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五つの事件とキッチン


「十五年前の日記にはあまり事件のことは書かれていませんが、こっちの日記には事細かに書かれています」


 そう言って、牧野はもう一冊、手帳をテーブルに置いた。手帳の背表紙には今年の西暦が書かれており、手帳は真新しい。今年から使っているもののため、最初の方のページばかり使われ、後の方は白いページが目立つ。


「ちゃんと書かれているのは、一月十二日だね」

「……森川静江が捕まった日か」


 最初の事件。

 裸コートの男の死体が公園に転がっていた事件の犯人が捕まった日だ。


 牧野はお二人で続きをどうぞとでも言いたげに、キッチンへと戻っていった。


 テーブルの上で開かれた日記に砂橋と一緒に目を落とす。


『今日、とある女性が逮捕されたと連絡を受けた。何事もないと信じたい。が、彼女は十五年前に証言をさせた一人だ。彼女が今回の事件の取り調べの際、十五年前のことを口にしないことを願う。』


 あからさま、と言えるほど、日記では十五年前の事、そして、森川静江が証言をしたことについて触れられていた。


「となると、他の証言者達が捕まった時も反応がありそうだな」

「次がお風呂にウィッグが浮いてた事件だね」

「横内進一が捕まったのは一月十四日だったな」


 俺は自身の手帳を取り出して、事件の犯人が捕まった日を砂橋に教えた。


 他のページには、不安を表す一文や、他愛もないものが書かれていた。


 この日記が書かれていた間、佐伯はこの別荘にいて、電話での報告以外、他の人間と話すことはなかったらしい。食料もあるため、この別荘から出ていないようだ。

 そうなれば、佐伯の中には不安だけが募っていく。


 一月十四日。


『横内進一が逮捕されたと報告を受けた。まさか、一人が捕まってから、一ヶ月も経たないうちに他の証言者が殺人で捕まるとは……いったいどうなっているんだ? 偶然なのか?』


「ずいぶん、焦ってるみたいだね」

「十五年間、誰かが事件のことを調べないかどうか、佐伯はずっと恐れてたんだろう。それが現実になっただけだ」


 三つ目の事件で、佐伯の恐怖心は最高潮に達しただろう。


 なにせ、三つ目の事件で捕まったのは、十五年前、事件の捜査を主導して、蟹江のことを犯人に仕立て上げた立役者である元刑事の平田が、よりにもよって殺人事件を起こして、捕まってしまったのだから。


 案の定、平田が捕まった一月二十九日の日記は、文字自体がひどく震えていた。


『平田が逮捕された。殺人事件だ。どうして、元警察官が殺人事件を起こして捕まるんだ。なんのために、私が証言者たちと刑事に大金を渡したと思っているのだ。私同様、あいつらも墓まで十五年前のことを持って行けとあの額を渡したのに!』


「いくら渡したんだと思う?」

「いくらだろうな……」


 砂橋がケラケラと笑いながら、俺に問う。元議員が当時いくら稼いでいて、いったい、いくらで証言者たちと元刑事が無実の人一人を地獄に落としたのか、俺には分からない。

 いくらもらえば、俺は赤の他人に罪を被せるだろうか。


「お二人とも、甘いものの追加はいかがでしょう? ここに来るまでにシフォンケーキを買ってきました」

「食べる食べる。生クリームは?」

「今から作りますか?」

「じゃあ、いらない」


 ここまで来て、どうして生クリームをねだることができるのか。砂橋の心臓には毛でも生えてるんじゃないだろうか。

 実際、俺は先程から牧野が出してくれている紅茶にもクッキーにも口をつけることができずにいる。

 トレイにのった三つの皿の上には切り分けられたシフォンケーキがすでに倒れた状態でのせられていた。色を見るに、ココア味らしい。


「弾正、食べないでしょ?」

「やる」


 砂橋は俺の前に置かれたシフォンケーキを当たり前のように自分の前に置き直した。俺は紅茶にもケーキにも目もくれず、日記に目を落とした。


 四つ目の事件は、頭をトイレに突っ込んだ状態で発見された死体を俺が第一発見者として見つけた事件だ。

 事件が起こり、すぐに犯人が捕まった。


 あの日は、二月二日。


『まさか、金を渡した証言者四人のうち三人が殺人犯として捕まるなんて……刑事もだ。信じられるか? 偶然じゃない。いったい誰が、こんなことを……最後まで再捜査を打診していたあの女は違う。こんなことをする体力ももうないだろう。それに蟹江の家で子供の面倒を見るのに忙しいと報告があった。いったい誰が、今更、十五年前のことを掘り返してるんだ。終わったことだろう!』


 俺は目の前の牧野を見た。

 彼は優雅にシフォンケーキを一口、口の中に入れた。

 彼は、俺達の、いや、砂橋の答えを待っている。この日記を読んだ後、砂橋が「佐伯一樹は間違いなく真犯人だ」と言い出すのを待っている。


 佐伯一樹にとっては、もう十五年の年月が経ち、終わったことでも、牧野にとっては終わっていない。

 むしろ、終わるはずがない。

 懐いていた相手が牢獄に入れられ、十五年間。ずっとその人の無実を信じていた彼にとって、十五年前の事件は終わったことでは決してない。


「五つ目が、二月十日」


 砂橋の指が日記のページを捲る。


『神谷秋菜が逮捕された。これで十五年前、私から金を受け取った人間が全員捕まった。もう終わりだ。誰かが絶対私のことを話すだろう。おしまいだ』


「で? 誰が佐伯さんのことを教えてくれたの?」

「堀川さんです」


 堀川は、四つ目の事件で一方的に恋をしている相手の夫を殺し、死体の頭を便器に突っ込んだ男だ。牧野はティーカップを持ち上げると肩を竦めた。


「彼は僕が殺し方を教えると言うと喜んで飛びついてきて、家まで招待してくれました。想い人に似せた等身大の人形まで作ってたんですから、ドン引きしました」

「ああ、テンション上がっちゃって、そのままのノリで話してくれたんだ? ずいぶん、口が軽そうな人だと思ってたんだ」


 二月十日の後から日記は書かれていない。


 十日の事件の後、牧野は警察で証言者として、話を聞かれたが、その後は自由になったはずだ。

 俺達が十五年前の事件について資料を読み、教会に行き、きいろのいえを訪れている間、彼は佐伯の別荘に来て、日記を漁っていたりしたのだろう。事件現場の模型は前から作っていたものに違いない。一日そこらで完成するものじゃない。


 砂橋はしばらく日記をパラパラと見つめた後、もういいとでも言うようにぱたんと両手で日記を閉じた。


「どうですか、砂橋さん」

「まぁ、この日記を読めば、佐伯一樹が犯人だと思うね」


 犯人は佐伯一樹。

 十五年前、墨谷一家を殺したのは、蟹江道正ではなく、元議員の佐伯一樹だった。


「弾正、火」


 砂橋はコートのポケットから煙草のケースを取り出した。俺はライターなど持っていない。


「マッチならそこにあるので、ついでに薪ストーブの火をつけてもらえますか?」


 薪ストーブの近くの棚を牧野が指さす。

 こいつら、二人そろって、俺のことを顎で使うことに罪悪感を抱かないらしい。


 俺は仕方なく立ち上がって、薪ストーブ横の棚のマッチを取って、その場で火をつけた。煙草を口に加えて、その手に飲みかけの紅茶を持ったままの砂橋がソファーから立ち上がって、俺の傍に来た。


 砂橋の煙草の先に火をつけてやり、俺は薪ストーブの扉を開けて、着火剤がすでにかけられていた薪に火のついたマッチを放り込んだ。


「そういえば、寒いよね。この部屋」


 砂橋がそう言いながら、手に持っていたティーカップを揺らして、俺がたった今放り投げた薪の上のマッチに飲みかけの紅茶をかけた。


「……」


 なにも言えなかった。


 寒いと言いながら、どうして、火を消したのかさえも、砂橋が悪戯をした子供のような顔をして牧野を見ているのも、火が消えたストーブを見て、牧野がその顔から笑みを消して、じっと砂橋を見ている理由も、俺にはすぐに想像できなかった。


「弾正、キッチン」


 砂橋に指示され、俺は慌てて、キッチンの扉を開けた。


 キッチンには、薪ストーブの換気用の筒が繋がっていた。そのまま外まで換気用の筒は繋がっていると思っていたが、そうではなかった。


 途中で切られていた筒の先にはチューブがとりつけられており、そのチューブの先はキッチンの床に縛られた状態で放置されている男性の口に繋がれて、ガムテープで固定されていた。


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