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二 ノア


「随分呑気な寝顔ね」


 完全に夢の世界の住人となっているのか、静かな寝息をたてている三人の男たちを見下ろしながら、ノアはそう毒づいた。

 もういっそ、このまま永久に覚めない眠りについていてもらいたい。

 半ば以上本気でそう思うものの、とはいえ今の自分がそんなことをしても話がややこしくなるだけなので、物騒な本音は胸の中で呟くだけに留めておいたが。


(でも、これでようやく、肝心の話ができるわ)


 ノアは安堵と警戒を同時に抱え、シグルトを含めた他二人の意識を奪った存在へと体を向ける。

 怯む様子もなく、ノアの強い視線を真っ向から受けて立ったのは自分と同じメレイア学園の制服に身を包んだ一人の少女だった。

 その腰まで届く長い金の髪と深い紫の両眼に、一瞬遠い記憶の面影が重なって見えて、ノアは少し苦笑する。

 唇の端に滲んだ笑みをそのままに、ノアはゆっくりと言った。


「それで? さっきの台詞では、貴女が私の相手をしてくれるとのことだったけれど、本気かしら」


 可憐な面差しに似つかわしい、鈴を鳴らすような軽やかな声音で話しながらも、ノアの漆黒の双眸には真剣この上ない光が浮かんでいる。

 その緊迫感に気づいているのかどうなのか、彼女――エヴァンジェリンは、うっすらと微笑んだ。


「貴女がお望みとあらば、吝かではないですが……。でも、そうではないのでしょう? 理由がない限り、貴女がここに来ることなどまず有り得ないでしょうから」


 他に目的があってのことだろうと、指摘するエヴァンジェリンにノアは顔をしかめた。


「その台詞、そっくりそのまま返させてもらうわ。普通なら、こんなところに足を運ぼうだなんて気にはならないでしょうに……。案外、物好きなのね」


 これは掛値無しのノアの本音だ。

 本当に、こんな事態さえ起こらなければ。自分にとっても、ここは断じて近づきたくない場所だったというのに。

 そう渋面で告げたノアに、エヴァンジェリンの貌に面白そうな表情が覗いた。


「そうですか? 物好きという点では、貴女も似たようなものだと思いますが?」

「好みうんぬんの話じゃないでしょうが。何しろこの件には、かつてのとはいえ人生を懸けた出来事が関わってるのよ、黙ってすっこんでなんかいられないわ」


 人生などという大仰なノアの言葉を聞いても、エヴァンジェリンが笑う素振りはなかった。

 それが誇大しての話ではなく、紛れもない事実だということを、彼女も確かに知っているからだろう。

 そして同時に、ノアがどれほどの覚悟をもってこの場にいるのかということも、分かっている筈だった。


「……まあ。正直、貴女ならいらっしゃるだろうとは思っていたんですが」


 と、いうよりも。

 そう言葉を継いで、エヴァンジェリンは心の底から嫌そうな顔で自分たちからやや離れた場所に倒れている男たちを見遣った。


「今になって、こんな馬鹿げた真似をしでかす輩がいるという方が遥かに想定外だったのですけどもね」


 その凍てついた視線に、ノアも深く頷いた。

 その気持ちは分かる。よくよく分かる。


(それはそうなんだけど――……)


 彼女の発言には心の底から同意するものの、それはそれとしてノアにはどうしても口に出さずにはいられない感想があった。


「確かに同感ではあるけれど……。でも、私からすれば、そこのひとたちの愚行よりも、貴女の存在の方がずっと予想外だったんだけれどね」


 実際に、ノアにとって最も有り得なかったのが、こうしてエヴァンジェリンが自身と同じ場所に存在しているというこの現実だ。

 それゆえに学園の入学式の日に、エヴァンジェリンを目にしたときの驚愕に比べればたいしたことではないと告げると、言われた当人は非常に嫌そうな顔になる。


「それはお互い様でしょう? 生徒のほとんどが貴族、もしくは裕福な地主や商人の子供しかいないこの学園に、貧民出の特待生が入ってきたと聞いてどんな人物なのかと思っていたら……。まさかそれが貴女だなんて、目を疑いました」


 疲れの滲む声からは彼女の驚きの程が垣間見えたが、それはノアも同じだ。


「こっちだって、新入生の中にこの国の王子の婚約者がいるとは知ってても、他ならぬ貴女がそうだなんて夢にも思わないわよ……」


 げんなりと本音を吐露すると、エヴァンジェリンが非常に疑わしげにこちらを見た。


「この現状が、私が望んだものだと思いますか?」

「――全く以て思わないわね」


 迷いもなく断言するノアに、エヴァンジェリンは安堵の息をついたようだった。

 少しだけ力の抜けた細い肩のラインに目を遣り、ノアはこっそりと考えを修正する。


(……これなら、さすがにこの場で彼女と遣り合う事態にはならないかしらね?)


 できることならば、この少女との()()は避けたいものだと、ノアは切実に思っていた。


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