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 平田との会話で分かったことは、俺と熊岸刑事に小説と小説から切り取ったページを送ってきた黄色猫という人物が、事件の裏で糸を引いているということだった。


 これは、一つ目の事件の犯人の森川もりかわ静江しずえと二つ目の事件の犯人の横内よこうち進一しんいちも同じだろう。

 二つ目の事件に関しては、進一の弟も共犯者だったが、彼は進一に協力させられただけで、小説の模倣については何一つ知らない様子だった。


「二人には事情聴取の時に聞いてみた。小説のことは二人とも知らなかったが、謎の人物に「こうすると捕まらなくて済む」と言われたと言っていた」


 他人に捕まる心配がないと太鼓判を押されても、俺は罪を犯すことはできないだろう。ましてや、相手は自分が知らない人間だ。

 そんな人間に人を殺すという一大事を知られている時点で殺人を犯すという危ない橋を渡ろうとは思わないだろう。


 しかし、平田は浮気という弱みを握られていた。


 一つ目の事件の犯人である森川静江は、一つ屋根の下で暮らしている人間が露出狂という社会に公表されたら家族が困るような秘密を抱えていた。

 二つ目の事件の犯人である横内進一は、横領をしているという秘密を抱えていた。


 全員が秘密を暴かれ、弱みを握られている状態で、犯罪の手口を教えられ、その際に「このような行動をしろ」と言われれば、殺人を犯せと命令されていると捉えるのも仕方がない。


 命令されたから、罪を犯すのも仕方がないと黄色猫に責任転嫁することもできる。

 かといって、殺人はいけないことだが。


「それにしても、砂橋はどうした。仕事だとしても、平田に面会すると言えば、あいつなら喜んでくると思ってたんだが」


 平田が事件の犯人だと分かったからか、いつの間にか、熊岸刑事が平田のことを「平田先輩」と言わなくなった。彼にとって、平田はもう敬意を払う相手ではなくなったのだろう。


 建物内を歩きながら、俺はスマホを確認した。砂橋からの連絡はない。

 今日、平田と面会するということを砂橋に教えたのは、昨日の昼のことだった。


「もちろん、行きたがっていたが、仕事があるから残念がっていた」


 普通の仕事であれば、砂橋も「まぁ、仕方ないよね」という反応をすると思ったのだが、昨日の昼、電話をした時の砂橋の反応は俺の予想とは少し違った。


『えぇ~、そっちの方が断然いいじゃん! 僕も仕事がなかったら、絶対にそっちに行くのに! うわぁ、いいなぁ~』


 砂橋の反応に俺は一瞬だけ面食らった。


 仕事であれば、たいてい割り切って、それなりに楽しみながら仕事をしている砂橋が仕事よりも平田との面会を楽しみにするとはどうしても思えなかったのだ。

 もちろん、捕まってしまった平田のことを煽りたいという気持ちもあるのだろうが、それにしたって大袈裟とも思える反応だった。


 そこで俺はあることに気づいた。


 もしかして、砂橋が仕事を嫌がっているのではないのかと。


 ただでさえ、直近で片付いた仕事は、平田の妻からの浮気調査であり、その浮気調査もだいぶ疲れるものだったらしい。尾行に疲れたのではなく、依頼人とのやり取りが疲れたのだと砂橋は語っていた。


 二回連続で、砂橋が嫌がる依頼人に会ってしまったのなら、平田との面会の話をした時の砂橋のあの反応も納得できる。


「残念がるようなものでもないが……」


 熊岸刑事はそう言うと、前後に顔を向けてから、立ち止まった。


弾正だんじょう。砂橋がいない今のうちに話しておきたいことがある」


 砂橋に聞かれたくない話とはいったいなんだ。

 砂橋が仕事中なら、いきなりあいつが俺達の前に現れる心配もない。


「黄色猫から、弾正と俺の元に小説が届いた」

「ああ、それは砂橋も知っている」


 今更、確認するまでもない事柄だ。

 しかし、熊岸刑事の真剣な表情に俺は気圧されそうになりながら、息を呑んだ。


「弾正。今から言う条件に当てはまる人間はお前の周りに何人いる?」


 熊岸刑事はそう言いながら、俺の目をじっと見た。


「弾正の家を知っている。お前が弾正影虎というペンネームの小説家だと知っている。俺とお前が知り合いだと知っている」


 黄色猫を名乗る人物から送られてきた箱には「弾正影虎」と書かれていた。


 俺は小説家であることをマンションの他の住民には教えていない。住所ももちろん、公開していない。小説家の俺にプレゼントを送ろうと思うのなら、それは出版社に送られるだろう。


 黄色猫は、俺が小説家であるということも、公開していない俺の住所も知っていた。ただし、これは本気で調べようと思えば、分かることではないだろうか。

 それこそ、探偵に調査をさせれば、分かりそうなものだ。


 しかし、調査で小説家弾正影虎の住所が分かったとしても、それと同時に俺と熊岸刑事が知り合いだということを知ることはないだろう。


 それに黄色猫は、事件に俺が関わることを想定しているかのように、俺に破られた本を、熊岸刑事には破った小説のページを送り付けている。

 もしかしたら、黄色猫は俺が熊岸刑事と関わった上で、事件にも関わることができる人間だと知っている人間かもしれない。


 その条件に当てはまる人間を、俺は一人しか知らない。


「砂橋?」

「……」


 熊岸刑事は眉間に皺を寄せたまま、厳しい顔を保っているだけで、俺の呟きに首肯することもなかった。


 俺と熊岸刑事が関わっていることと、俺が小説家であることを知っている人間は警察にも何人かいるだろう。先程平田の面会の時に警察官として立ち会いをした猫谷刑事もその一人だ。

 しかし、猫谷刑事は俺が暮らしている場所を知らない。


 俺の家を知っていて、俺が小説家であることを知っていて、熊岸刑事と関わりがあることを知っている人物。

 そして、俺の小説の内容を知っている人物。

 どう考えても、俺の頭には一人の人物しか思い浮かばなかった。


「まさか、そんなわけが」


 俺が否定する言葉を紡ごうとしたものの、上手く言葉を出せずにいると、手の中でスマホが震えた。連続する振動が、それが着信だということを俺に知らせる。


 画面を見ると、相手は今、俺の頭に浮かんでいた人物だった。

 とりあえず、一呼吸置いて、俺はスマホを耳に当てた。


「どうした?」

『面会終わった?』

「ああ、今、終わったところだ」

『だったら、今からこっち来てよ』


 電話の向こうからやる気が抜けたような砂橋の声が聞こえた。


「仕事は終わったのか?」

『終わってないけど、暇というか、めんどうというか……本当に退屈で死にそうだから来てよ』


 砂橋はそう言うと、住所を口にした。慌てて、肩と耳でスマホを挟み、ポケットからペンとメモ帳を取り出すと、俺は砂橋が言う住所を書き留めた。

 ここからは車で二時間半の港の近くだった。

 住所を告げると、砂橋は俺の返事も聞かずに通話を終わらせていた。げんなりとした表情をすると、熊岸刑事が俺の手元を見て、眉尻を下げた。


「俺も付き合おう」


 どうやら、俺は同情されたらしい。


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