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噛み砕いて説明しようか


 砂橋はスティック状のクッキーの袋を開けるとまたそれをかじった。


 俺は先ほどから思っていることがある。

 砂橋は、もうこの事件の全容が分かっているんじゃないか。今までも砂橋は事件の全容を俺や熊岸刑事よりも先に捉えていた。


 それに砂橋にはある疑惑がかかっている。


 黄色猫を名乗り、俺と熊岸刑事を事件に巻き込んだ疑惑だ。今回の事件も前回の事件も砂橋への依頼がトリガーとなって、俺と熊岸刑事が関わることになった。砂橋からすれば、俺たちを事件に巻き込むことは容易かっただろう。しかし、砂橋自身が事件を起こすとは考えられない。


 砂橋をじっと見ていると、その人懐こそうな大きな目とばちりと合う。


「どうしたの、松永くん」


 松永くんと呼ばれることにむず痒さを感じる。


 口を開けば、他の人に注目される。喫茶店のように音楽がかかってもいなければ、全員が押し黙っていたせいで、他に音はない。砂橋が首を傾げると同時に他の人間の視線も俺に向けられる。


 ここで俺の小説が事件に使われていると確実に知っているのは砂橋と熊岸刑事だけだというのに「お前が元凶なんだ」と誰かに言われているようで息が詰まりそうだ。


「……事件を解決できるか?」


 砂橋はきょとんと目を丸くした。

 からかわれるかと思ったが、砂橋はしばらくの間、俺の顔をじっと見ていたかと思うと熊岸刑事に視線を向けないまま、彼に語り掛けた。


「ねぇ、熊岸刑事。今のうちに荷物検査とかしたらいいんじゃない?」

「荷物検査ぁ?」


 関があからさまに嫌そうな顔をした。振り返った砂橋が彼を見て、目を細める。


「見せたくなかったらそれでもいいんじゃない? まぁ、警察の捜査に協力するのが市民の義務だと思うけど?」


 当然のことを言う砂橋に関が言葉にぐっと詰まった。


「わ、私は別にいいわよ! 変なもの入れてないから!」


 そう言いながら、山崎が自分の背と椅子の背の間に置いていた丸いポシェットをテーブルの上に置いた。

 彼氏の釣りについてきたというのに、指をいっぱいに広げたらすっぽりとおさまる程度の大きさのポシェットを持ってきているとは。どうして、釣りについてこようと思ったのだろう。


「ほら、見てよ! 私、凶器とか持っていないわ!」


 死体から血は出ていなかった。刺殺されたわけではないだろう。


 そもそも、福田の死因はなんだ?


 福田の死体を前になにも考えられなくなった俺には死因も特定できていない。写真を見た程度で、福田の死体をよく観察できていない砂橋も福田の死因を分かっていないだろう。


 あの時、俺が死体をよく観察していればよかった。


 俺がそんな後悔をしている中、山崎が自身のポシェットの中に手を突っ込み、中身のものを並べ始めた。


 リップ。スマホ。ハンカチ。化粧道具。財布。


 彼女は彼氏のアパートまで来た時、まさか、こんな釣りを目的とした人間しか来ない場所に彼氏が自分を連れてくるとは思っていなかっただろう。関は彼女が訪れても釣りの予定を変えなかった。


 自分の彼女が荷物の中身をあらわにしていく中、関もため息をついて、足元のクーラーボックスの上に置いていた鞄を手に取った。


 関の荷物はルアーが入っている箱、餌が入っている箱、リールに竿。全部、釣りの道具だった。あとは、財布とスマホとハンカチ程度で、めぼしいものは持っていない。


 彼女である山崎に上着を貸し、寒さで腹を壊してしまったせいで、クーラーボックスの中にはなにもなかった。


「堀川さんは?」


 いい加減、椅子に座り続けているのもつまらなくなったのだろう。砂橋が立ち上がり、堀川のテーブルに近づき、その上にのせていたクーラーボックスを指さした。


「何時間も釣りをしていたので、一応、釣ることができました。そこまで大物は釣れませんでしたが……」


 謙遜しながら、堀川が開いたクーラーボックスの中を砂橋がのぞき込む。


「おー、あっちのクーラーボックスより豪華じゃない?」

「そりゃ、こっちは一匹も釣ってないからな」


 砂橋の嫌味に関が鼻を鳴らした。空っぽの関のクーラーボックスとは違い、こちらは氷と魚が入っていた。ぎょろりと魚の目玉がこっちを見つめてくる。暖かい空気の中、クーラーボックスの中の冷たい空気が漏れて、白い冷気がクーラーボックスを伝い、テーブルから床へと落ちる。


「魚かぁ、いいよねぇ。そうだ。市場があるから買って帰って捌いてもらおうかな」


 呑気に言ってるが、その買った魚を捌くのは確実に俺になるだろう。


「ねぇ、松永くん。ゴミ箱」

「……ゴミ箱?」


 刺身を要求されるか、焼き魚を要求されるか、それとも他の何かを要求されるかと考えていると、思考の外側からの砂橋の言葉がやってきて、思わず鸚鵡返しにした。


「さっき、飲み物捨てた時、ペットボトルや缶以外の音がした」


 自動販売機の横には、缶とペットボトルだけをいれるように張り紙がしてあるゴミ箱がある。俺は立ち上がって、ゴミ箱に駆け寄った。


 ゴミ箱の蓋を開けると空になったペットボトルと缶だけではなく、くしゃくしゃになった紙が入っていた。

 熊岸刑事が近づいてきてゴミ箱の中を覗き込む。常備しているらしい手袋をはめて、彼がゴミ箱に入っていた丸まった紙を取り出して、俺が座っていた机の上で丸まっていた紙を伸ばし始めた。


 その紙は見たところA4サイズほどだろうか。きっと口紅の宣伝ポスターだろう。口紅を持った女性の顔がアップになっており、真っ赤な色の唇が強調されていた。商品名などが書かれている箇所は被写体の女性の顔の近くではなかったのか、うたい文句の一部だけが女性の顔の下に残っていた。


 そこには「kiss me」と書かれていた。


 切り取られたこのポスターが今回の事件に関係しているとはどうしても思えない。


「砂橋、これは……」

「ねぇ、魚、出してよ」


 俺の言葉を聞かず、砂橋は堀川のクーラーボックスを指で示して、彼を見た。


「え? 魚をですか……? でも、冷やしてますし……」

「なにも入っていない関さんのクーラーボックスに入れ替えればいいじゃん」


 関が「なんで俺のを……」と眉をひそめていたが、仕方ないとクーラーボックスの上に置いていた鞄をどかして、クーラーボックスを近くにいた俺に押し付けてきた。疑われたくないから協力はするが、あまり積極的には関わりたくないのだろう。


 俺が空のクーラーボックスを砂橋の近くまで持ってきて、テーブルの上に置いた。

 堀川がため息をついて、熊岸刑事を見る。


「二人に従ってくれ」


 刑事からそう言われたら、従う他ない。堀川は渋々と氷に手を突っ込んで、魚を取り出して、空っぽの関のクーラーボックスに入れていく。

 刑事の言葉に従い、当然のように従っているから、なにもないのだろうと思っていたが見ている中、魚と氷の下からひとまわり小さなクーラーボックスが出てきた。


 そのクーラーボックスは、切断された人の頭がすっぽり入りそうなほどの大きさだった。事件に遭遇してしまったからか、物騒な例えしか出てこない。


「これ、なに?」


 砂橋が質問すると堀川は照れ臭そうに後頭部を掻いた。


「誰に見せるというわけではないんですが……あまり魚をとれていないと思われるのが嫌で、ついかさましをしようとしてしまいました」


 かさましなら、さらに氷を入れればいい話だろう。


「中身はなんだ?」


 俺が聞くと堀川はぱちんとクーラーボックスの留め具を外して、中を開いた。中から冷気が溢れる。


「なにも入っていませんよ。もともと氷を入れてたんですけど」

「松永くん、松永くん」


 砂橋が隣のテーブルで熊岸刑事が広げた口紅の宣伝ポスターを指さした。とってこいと言いたいのだろう。何も言わず、熊岸刑事が予備の手袋を差し出してくる。それを受け取り、俺はポスターを手に取り、砂橋の隣に戻った。


 俺たちの行動を奥のテーブルについている山崎と関が息を潜めて見ている。


「切り取られたポスター、この小さなクーラーボックスの底に合うんじゃない? ポスターちょっと湿ってるし」


 試しにポスターを開いたままのクーラーボックスの底に置く。「kiss me」という文面とモデルの顔が、ぴったりとクーラーボックスにおさまった。

 しかし、おさまったからなんだというのだ。

 俺が砂橋のことを見ると、砂橋は目を細めて、言った。


「それじゃあ、噛み砕いて説明しようか」


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