三 エヴァンジェリン
事前に想定していたよりも穏便な会話にひそかに胸を撫で下ろしながら、エヴァンジェリンは注意深くノアの様子を見つめた。
漆黒の髪と瞳、そして自分と同じ十六歳という年齢にしてはやや幼げな顔立ちに、エヴァンジェリンは何とも言い難い心情を覚えてしまう。
懐かしさと同時に存在する違和感は、かつての記憶がそれだけ遠いからなのか、もしくは別の理由からなのか――。疑問を抱いても今の自分にそれを判断する術はないのだが。
(もちろん、あれから時間が経ち過ぎているってこともあるんだろうけどもね)
とはいっても、そのこと自体は本来であればさほど問題ないことだ。
時が経つにつれて、以前の記憶が遠ざかっていくのはエヴァンジェリンにとってはむしろありがたいことだったのだから。
(何しろねぇ……。いくら遠い昔の出来事とはいえ、自分が死んだときのことを覚え続けているってのは、精神衛生上よろしくないわよ)
エヴァンジェリンはノアから視線を外さないまま、己がこの世に生を受けて以降、延々と夢に見続けて来た光景を思い描いた。
その惨劇の舞台は、今も昔も何ら変わらぬ、この巨大な魔法陣の上だ。
雷光にも似た光を放つ床上に立ち、向き合う金髪と黒髪の二人の女。
彼女たちの周囲では何人もの男たちが血を流し、地面に倒れ伏している。だが、どちらも彼らには一切目を呉れることなく、ただひたすらに相手との戦いを繰り広げていた。
激しい斬り合いの最中、金色の髪の女が何度も叫ぶ。けれども漆黒の髪の女はその声には一切答えることなく、攻撃を続けた。
二人が斬り結ぶその度に散る赤い雫は、もはやどちらのものかすら分からないほどだ。
だが、それがどれほど長い攻防であっても、終わりはいつしか訪れる。
黒髪の女が白光を纏わせた剣を振りおろし、金髪の髪の女が掌から青色と朱色のまじり合った風を生み出してそれを受け止めた。
そして、その次の瞬間――。
視界を染めた鮮やかなその緋色は、未だエヴァンジェリンの中で色褪せることはない。
幾度となく繰り返されるそれが、前の生で刻み込まれた己の記憶なのだと悟ったのは、エヴァンジェリンの物心がついてすぐの頃のことだった。
そうしてエヴァンジェリンは同時に、誰にも明かせない事実を抱え込むことになったのだ。
しかも、これが己一人のことであっても頭を抱えるというのに、だ。
その件がよりによって自身の今の生家であるセレント家の歴史にも深く関わっているとくれば、もうどうしろというのだろう。
(これを偶然と称するには、あんまりにも運命の皮肉がきいてるんじゃない?)
セレント家の置かれた状況を知った当時のエヴァンジェリンは、因果にも程があると呻いたものだ。
まさか、かつてセレント家が衰退した理由がそこにあるなどとは、一体これは何の巡り合わせなのか。
遠い昔、セレントの直系である公爵令嬢が犯した大罪。
それは、かの令嬢が、このランディアージェ国を救った異世界の乙女を殺めたというものだった。
聖女と呼ばれた乙女が公爵家の令嬢に殺されたのは揺るがし難い事実だ。何しろ、かつての自分がその件の当事者なのだから、疑う余地はない。ないが――。
(だけど、ねぇ……)
そうかといって、それらの言い伝え全てに同意ができるわけでもないのだ。
(いくら死人に口無しとはいえ、自分たちのしたことは完全に棚に上げて一人だけが悪役扱いなんて。それはちょっと、都合がよすぎるんじゃない?)
真実を隠蔽した権力者たちの面の皮の厚さに向かっ腹を立てながら、エヴァンジェリンが細い眉をひそめていると、数歩ほど離れた場所に立っていたノアが怪訝そうな顔をした。
「ええと、今更だけど、確認してもいい?」
その遠慮がちな響きに、エヴァンジェリンは思わず目を丸くした。
「え……、確認、ですか? 何をでしょう?」
驚きを隠せずにエヴァンジェリンが返すと、非常に微妙そうな表情を浮かべたノアが、困ったように眉を下げつつ言う。
「その、ここでそれを口に出すかって言われそうなんだけど……。あの、そもそも貴女は何が目的でここに来たの?」
「……本当に、今になってその質問をします?」
エヴァンジェリンはがっくりとうなだれた。
そういえば、自分が息急き切って駆け付けたその直後に、血相を変えた彼女がこの場に飛び込んで来たのだった。そしてそれ以降はとにかくうるさい外野を黙らせる方を優先していたので――……。
「……………………………………………………………」
すっかり意識から追い出していた三人を見遣り、そのまま黙りこんだエヴァンジェリンを探るように眺めていたノアが、何かに気づいたように顔を上げた。彼女は淡い色の唇を幾度も開け閉めし、長い間を置いてからようやく声を出す。
「ええっ、と……、あの、かなり失礼なことを聞くけど……。もしかしなくても、貴女は最初から、そこの三人のことを殺すつもりはなかったのかしら、ね」
その、ノアからすれば至極尤もな、しかしこちらにしてみれば心底不本意な問いを向けられ、エヴァンジェリンは絶叫した。
「……って! もしかして、それが、貴女が来た理由ですか!?」
どこまでも暗い闇の広がる天井に、いっそ場違いとも形容できそうな少女の高い声が反響した。




