食べたいもの
「……最初から分かってたな?」
「盗聴をしてた時は、なにガサゴソしてんだろ、と思ってただけだよ」
絶対に嘘だ。
砂橋は福田が静かになった後、荷物の中から堀川が盗聴器を盗んだ音を聞いている。堀川が海に釣りに行った後に、福田のことを確認することもできたはずだ。
それでも、俺と熊岸刑事のことを待っていた。
そのことについては後で聞くとしよう。
「福田梨奈のことを人質にして、堀川が奥のトイレのクーラーボックスに顔を突っ込めと指示したのか?」
「まぁ、それは堀川さんに聞かないと分からないけど」
椅子に座ったまま、呆然とする彼を一瞥して、砂橋は肩を竦める。
「殺すために顔を突っ込ませるんだから、そんな指示する? もうちょっとなんかあるでしょ」
「……例えば、クーラーボックスを開けた時に書かれている文を実行しろ、か?」
ポスターに書かれていた「kiss me」という文字に従って、ドライアイスの上に置かれていたポスターの女性の顔に口づけをした、というのであれば、納得は行く。
砂橋の証言から、堀川が福田の妻を自らのものにしようとしていたことも分かっているため、これは福田から妻を略奪するための行為だ。福田に対して、堀川がなんらかのどす黒い気持ちを抱えていたのは分かる。
ポスター相手だとしても、福田に故意的に妻以外の女性に口づけをさせたいという意地の悪い考えもあったのだろう。
「写真を見て分かったけど、トイレの上の方って結構隙間があったでしょ。隣の個室に入った後、壁を乗り越えて、福田さんが死んでる個室に移動して、福田さんの頭をトイレへ。そして、ポスターを回収。クーラーボックスを回収して、持っていたひとまわり大きなクーラーボックスにいれて、人に発見してもらえるように鍵はしめないまま、何食わぬ顔で休憩所内に戻る」
その後、飲み物を捨てるふりをして、丸めたポスターをゴミ箱に捨てたのだろう。
もしかしたら、ポスターとクーラーボックスには福田が触れたという痕跡が残っているかもしれない。
「まさか、殺人犯がいたなんて……」
怖がって、関の手を掴もうとした山崎の手を彼は振り払った。
「そもそも、お前がついてこなかったら、寒い寒いってうるさいお前に俺が上着を貸すこともなかったんだよ! 腹が痛くなることもなかった! 巻き込まれたのはお前のせいだ!」
「えっ、ちょっと! どうして、私が怒られないといけないのよ! 悪いのは彼女がデートしたいって言ってるのに釣りに行こうとする小太郎でしょ⁉」
殺人現場でも個人的な喧嘩をする男女に俺は呆れてしまった。
そんな二人を見ながら、砂橋は俺に言った。
「僕も、お前のせいで巻き込まれたんだーって言えばいい?」
明らかに自分は悪くありませんという顔をしている砂橋をまじまじと見た。
「それ、本気で言ってるのか……?」
「本気、本気」
俺と熊岸刑事のことをここに呼んだのは砂橋だ。そもそも、今回亡くなった相手は砂橋が尾行していた人間だ。
それなのに、俺が砂橋に巻き込んだと言われるのは心外すぎる。そもそも、砂橋が黄色猫かもしれないという疑惑があがっている以上、砂橋は限りなく元凶に近い存在なのだ。
「巻き込まれたと言うなら、俺の方だと思うんだが?」
俺がそう言うと、砂橋は目を丸くした。
「え、それ本気で言ってる?」
先ほど俺が言った言葉を繰り返しているようだ。堂々巡りになりそうで、俺は思わず眉間を指で押さえた。
堀川が放心状態のまま、連行されていき、一応、俺達も警察で後日話を聞かれることになった。山崎と関は、解放された後もお互いに「お前のせいで!」と事件に巻き込まれた原因を相手に擦り付けていたが、最終的に俺達が見ている前で二人の言動は苛烈になっていった。
「もういいわ! 彼女より釣りを優先する男なんて最低!」
「趣味を理解しろとは言わねぇけど、邪魔した挙句、自分を優先しろとか言うワガママ女なんて、誰が付き合い続けるか!」
「別れましょ!」
「望むところだ!」
一つのカップルが破局する様を俺と砂橋はスティック型のクッキーを食べながら眺めていた。正直、肉まん程度では腹がもたなかったから、クッキーをもらうことにしたのだ。
関と山崎は破局した後に帰ろうとしたが、関の車に山崎が乗ってここまでやってきたらしく、二人とも喧嘩をしながら、関の車に乗り込んでいた。
「新しい車でも買ったのか?」
「これ? レンタカーだよ」
熊岸刑事は自分の車に乗り、警察署へと向かってしまったので、俺は砂橋がここまで乗ってきた車に乗り込んだ。
「どうして、俺と熊岸刑事を呼んだんだ」
「今回の依頼、本当にやる気がでなかったんだよねぇ」
気になっていたことを聞くと、砂橋は車の電源をいれて、ゆっくりと背もたれに身体を預けた。
退屈で死にそうとまで電話越しに言われていたが、仕事であればと割り切っている砂橋にしては珍しい反応だった。
「今回の依頼人の福田梨奈さん、平田真美さんの紹介でさぁ……」
「あぁ……」
それだけでなんとなくだが、察することができた。
平田真美というのは前回の事件を起こした平田貴士の妻だ。砂橋に急な浮気調査を依頼したと思えば、浮気の決定的な証拠もないのに、砂橋が突き止めた平田が通っている家に砂橋と熊岸刑事の妻を伴って突撃する猪突猛進ぶりを見せた女性。
その女性の紹介というだけで砂橋は頭を抱えたことだろう。
しかし、一応、依頼だからと話は聞いたらしい。
「同僚が単身赴任中でこっちにいないはずの旦那が女と一緒にいるのを見たっていうから、浮気調査をしてほしいって言われたんだよ。明後日……まぁ、今日だけど……今日、赴任先からこっちに帰ってくるって言ってたのに、急に帰れなくなったとか言い出して怪しいからって」
「急な依頼なら、初めてじゃないだろう」
「問題はその後!」
砂橋はがばっとこちらに顔を向けると勢い任せに言った。
「依頼者、なんて言ったと思う⁉ 浮気調査だから、浮気をしてなかったら依頼料は支払わなくてもいいですよねって言ったんだよ⁉」
「……」
砂橋のことを不憫だと思うと同時に、その依頼人の言葉を聞いた時の砂橋の表情を見たいと思ってしまった。
浮気の事実がなければ、確かに浮気調査のために出した金がもったいないのは分かるが、さすがに金を払わなくていいと言い出す人間がいるとは思わなかった。
確かに、そんなことを言われたのであれば、仕事へのやる気もなくしてしまうだろう。
「だから、仕事の途中で俺達のことを呼んだのか」
「ああ、あと、僕が大人の男相手に力で敵うと思わなかったから」
それを聞いて、妙に納得した。
砂橋は尾行のために培った体力はあるが、力があるわけではない。喧嘩となれば、まだ俺の方ができるだろう。一番、喧嘩の場に放り出しても安心なのは現役刑事の熊岸刑事だが。
堀川が犯人だと砂橋はすぐに気づいたが、警察を呼べば相手は逃げる、かと言って、警察が来るまで堀川を押さえつけておくこともできない。
そこで、砂橋は俺達に頼ることにしたのだ。
「……もし、福田がすぐに死んでなかったらどうするつもりだったんだ? すぐに駆けつければ生きている状態だったら?」
「ああ、それは無理だよ」
砂橋はイヤホンごと提出してしまったスマホを示すように、先ほどまでイヤホンをはめていた耳を人差し指で宙を叩くように示した。
「もう一つ聞こえてたんだよね。トイレの中の声」
「……堀川のか?」
砂橋はこくりと頷いた。
「死んでるって押し殺したように笑いながら言ってたよ」
「……」
「しばらくイヤホンはつけたくないね」
それはそうだろう。
「……なにが食べたい」
「わー、珍しい」
死者が死ぬ時の静寂という音と、殺人犯の殺しを確信した時の耳障りな笑い声を聞いた砂橋をこの時ばかりは不憫に思った。
砂橋はそんな不憫な状況を一切感じさせないような笑顔で言った。
「魚は今日はやだな……。オニオングラタンスープが食べたいな。作ってよ、弾正」
松永くんと呼ばれることにむず痒さを感じていたが、いつもの呼ばれ方に戻って、俺はほっと息を吐きだした。
今日ばかりは、こいつのために自分から料理を作ってやってもいいとさえ思えた。




