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日記


 俺の隣で砂橋がパラパラと佐伯一樹の日記を捲った。


 確か、資料で見せてもらった十五年前の事件の日付は二月二十一日。

 砂橋もその日付を覚えていたみたいで、すぐに十五年前の日記の中の二月二十一日の日付のページを開いた。


 一日三行ほどの短い日記の時もあれば、一ページにびっしりとその日あったことが書かれている日もあった。真っ白なページもあったため、日記は気が向いた時に書いていたのだろう。贅沢な手帳の使い方だ。


 問題の二月二十一日のページにはただ一言だけ書かれていた。


『大変なことが起こった。』


 なにが起こったかは推察するまでもない。

 十五年前、二月二十一日の夜、すみやのパン屋で強盗殺人事件が起こった。


 周りに家が見当たらない田んぼに囲まれ、人気がなかったパン屋の惨劇は人に気づかれることなく、翌朝、店の開店時間となり、やってきた客がガラス戸から店内を覗き込んで、奥に倒れている店主の墨谷清の姿を見つけたことにより通報された。


 そして、警察が数日間、聞き込みをした結果、蟹江道正の名前があがる。


 同時に蟹江道正の家から犯行現場に残っていた靴痕と一致するスニーカーが見つかり、庭からビニール袋と新聞紙に包まれた凶器の包丁が見つかった。


 二月二十一日のページ以降は忙しいのかしばらくの間は白紙のページが続いた。それもそうだろう。一つの事件の罪を赤の他人に押し付けるのだから、日記など書いている暇はない。


 三ヶ月ほど経ち、ようやくまともな日記が現れた。


『なんとか、あの出来事は収拾させることができたようだ。しかし、まだ周囲が慌ただしいため、引き続き警戒をしなくてはならない。まさか、無職の人間が周囲の人間にあそこまで受け入れられているとは思わなかった……。とにかく、妻にはもちろん、息子にもこのことは言えない。墓場まで持って行かなくてはいけないだろう。』


「この無職の人間って蟹江さんのことだよね?」


 砂橋が顔をあげると、紅茶に口をつけていた牧野がティーカップから口を離して、こくりと頷いた。


「はい。かにのおじさん……蟹江さんは当時無職でした。あなた達も会った小林さんに当時のことを聞いてみたんですが、蟹江さんが無職になったのは、勤めていた会社の飲み会でアルコールを無理やり上司に飲まされそうになったので命の危機を感じて、退職したみたいです」


「転職は?」


「蟹江さんは当時会社を設立しようとしていた友人に創業メンバーにならないかと誘われていて、その誘いを受けるつもりだったので、無職のまま暮らすつもりはなかったと思います」


「ふーん。捕まる時にたまたま無職だっただけね」


 事件が起こった時、狙ったように無職だったのか。それとも事件が起こった時に無職だったから、犯人に選ばれてしまったのか。

 日記の文面からして、後者だろう。


「きっとすみやのパン屋でよく顔を見かける中から犯罪者になってもおかしくなさそうな人間を選んだんだろうね。無職ならお金が必要になって強盗をしてもおかしくないと考えてたのかな?」


 こうして、日記を読んでみると、やはり、蟹江のことを犯人に仕立て上げたのは元議員の佐伯一樹だ。


 彼は蟹江が当時無職だったため、金に困り、罪を犯しても周囲は納得すると考え、彼のことを犯罪者に仕立て上げることにした。


 しかし、佐伯の思惑は外れた。


 蟹江は、周囲の人達から「彼が殺人を犯すなんて何かの間違いだ」と言われるほど信頼されていたのだ。

 俺と砂橋が話を聞いた小林さんの他にも当時は蟹江の犯行だということを疑う人間は何人もいただろう。牧野も蟹江のことを信じ続けている人間の一人だった。


「一応、事態の収拾はできたって言ってるから、証言もさせて、証拠もそろえさせて、蟹江さんのことを犯罪者に仕立て上げたってことだよね。当時の警察の資料によると、蟹江さんは自分がやったって自白したみたいだし」


 牧野が微笑んだ。

 しかし、その表情とは裏腹に彼の膝の上に置かれた拳には力がこもっていた。


 蟹江は犯人ではない。

 ならば、蟹江の自白はどういうことなのか。

 捜査を担当していた元刑事の平田が佐伯の命令を受けていたのだから、その自白も無理やり引き出したものだろう。


「でも、すぐに犯行を蟹江さんがやったって押し付けようと考えたってことは、佐伯さんはパン屋に蟹江さんが来ていたことを知ってたってことだよね?」


 砂橋の言葉に牧野は身を乗り出して、日記に手を伸ばしてきた。彼の手が砂橋の手の日記のページを前へ前へと捲り始める。


「佐伯一樹は息子と妻と一緒に何度かすみやのパン屋を訪れていたみたいです。妻がこのパン屋のパンが好きだからと朝食として食べるために何度も買いに来ていたと書かれていました」


 牧野が「あった」と言って、示したページには彼が言ったように佐伯が家族と共にパン屋に来ていたことを示す分があった。


『今日は妻と息子と一緒にいつものパン屋に買い物に行った。息子は反抗期真っ只中らしく、私の言葉には返事をしないが、妻の言葉には返事をする。まったく困った奴だ。今日家族で行ったパン屋でも、私が「どのパンが好きか?」と話しかけたところ、無言でそそくさと立ち去ろうとして、店主の娘にぶつかっていた。尻餅をついた店主の娘が泣いてしまったため、謝るように息子に言ったのだが、息子は無言で外に行ってしまった。店主と店主の娘に謝ったが、恥ずかしいところを見られてしまった。妻も一緒になって謝ったが、周りに他の客もいて、本当に恥ずかしい思いをした。』


 店名は書かれていなかったが、店主に娘がいるからすみやのパン屋の可能性がある。しかし、決定打はかける。


「佐伯がすみやのパン屋に訪れていたという確証は?」

「その日記を読んで思い出しましたが、僕、その場面に遭遇してるんですよ。学ランを着た中学生がまいちゃんにぶつかったくせに謝らずに逃げていったところ」


 当時、牧野は子供だった。子供の記憶は曖昧で、記憶は人の都合で改ざんされるものだ。

 すると俺の隣にいる砂橋が「あ」と答えをあげる。


「間違いなく、佐伯さん家族が行ってたのはすみやのパン屋だよ」


 佐伯の息子が墨谷の娘を泣かせた一週間前ほどの日記を砂橋が俺に見せてくる。


『妻がすみやの妻と仲良くなったと言いながら、パンをいくつも買ってきた。今度からはもっと買うから荷物持ちをするようにと言われてしまった。』


 この頃にはすでに佐伯は議員だったはずだが、日記の中では妻に逆らえない様子が書かれていた。


 ふと、違和感が沸いてくる。


 佐伯一樹は、強盗事件が起こった時、すでに議員として働いていた。

 そんな人物が、小さなパン屋のお金をわざわざ盗もうとするだろうか?


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