、力一杯叫んだ後、エヴァンジェリンは緊張の糸が切れたように両肩を落とした。
「ただ、まあ、前科がある以上、そう思われても仕方がないといえばそうなんだけど……」
その台詞に、ノアはそっと視線をそらした。
成程、自覚はあるらしい。
だが、無自覚であればともかく、しっかりそうと認識している相手にあえて追い討ちをかける必要もないだろうとノアは沈黙を保った。
(それに、いくら記憶があったとしても、前世の人間と現世の人間は同一人物じゃないんだし。話も聞かずに一緒くたにするのは乱暴すぎるか)
勿論、過去は過去だ。そして人にしかない身には一度起こってしまった出来事を変える術はない。
けれど、過去があっての今で、今を積み重ねたその先に未来がある。
だからこそ、過去を忘れ去ってはならないのだ。それが、力を持つ者であれば尚の事。
……なのに――。
ノアはエヴァンジェリンからずらした目線をそのまま動かし、表情を一変させた。凍りつくような冷ややかな眼で男たちを見遣る。
(それなのに、ほんの百年程度で同じ愚行を繰り返そうなんて、ふざけんなってのよ)
彼らが何も知らないことは分かっている。でも、だとしてもだ。いくら過去の惨劇を知ることはなかったとはいえ、異世界人の召喚などという行動に及ぼうとしていた相手に対し、ノアは欠片も容赦するつもりはなかった。
だってそれは、ノアにとってはかつての己の死を、無に帰されるのと同じことだからだ。
そう思いつつ、ノアは改めてエヴァンジェリンを見た。
目の前の少女の金の髪と紫の瞳はセレント家の直系にしばしば現れるものだった。懐かしいその色彩は、以前の自分が持っていたのと同じ。
逆に今の自分が過去の彼女と同じ黒の髪と瞳であるということに不可思議な感慨を抱きながら、ノアは改めて言った。
「本当に、悪かったわ。でも、そうよね。あのときの貴女が我を忘れてたのは、周りの人間の裏切りも影響してのことだっただろうし」
一度ノアはそこで言葉を区切り、深く息を吐く。
「元の世界に戻るためにこの国を救うのに協力しろって言われてそうしたのに、全てが終わった後で実は故郷に帰る方法は失われているなんて明かされたんだものね。しかも騙していた周囲の面々ときたら、寄ってたかって更に貴女を利用することしか考えてなかったんだもの。そんな現実を突きつけられたら、そりゃ激怒するし何が何でも抵抗するわよね」
ノアが――、いや、ノアの前の自分が、今のエヴァンジェリンやかつての彼女を恨めない理由はそこにある。
あのとき彼女は確かに多くの人間を殺めた。だが、それはただ単に、自分で自分を守ろうとしただけなのだ。
この世界にたった一人きりの異界の人間であるということ。その事実だけでも足元が崩れ落ちそうな程の恐怖を抱えていただろうというのに、その上近くにいた者たちが彼女を欺いていたと知らされたのだ。
そんな状況に置かれた人間に、取り乱すなという方が無理な話である。
そう語るノアに、エヴァンジェリンは微苦笑を浮かべた。
「私に殺された貴女がそれを言いますか?」
「同じ言葉を貴女に返すわ。最後の最後で私と相打ちになった貴女に」
ぶつかりあった黒と紫の眼差しが、目に見えない火花を静かに散らす。
ノアは淡々と言葉を続けた。
「これでも、魔術師としての矜持はあるのよ。あのとき私は全力で貴女と戦って――その結果があれよ。だから貴女に詫びる気も、ましては言い訳をするつもりもないわ。そもそも殺すつもりで戦っておきながら、自分が殺されるのはなしだなんて、そんなふざけた話はないでしょうが」
しかもその原因は、一人の少女が多勢に無勢で追い詰められたがゆえに出た行動なのだ。
そして自分は、望んだことではないがそんな彼女の犠牲によって生き長らえた国の民で。
勿論ノアとしては自身の死は不本意ではあるのだが、それでも死力を尽くした結果だ。今更そのことについてくだくだぬかすつもりはない。
言ってしまえば、己の死因はただの実力不足だ。それに――。
(全身全霊で遣り合った相手の前で、そんな無様な真似ができるかっていうのよ)
きっぱりとそう言い切ると、エヴァンジェリンが複雑そうな顔になった。
「ええ、貴女の言うことは、信用できます。ですが、他の方々がですね……。本当に、あのときも今も、もうちょっと真っ当なひとがいたならと思うんですけど」
紫の双眸に浮かぶ怒りは、かつて彼女を召喚した人間に対してだけ向けられるものではなかった。
エヴァンジェリンは今の自身の婚約者とその側近たちに視線を向けて、苦く言う。
「異なる世界の人間なら好き勝手に扱えるだろう、だなんて、どうしてそんなことを安易に考えるんでしょうかね」
ノアはその言葉に力強く頷いた。
自分もそれには同感の一言しかない。
……そもそも、だ。一体何故、国を救うための手段として召喚された存在を、簡単に御せると思うのだろうか。
確かに、魔法陣から出現したという少女は荒事には一切縁がないような可憐で華奢な外見をしていた。しかしだからといって、それだけで彼女が無力だということにはならないだろうに。
そんな見た目だけで一方的に少女を侮り、偽りを吹き込んで利用したのだから、報いを受けたのも当然だった。
国中を巡ることになった彼女の旅に同行したのは当時の王太子、国一番の腕を持つ護衛騎士、天才と称された魔術師、百年に一人の逸材という神官の四人。
しかしそんな彼らが束となっても、あのとき暴走した彼女を止めることは叶わなかったのだ。
彼らをはじめとして、幾人もの人間が血を流しながら命を落とす中、国王に呼び出された昔の自分が向かうように命じられたのが魔法陣の置かれたこの宮だ。
――だが、あのときは息をするのも苦しいくらいほどに力で満たされていたこの場所は、今では信じられないほどに気配が弱まっている。
「人間追い詰められれば短絡的な思考になるものだけど、それでもあまりにも自分たちにだけ都合のいい発想よね。瘴気のせいで国が蝕まれている。でも、自分たちでは効果的にそれを浄化することはできない。なら、前例にあったように異世界の人間を呼び寄せよう――。他力本願にも程があるでしょうが」
けれどもその先はさすがに言葉にすることは出来ず、ノアは口を噤んだ。
(しかも強制的に連れ去っておきながら、帰る方法は分からないからこの世界で暮らせ、身分ある相手と結婚させてやるから感謝しろ、なんだもの。そりゃあ、怒るに決まってるでしょ。というか、何で被害者が加害者側の人間と結婚して幸せになれると思うのよ?)
ノアとしては婚約者の王太子に対する好意など全くなかったので、仮に婚約をなかったことにされてもありがたいとしか思わなかっただろうが、それとかつてのエヴァンジェリンへの対応は別の話である。
黙りこんだノアが顔をしかめていると、エヴァンジェリンの冷めきった声がした。
「ええ、自国内の問題くらい自分たちで何とかしろってのよ。それが帰る方法はない、だがその代わりに望んだ男と結婚させよう。おまえの働きに対する報償だって、あの国王はどこまでひとを馬鹿にしてるんだか」
その台詞は初耳だったが、それがかつての自国の王の発言だと聞かされれば、国民の一人であったノアとしては耳が痛い。
ただ、そうして居た堪れないでいるノアに、エヴァンジェリンがふと声の調子を変える。
「でも、まあ、これを貴女に言うのは明らかに筋違いね」
その理性的な響きに、やはりあのときの彼女の暴走は余程の異常事態だったのだと、ノアは改めてそう思う。
(けど、当然といえば当然か。いきなり異世界に拉致されて、帰還するためには国を救うのに協力しろって命じられて、ひたすら頑張った結果が実は騙してました、なんだもの。それは張り詰めた糸も切れるわよ)
「なら、しつこいようだけど、貴女は一体何のためにここに来たの? 元の世界に帰る為……だとは思えないんだけど」
異世界から来た少女は、すでにこの世にない。たとえ目の前にいる少女がその記憶と魂をそのまま持っていたとしても、それでも全く違う人間なのだ。
かつてと同じ精神と肉体のままで帰還することが叶わぬ以上、この少女がそれを望むとは正直なところ思い難い。
問いかけたノアに、エヴァンジェリンは静かな笑みを浮かべた。




