罪には罰を
砂橋は、ティーカップの紅茶にミルクを落として、スプーンでかき混ぜるとそこにクッキーを少しだけ浸した。
「蟹江さんは去年、獄中で亡くなった。原因はアルコールアレルギー。きいろのいえの小林さんは病死って聞いていたみたいだから、アナフィラキシーショックで亡くなった話は、牧野さんもさすがに知らなかったんじゃない?」
アナフィラキシーショックによる蟹江の死亡は、俺達が熊岸刑事に蟹江の死について教えてほしいと頼んだから、入手できた情報だ。
事件を追っていたとはいえ、警察ではない牧野は知ることができなかった情報に違いない。
牧野は大きく息を吐きだしながら、額に手を当てて肩を落とした。手の平で顔が覆われていて、牧野の表情を確認することができない。
「蟹江さんがアルコールを摂取したのは、去年、職員が職務中にも関わらずにアルコール飲料を持ち込んでしまったから。それを蟹江さんが飲んでしまって、アナフィラキシーショックが起こって死んだらしいよ」
牧野の今の感情は俺達に推し量ることはできないが、構わず砂橋は話を続ける。
「確かに、いくら嘘の証言があって、証拠品があったって、蟹江さんが生きてたら、自分は無罪だと騒ぎ出す可能性はいくらでもある。だから、死んでもらいたいと思うのも分かる」
砂橋はミルクティーに浸したクッキーを口の中に入れて、咀嚼すると、首を横に振った。
「でも、証言の中で、蟹江さんが酒を飲みながら話していたというものがあったのに、今更蟹江さんがアルコールアレルギーだなんて知られたら、証言が間違いでしたと証明するようなものじゃん」
確か、蟹江が酒を飲みながら話をしていたと証言したのは横内進一だっただろうか。
「十五年前にこれでもかというほど事件のことを隠した人物が、蟹江さんのアルコールアレルギーがあるにも関わらず、酒を飲んでいたなんて馬鹿な証言がされたことを覚えていないはずがない」
嘘をつく時に饒舌になって、どんどん話を大きくする人間がいる。横内進一はそのような人間だったのだろう。彼は居酒屋で蟹江が誰かに金をもらう、渡さないのなら奪い取るという計画を話していたと証言した。
しかし、その嘘をついた際、酒を煽って話していた、なんてありもしないことも付け加えてしまったのだ。
「十五年前の証言の齟齬が今更だろうが発覚することを佐伯一樹さんが許すはずないんだよ。殺したとしても、もっと別の殺し方があったはずなんだ。酒を飲ませる以外の方法が」
つまり、十五年前の嘘の証言の内容を知っている佐伯と、蟹江が死ぬように仕向けた人物は別人。
「となると、砂橋さんは蟹江さんをアナフィラキシーショックで殺した人物が十五年前の事件の真犯人だと?」
「そうそう」
「誰か分かりますか?」
「予想はできるよ」
砂橋はティーカップのミルクティーを飲み干した。
もうおかわりはない。
「佐伯一樹さんの一人息子の佐伯健一さん」
日記には、反抗期の息子として書かれていた人物だ。
「日記には『妻にはもちろん、息子にもこのことは言えない。墓場まで持って行かなくてはいけないだろう。』って書いてあったでしょ。事件のことはまったく知らない妻にはもちろん、事件の犯人である息子にも、後処理のことは言えない、という意味にとれる」
犯人であるにも関わらず、父親がどのように事件を処理したのか知らなかったため、アルコールアレルギーの蟹江が酒を飲んでいたという嘘の証言があがっていることを佐伯健一は知らなかった。
父親が後処理のことを隠していたとしても、蟹江が自分の代わりに捕まったことも、蟹江がアルコールアレルギーであることは、事件を調べたり、蟹江の周辺の人物に聞いたりすれば、分かることだろう。
「蟹江さんのことを殺そうとするなら、犯人しかいないと思ったんだよね」
砂橋の言葉は筋は通っているが、証拠はない。
牧野もそのことに気づいたみたいで、難しい顔をしていた。
「佐伯健一に直接話を聞くことができればよかったんですが……」
牧野の落ち着いた声音に恐怖を感じる。
牧野は、犯人だと思っていた佐伯一樹を縛り上げた後、薪ストーブに火をつければ死ぬように細工を作っていた。そのようなことをしている人間が、真犯人かもしれない男を前に冷静に話し合うことができるのだろうか。
いや、できるわけがない。
こいつを、佐伯健一に会わせてしまったら、どうなるか分かったものではない。
「そんなことをしなくても、今頃自白してるんじゃない?」
「自白……?」
「自分の息子の罪を大金を積んでまで隠して、あからさまな日記まで用意して自分が真犯人だと罪を被ろうとする父親だよ? 息子に、お前が狙われているかもしれないから、しばらく身を隠せって伝えないはずがないじゃん。息子が別荘に来たら、たまたま牧野さんが来ていて、二人とも殺される可能性もありそうだし」
佐伯一樹が、当時、息子の罪を隠すために方々に手を回したのには、息子が大切だからという理由もあるだろうが、議員である自分の失職や周囲の目が気になるという理由もあったのだろう。
だからこそ、息子の罪をひた隠しにした。
しかし、現在、もう引退し、妻とも離婚している佐伯一樹に失うものはない。このような周りが雑木林の別荘を終の棲家として住んでいる人間だ。
彼の守るものは息子しか残っていなかったのだろう。
だからこそ、十五年前の事件の真犯人として、自分のことを探している人間に殺される覚悟をしていたはずだ。
しかし、それを父親から聞かされた佐伯健一はどうだ?
お前が十五年前に事件を起こし、代わりに無実の人間が捕まった。そして、去年、お前が恐怖のあまり殺した蟹江が起こしたことになっている十五年前の事件で、協力して冤罪を仕立て上げた人間が一人ずつ罪を犯して塀の向こうに行った。それを仕組んだ何者かが自分に辿り着くのも時間の問題だ。だから、お前は身を潜めろ。そいつは十五年前の真犯人を探している。
そんなことを言われたら、確実に自身の身の安全を心配するだろう。
復讐者が自分の元に辿り着くかもしれない恐怖におびえながら隠れているか、警察に全てを話して捕まって、復讐者の手の届かない場所に行くか。
俺ならば、後者を選ぶ。
砂橋がコートのポケットに手を突っ込むと、スマホを取り出した。
「ということで、熊岸刑事、そっちはどう?」
砂橋がそう問いかけ、スマホの画面をタップして、通話をスピーカーモードに切り替える。
『先ほど、佐伯健一のことを確保した。警察署に自ら来なかったが、一週間前から彼が滞在しているホテルに警察が到着すると、堰を切ったように十五年前のことを話し始めた。強盗殺人のきっかけは、父親に叱られ、小遣いをもらうことができない中、周りがゲームを買っていたから、自分もゲームが欲しかったから。叱られたきっかけは、人前で子供にぶつかったにも関わらず謝罪しなかったことらしい』
別荘に到着する前、砂橋は通話をしていた熊岸に、佐伯健一のことを探すように指示をした。
日記を読む前から、砂橋は佐伯健一が十五年前の真犯人だと分かっていたのだ。
「……どうして、息子の方だと?」
「佐伯健一は、現在、中小企業に勤めているけど、その前の仕事はクビになってるんだよ」
砂橋はスマホを手にとり、通話を終了させると、ポケットの中にそれを戻した。
「彼の前の就職先は刑務所。彼がクビになった理由は、職務中にアルコール飲料を持ち込んで、それを囚人に奪われ、飲まれてしまった挙句、その囚人が死亡してしまったから」
「……」
「一年前のことは事故として処理されたよ。きっと佐伯一樹さんがまたお金を積んだのかもね。でも、今回はそうはいかないよ」
佐伯一樹が、いくら金を積もうと、彼は牧野に殺されかけた被害者であり、殺されかけたと警察に言って、保護してもらうしかない。
牧野は殺人未遂を犯し、その前には五つの事件を誘導した。彼の罪が消えることはない。そして、その罪が消えないということは、彼が罪を犯した理由も顕になるということだ。
佐伯健一に罪を揉み消せる力があるとも思えない。
そして、なによりも、熊岸刑事がこの罪を揉み消すなんてことを許さないだろう。
「……煙草、僕にももらえます?」
「はい」
砂橋は、煙草のケースを出すと、器用に一本だけケースから飛び出させて、牧野に差し出した。
牧野は自身のポケットからライターを取り出して、煙草に火をつけた。ライターを持っているのに煙草を持っていなかったのは、いざとなれば、自分で薪ストーブの火をつけようと考えていたからだろう。
牧野は、煙を吐き出した。
「人を殺した人は、罰を受ける」
彼はソファーの背もたれに深く身体を預けた。
「かにのおじさんが言っていた常識が、やっと現実になった」
目を瞑った彼は、すぐに口から煙草を話して、灰皿に押し付けた。
「あーあ、よかったの? これからしばらく吸えないのに」
「こんな甘ったるいもの、よく吸えますね。吸いおさめがこんな味なんて最悪です。禁煙もしてたのに……」
彼はそう言って、大きなため息を吐くと、熊岸刑事が到着するまで、短くはない間、自分のティーカップの残った紅茶と、皿に残ったシフォンケーキを食べながら、手作りの家の模型を眺めていた。




