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間章 陸


 かにのおじさんは僕がちょっと不思議な味がする小さな丸い葉っぱの草を食べてた時に出会った。


「なにを食べてるんだい?」

「くさ」

「うん、草だね。美味しいかい?」

「ふしぎな味する」


 かにのおじさんは怒らずに最後まで僕の話を聞いてくれた。僕のお腹が鳴ると、どこかに行ってきて、袋に入ったパンを持ってきて、僕に渡してくれた。


「これは友人が作っているパンなんだ」


 かにのおじさんが持っていた袋には「すみやのパン屋」と書かれていた。丸い文字がかわいかった。


「家でちゃんとご飯は食べてるのかい?」


 僕は首を横に振った。


「お母さんとお父さんがケンカしてるから、あんまり家にいない」

「それじゃあ、お腹がすいても仕方ないね」


 かにのおじさんは次の日もやってきて、僕の手に百円玉を三つのせてきた。


「パン屋で買い物をしておいで。パン屋のおじちゃんに「かにのおじさんの友達です」って言えば、美味しいパンをくれるからね」


 おいしいパンが食べたくて、僕はすみやのパン屋まで行った。途中まではかにのおじさんがついてきてくれた。

 一人で買い物をするのは初めてだったから、パン屋のおじさんが僕にお金の払い方を教えてくれた。


「うちのパン、おいしいでしょ!」


 パン屋のおじさんの子供だって言うまいちゃんが僕にパンの耳を揚げて、砂糖をふりかけたものをパン屋の裏で食べさせてくれた。


「うん、おいしい!」

「りょうくん、いつもお腹すいてるみたいだから、たくさん食べて!」

「ありがとう……」


 まいちゃんはたんぽぽみたいな笑顔を僕に向けた。


「私もパンを作るのお手伝いしてるんだ! 私一人でパンが作れるようになったら、りょうくんに一番に食べさせてあげる!」

「まいちゃんのパン、たのしみ」

「くるくるとしたパン作ってあげる。かたつむりみたいな」

「かたつむりはイヤだよ……」


 僕がパンを買って、かにのおじさんの家に行くと、かにのおじさんはジュースをいれて、僕にパンを食べるように言ってくれる。かにのおじさんは、黒い飲み物を飲んでて、一度、飲んでみたけど、変な味がして、もう二度と飲みたくないと思った。

 僕がその飲み物を飲んで嫌そうな顔をするのを見て、かにのおじさんが笑った。


「かにのおじさんは、パン屋のおじさんと仲良しなの?」

「ああ、高校時代からの知り合いなんだ」

「高校?」

「君もいつか行く場所だよ。勉強を教えてもらったり、友達を作ったりする場所」


 僕はそれを聞いて、とてもワクワクした。まいちゃんみたいに僕と話してくれる人がたくさんいる場所。小学校も僕にとっては幸せなところだけど、成長しても、そんな場所があるなんて、初めて知った。


「僕が高校に行っても、かにのおじさんは色々教えてくれるの?」

「ああ、君がこの家に来る限り、いろんなことを教えてあげるよ。先生の資格はないけれど、一人の大人としてね」

「かにのおじさんはなにを教えてくれるの?」


 算数や理科や社会は、少し退屈で僕はたまに授業で寝ることもあった。かにのおじさんは先生じゃないから、算数も理科も社会も教えない。なら、なにを教えてくれるんだろう。


「そうだね。常識とか、かな……」

「じょうしき?」

「例えば……」


 かにのおじさんは、顎をさすった。


「人を殺したらダメだっていうことかな?」

「どうしてダメなの?」

「誰だって、殺されるのはイヤだろう? 人にされたくないことはやっちゃダメなんだ」

「もし、殺しちゃったらどうなるの?」

「罰を受ける」


 かにのおじさんは、あのまずい黒い飲み物を平気そうな顔で飲んだ。


「人を殺した人は、罰を受ける。人の気持ちが分からなくとも、殺されたくないという気持ちが分からなくとも、罰を受けるならやらないという人は多いだろう。だから、罰を受けたくなければ、人は殺しちゃいけないんだ」

「ふーん……」


 かにのおじさんの話は難しくとよく分からなかった。学校の先生が教える問題よりも難しい。

 でも、一つだけ分かったのは、人を殺しちゃいけないということ。


「じゃあ、僕はそんなことしない!」

「うん、遼生はとてもいい子だからね。きっとそんなことをしないはずさ」

「かにのおじさんもしないよね?」

「もちろんさ」


 かにのおじさんは笑顔でそう言った。まるで、自分が人殺しなんて罪を犯すことは絶対にないと断言するように。


 だからこそ、僕は誰が僕の考えを否定しようとも、一度だって、この十五年間、あのかにのおじさんが、友達だったパン屋のおじさんを殺したなんて思ったことはなかった。


 かにのおじさんは、人殺しは罰を受けると確かに言った。ならば、罰を受けずに逃げている人間には、相応しい罰を受けてもらわなくてはいけないだろう。


 例え、それで、僕自身の手が罪に塗れようとも。


 僕は、かにのおじさんが信じてくれたいい子には、到底なれなかったんだから。


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