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刑事の勘

 水炊きの具材もほぼなくなる頃、俺は気づいた。少なくとも八つはあったはずの熊岸刑事の奥さん特製のつみれを俺は一つしか食べていない。


 熊岸刑事が奥さんのつみれを食べたかったのか、砂橋が多く食ったのかは分からない。分かるのは俺が噛むほどに味が口の中にしみ出すつみれを一つしか食べることができなかったということだ。


「雑炊にしようよ、雑炊」


 どうやら、まだ腹はすいているらしい。熊岸刑事はちびちびとにごり酒を飲んでいる。


「少し待ってろ」


 鍋に残った汁をもう一度沸かしたところに炊きあがっていたご飯をいれる。どうせ、雑炊を作れと言われると思っていたから用意して正解だった。

 温まったご飯の上に溶いた卵をかけて、刻みねぎを散らす。


「ほら、食べろ」


 れんげを渡すと砂橋は早速自分の器に雑炊をよそい、ポン酢を申し訳程度にかけて一口頬張った。


「本当になにも裏はないんだな、砂橋」

「ないない。僕が一度でも嘘をついたことある?」


 俺と熊岸記事は顔を見合わせた。


 むしろ、お前のような人間が一度も嘘をついたことがないなどとよく言えるなと言いたい。熊岸刑事も俺と同じ考えらしく、険しそうな顔をしている。俺だって、砂橋にいきなり「弾正にはいつもお世話になってるから、今回は喜んで手伝ってあげる」と言われたら、寒気がして逃げ出してしまうだろう。


「ほら、出しなよ。わざわざ僕らに会いにきたんだから、持ってないわけないよね、死体の写真」


 砂橋がもう一口ぱくりと雑炊を頬張る様子を見て、抵抗する意思もなくしたのか熊岸刑事が写真を懐から取り出す。


「俺が駆けつけたのは、通報があってから三十分後のことだ」


 リビングのテーブルに置かれた写真は俺の位置からでも見ることができた。

 死体の写真ではあるが、その男の顔は眠ったまま起きなくなっただけという表情にも見えた。

 しかし、異常なのは、身体だ。


 靴下も靴も履いていない上に、男の膝の長さまであるトレンチコートがまっすぐ膝まで伸びていて、ボタンも嵌められている。しかし、その下にはなにも着ていないようで首元には素肌が覗いていた。


 ボタンにより閉じられたトレンチコートが今にもはちきれんばかりの太鼓腹に、少ないようにも見える短い髪の毛。口元の髭は伸ばしているわけでもなさそうな手入れのされていない数ミリの髭。


「ほんとにこの下、なにも着てなかったの?」

「ああ、真っ裸だった」

「うーん……お酒を飲んでたんだよね?」

「ああ、高濃度のアルコールが検出された」

「お酒は?」


 写真には地面に倒れている男とその男の傍にあるベンチの足しか見えない。酒瓶や酒の缶などは転がっていない。


「酒は周りには見当たらなかった」

「じゃあ、お酒を飲んだのはここじゃないね。服は?」

「服も見当たらなかった」


 酒も服も見当たらない。

 ならば、この男はどこで酒を飲み、どこでコート一枚になったのか。コート一枚で店に入り、公園で眠るまで酔いつぶれることはないだろう。それどころか、コンビニで酒を買う時だって、コート一枚の男が店に入れば通報するだろう。


 男が店で飲み、公園に来るまでの道中でコート以外の服を捨てたか、もしくは、男が自宅で酒を飲み、酔った状態でコート一枚で外出をしたのか。


 砂橋は、写真を指でつまんでじっと死体を見る。


「ねぇ、発見者がうつ伏せの状態の死体を仰向けにしたって言ってたよね?」

「ああ、間違いない。死体の顔にも土がついているだろう。元々うつ伏せだったからだ」

「じゃあ、やっぱり、事故じゃないかもね」


 砂橋はそう言いながら、俺に写真を差し出してきた。俺も雑炊を食べようとしていたのに、死体の写真を突きつけてくるんじゃない。しかし、受け取らないと砂橋が写真をそのまま落として、鍋の中に入ってしまいそうで、俺はすぐに死体の写真を受け取った。


 死体の顔は見たくなくて、服や地面に注目して見る。まっすぐと伸びたトレンチコートのおかげで、男の肌を必要以上に見ることがなくて本当によかった。

 むしろ、飯の最中に死体の写真なんてこりごりだと思いながら、俺は写真を熊岸刑事に返した。


「トレンチコート、凍ってるよ」


 俺が食事に集中したいために考えを放棄して、写真を熊岸刑事に返したことが分かったからか、答えを焦らすことなく砂橋が口にした。


 確かに写真を思い返してみると、トレンチコートは男の膝までまっすぐ伸びていた。うつ伏せ状態だった男を仰向けにしたのであれば、トレンチコートの裾は重力に従って男の足や身体に密着するような形になるだろう。それなのに、このトレンチコートは重力に逆らい、男の肌にくっつかずに浮いたままだ。


「死体は死後硬直があるから固まるけど、コートは真冬の中、外に出しても凍らないでしょ。凍ってるなら、なにかしらあったんだよ」

「……コートに水をかけられたか」


 どうやら、砂橋が言っていたことは本当だったらしい。


 現場で、凍っているコートを見ていた熊岸刑事は、すぐにそれが事故死ではないと気づいたが、なぜそう思ったのか分からずにいたのだ。

 人間は経験を重ねると、過程を飛ばして、結論を出してしまうことがある。刑事の直感なんてものではない。砂橋が笑った気持ちも分からないことはない。分かったところで、俺は熊岸刑事を笑わないが。


「とにかく、これは事故じゃない。よかったね、熊岸刑事」


 事故ではなく、事件だからよかったねと言われても嬉しくはないだろう。案の定、熊岸刑事は眉間に皺を寄せた。


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