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 俺はとりあえず、慌てて、男の口からガムテープを剥がし、口の中にいれられていたチューブの先を引っこ抜いた。男は気を失っている。


「彼が佐伯一樹さん?」


 開いた扉から、煙草の煙を吐き出しながら砂橋がこちらを見たまま、牧野に尋ねた。しかし、牧野は答えない。


「君は今まで人に罪を犯させてきたけど、まさか、本当に殺したい相手に手をかける時ですら、僕らを使おうと思ってたなんてね」


 今まで牧野は、自分の標的に殺したい人間がいることを暴き、それを使い、罪を犯させることにより、標的を犯罪者にして、逮捕させていた。

 それは彼らの行動によって、犯人に仕立て上げられた蟹江道正と同じように彼らを刑務所行きにするためだと思っていた。


 今回、佐伯一樹が真犯人だと分かったら、彼のことも犯罪者として、刑務所に送るつもりだろう、と俺は思っていた。


 しかし、それは違った。


 彼は真犯人に対して、殺意を抱いている。

 しかし、自分で殺して、捕まるつもりはないのか、俺と砂橋のどちらかにストーブの火をつけさせて、間接的に佐伯一樹を殺させようとした。いや、仕掛けを作ったのは牧野だ。捜査をすれば、彼が犯人だとすぐ分かるだろう。だとしたら、彼は俺達を共犯者にしたかったのか。


 背中に鳥肌が立った。

 砂橋が火を消してくれなかったら、俺は人を殺していた。


「僕が火をつければよかったなぁ」


 彼の声はぞっとするほど無感動だった。


 俺はキッチンの床にとりあえず息のある佐伯一樹を放置して、居間に戻ると、牧野はじっと砂橋のことを恨めしそうに見つめていた。

 しかし、そんな視線を向けられているにも関わらず、砂橋はケラケラと笑った。


「よかったじゃん」


 なにがよかったのだろうか。

 俺にとっては、人を殺しかけたばかりだ。牧野にとっては本当に殺したい相手を殺すことができなかった。

 なにもよかったことなどない。


 砂橋は、ぽんと座っている牧野の肩を叩いた。


「冤罪で人を殺さなくて」

「冤罪?」


 思わず、牧野の代わりに俺が砂橋の言葉を鸚鵡返しにしてしまった。


「うん、冤罪」


 砂橋はソファーに座り直すとにこりと微笑みながら、煙草を口から離して、テーブルの上に置いてあった灰皿に煙草の先を押し当てる。


「さっき佐伯一樹が犯人だと言いましたよね?」

「あの日記を読むと佐伯一樹が犯人だと思うねって言っただけだよ。犯人は佐伯一樹だなんて、僕、一言も言ってないんだけど?」


 人を馬鹿にするような笑み。

 牧野はよく耐えていると思う。俺が牧野の立場だったら、きっと手が出ていたことだろう。


「佐伯一樹は、犯人ではないと?」

「よく考えてみなよ。議員がパン屋を襲ってお金を奪おうとする?」


 それは俺も思っていた。

 佐伯一樹は当時議員だった。強盗殺人など犯さなくとも、金ならあるだろう。


「それじゃあ、誰が犯人なんだ?」


 砂橋はティーポットから新たに紅茶を入れると、クッキーをかじった。俺の言葉に砂橋は口の端を吊り上げた。


「それじゃあ、噛み砕いて説明しようか」


 砂橋はテーブルの上に放置された佐伯一樹の今年の日記を指さした。


「十五年前の日記を思い出してみなよ。事件のことも、事件の後処理のことも、詳細が一切書かれていない。誰に見られても事件のことなんて推測できないでしょ」


 確かに事件当日については「大変なことが起こった。」と書かれていた。しかし、他人がそれを見たところで、佐伯一樹が十五年前の事件に関わっていると思う人間はいないだろう。


 俺は十五年前の日記を手元に引き寄せて、事件当日の日記と後処理を行った後らしい部分の日記を改めて読み返してみた。

 何か大変なことが起こったことは分かるが、詳細はなにも分からない内容だ。


「でも、今年の日記は、驚くほどあからさまに十五年前のことを示唆するような内容が書かれている」

「そういえば……」


 俺は思わず、口にして、今年の日記に手を伸ばした。


 確か、森川静江が捕まった日に書かれていた日記だったはずだ。今更ながら、俺は違和感を思い出した。最初に見た時は、ただの書き方の問題かと思って、気にし過ぎだと見逃すことにしたのだ。


『今日、とある女性が逮捕されたと連絡を受けた。何事もないと信じたい。が、彼女は十五年前に証言をさせた一人だ。彼女が今回の事件の取り調べの際、十五年前のことを口にしないことを願う。』


 俺は文章を指でなぞった。


 顔をあげて、ようやく向かいのソファーに座っている牧野が俺の顔をじっと見ていることに気づいた。

 俺が隣の砂橋に視線を寄越すと、砂橋はクッキーを一枚食べ終わり、紅茶を嗜んでいた。どうやら、俺が砂橋の推理を遮ってしまったみたいだが、砂橋は気分を害しているわけではないらしい。


 なにも言わないということはむしろ話を続けろと言いたいのだろう。


「森川静江が逮捕された時は、まだ一人目だ。佐伯一樹がいきなり十五年前の事件とは関連づけるとは思えない。本人の中ではもう十五年前の事件は終わったものだと思われていたからだ」


 実際に日記の中でも十五年前のことはもう終わったことだという記述があった。だからこそ、佐伯が森川静江だけが逮捕されたというだけで十五年前の事件を思い出すことはなかっただろう。


 もし、十五年前の事件と佐伯が今回の五つの事件を関連づけるとしたら、それは二件目の事件からだ。偶然は二つ続けて起こらないのだから。


 ならばこそ、彼が最初の事件から日記に詳しく十五年前のことを示唆するのはおかしい。そもそも、彼は事件当時も日記に詳しいことを書いていない徹底ぶりを示していた。


「最初の二文だけでは、なんのことか分からないだろう。とある女性が逮捕された、と書いてあるだけで、女性の名前も、なにをして逮捕されたのかも書かれていない」

「そうですね。何事もないと信じたい、という文からも事件の情報はありません」


 どうやら、牧野も俺の話を聞いてくれるらしい。ならば、自分が引っかかりを覚えた箇所を指摘するだけだ。


「だが、その後の文は十五年前のことを示唆している。『が、彼女は十五年前に証言をさせた一人だ。』といきなり十五年前のことを言い出している」


 日記のページを開いたまま、牧野に差し出すと、彼は素直にそれを受け取った。


「これは俺の気にし過ぎかもしれないが……もし俺が日記を書いているとしたら、わざわざ『何事もないと信じたい』という文と『が、彼女は十五年前に』という文を句読点で句切ったりしない」

「……小説家らしい指摘ですね」

「要するに弾正先生は」


 もう一枚、皿の上からクッキーを取った砂橋がやっと口を挟む。茶化すように俺のことを呼ぶ砂橋はクッキーをひと齧りした。


「十五年前の事件について詳しく書いている部分は、あとからとってつけたみたいに書いた日記だって言いたいんだよね?」

「ああ、俺はこの日記にそういう印象を受けた」


 俺と砂橋のやり取りを聞いた牧野が食い入るように日記のページに視線を落とす。

 彼は、首を傾げる。


「しかし、その意見が当たっているとして、どうして、佐伯一樹はあとから十五年前のことを日記に付け加えたんでしょう?」

「そりゃ、もちろん、読んだ人が自分のことを十五年前の事件の関係者だって、すぐに分かるようにするためじゃない? まぁ、もっと詳しく言うと、自分のことを真犯人として間違えるように、わざわざ情報を出してくれてたんだよ」


 牧野は目を見開いた。

 確かに、犯人が佐伯一樹だとすると、納得できないことがいくつもある。

 議員であり、金があった彼がパン屋に強盗をするわけがない。


「でも、日記があからさまだというだけでは、佐伯一樹が犯人ではないという判断は……」

「まだあるんだよねぇ。根拠が」


 俺と牧野は静かに息を呑んで、砂橋の次の言葉を待った。


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