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冗談みたいな死体


 俺はそんな状況に立ち会ってしまったら、頭を抱えて、床に膝をつくことしかできないなんて思っていたが、実際はそんなこともできなかった。

 足が縫い留められたようにその場から動けなかった俺は、できる限りの大声で砂橋と熊岸刑事のことを呼んだ。扉に隔たれていたとしても、俺の声は聞こえたらしく、すぐに熊岸刑事が扉を開けて、入ってきた。


「どうした、弾……」


 熊岸刑事は俺の傍まで来ると、俺の目の前にある光景を見て、言葉を失った。

 彼も小説のページを読んでいて、どんな死体が小説で出てきたかは知っているが、現実でそんな死体に会う機会などないだろう。

 俺だって、こんな状態の死体に出会うなんて思ってもみなかった。


「これは……」

「いったい騒いでどうしたんですか?」


 一番手前の扉を開けて、着替え終わったらしい短髪の男が出てきた。制止する暇もなく、男が奥の個室を覗き込み「うわぁっ」とその場に尻餅をついた。

 死体を見慣れていない一般人の正しい反応だ。


 きっとこの便器に頭を突っ込んで死んでいる男は、砂橋が尾行していた相手だ。砂橋に聞けば、誰がこの男を殺したのか、すぐに分かるだろう。


 俺はトイレの壁を見上げた。

 トイレには、ニ十センチ幅の窓が一つあるだけ。

 その窓から人間が外に逃げることはできない。ならば、必然的に犯人はこのトイレに入って、犯行を終えて、休憩所内に戻ったはずだ。


 俺がスマホを取り出して、死体の撮影をすると、尻餅をついていた男が「こいつ、正気か?」という視線を俺に向けた。その視線を向けたい気持ちは非常によく分かる。俺だって正気の沙汰ではないと思う。


 しかし、砂橋としては、死体の写真を見たいだろう。

 俺が撮らなかったら、熊岸刑事が撮っていたはずだ。


「トイレでなにを騒いで……」


 真ん中のトイレから出てきた縦長の顔の男の顔色はまだ青かった。腹をさすりながら出てきた男は、尻餅をついた男と同じように、便器に頭を突っ込んだ男を見て、固まった。

 熊岸刑事が服のポケットから警察手帳を取り出した。


「全員、このトイレから出て行くように。警察が来るまでトイレの使用は控えてもらう」


 熊岸刑事に背中を押されて、やっと俺は自分が死体から目を離せなくなっていたことに気づいた。


 俺と他の二人はトイレを出た。熊岸刑事が警察に連絡をして、しばらくすれば、本格的な捜査が開始されるだろう。その時に俺の小説の名が挙がらないでほしいと思う。死んだ状態が一緒になった程度で、俺の小説が悪いということにはならないだろうが、それでも心配だった。


 幸い、今までの事件でも平田は俺の小説のことを知らなかったから、俺の小説を模倣したのだとは言えないだろう。俺が面会の時に小説のことを教えてしまったから、今からでも彼が嘘をつく可能性はあるが……。


 今更ながら、犯人の一人に小説を見せるのではなかったと後悔する。


 俺たちがトイレから出てきて、休憩所内に戻ると砂橋が今まで片耳にずっとつけていたイヤホンを一度外して、またつけ直しているところだった。


「どうだった?」

「死体があった……便器に頭を突っ込んだ……」


 目があった砂橋に俺は端的に状況を説明すると、先ほど撮影した写真を表示したスマホを砂橋に渡した。


「……死因は確認した?」

「確認してるわけないだろ」

「それもそうだ」


 俺は刑事でもなければ、医者でもない。ましてや、殺人事件を解決している探偵でもない。だから、死体を見ただけで死因など分かるはずもない。

 それに、俺のような一般市民がいきなり死体に触りだして、死因を確認しようとしたら、絶対に犯人と間違えられるだろう。なんにせよ、怪しいことには違いない。


 砂橋はカフェオレをちびちびと飲みながら、食い入るように死体の写真を見つめた。


「ねぇ、さっさと帰ろうよ~」


 トイレから出てきた縦長の顔の男に、待っていた女性がそう言葉をかけたが、それに返答したのは男ではなく、死体の様子を確認してトイレから出てきた熊岸刑事だった。


「悪いが、警察が到着するまでこの休憩所に留まってもらう」


 熊岸刑事が警察手帳を顔の横に出しながらそう言うと、女性はぎょっと目を丸くして、男性の袖を引っ張り「どういうこと⁉」と話を聞こうとした。縦長の顔の男は青い顔のまま、口を開いた。


「トイレに顔を突っ込んで、人が死んでたんだ……」


 女性は目を丸くしたまま、素直な感想を言った。


「冗談でも言ってるの?」


 俺だって、冗談だと思いたかった。


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