留置場
留置場の面会室の扉を開ければ、ガラスで隔たれた向こうに、パイプ椅子が一つあり、部屋の隅には机とパイプ椅子があった。俺の隣にいた熊岸刑事と顔を見合わせて頷く。
今日、俺と非番の熊岸刑事は留置場にいる平田貴士に会いに来た。
彼は先週、自分と同じ元刑事である小野坂靖の娘である小野坂美友を自殺に見せかけて殺害した。
その時、話題にはあげなかったが、事件現場には遺書に見せかけた駆け落ちの置き手紙と一緒に俺の小説に出てくる一文が書かれた紙があった。それについて、彼には聞きたいことがあった。
俺の元に届いたページがところどころ破れている自分の小説。
今まで熊岸刑事に届いたページは三枚。
いや、四枚だ。
昨日、熊岸刑事の元にまた手紙が届いた。
どこの郵便局を通ってきたのかは分かるが、それも過去の三回とも別のところから送られてきており、相手が自分の居住区から離れた場所で郵便を投函しているのはすぐに分かった。
まだ四度目の事件は起きていない。
しかし、四度目の事件が起こるまでただ待っているわけにはいかない。
そのため、俺と熊岸刑事は、俺の小説のページが関係する事件を起こした平田貴士に話を聞きに来たのだ。
彼がどうして、俺の小説に出てくる一文を引用したのか。誰かに言われてやったのか。それとも平田自身が俺の小説を利用しようとしたのか。
小説の著者である俺が巻き込まれているのだから、俺自身が確かめる必要がある。
「砂橋はなんだって?」
「仕事が入ったと言っていた」
今までの三つの事件の解決に関わった砂橋のことを当然誘ったのだが、仕事があるから、と断られてしまった。
今はあまり仕事を詰めていなかったから俺は自由に動けるが、砂橋はそうもいかないだろう。まぁ、砂橋の場合、普段が自由奔放すぎるからこのぐらい仕事に縛られている方がいいかもしれない。
「面会の時間は十五分だ。……できるだけ、小説を書いている本人がこの場にいるということはバレないようにしよう」
俺は静かに頷いた。
面会には警察官の立ち合いが必要だが、今回、立ち合いは猫谷刑事が担当することになった。だからこそ、熊岸刑事がこの日にちに面会を希望した方がいいと俺に言ってきたのだろう。
しばらくすると、先週見たスキンヘッドに眼鏡の男がガラスを隔てた向こうの部屋の扉をくぐって現れた。
彼は熊岸刑事の隣の俺を見て、顔をしかめた。
彼の頭にはもう傷跡もない。
前の事件の時にわざと怪我をしたのだが、結局、自分から怪我をしたものだから、深い傷ではなかったのだろう。
「どうして、ここに探偵がいるんだ? あの餓鬼の探偵と一緒で俺を煽りに来たのか?」
確かに砂橋は先週、探偵のことを馬鹿にする平田に対して、散々煽るような物言いをした。しかし、俺をそんな砂橋と一緒にされても困る。
そもそも、俺は砂橋と違い、探偵ではなく、小説家だ。
「彼は探偵ではありません」
実際、平田に向かって、俺と砂橋の個々の紹介をした覚えはない。
俺達が熊岸刑事の協力者だと言っただけで、それ以上はなにも言っていない。熊岸刑事が探偵に協力してもらっているというのは噂になっているらしい。
俺と砂橋が熊岸刑事について、現場に出入りしているから噂がたっていてもしょうがないだろう。
「だったらなんだ? 探偵じゃなくても部外者だろう」
「聞きたいことがある」
平田が部外者のことを警戒しているのは分かるが、時間は限られている。簡潔に質問して、答えを知らなければいけない。
「この小説を知っているか?」
俺は、著者名が書かれている場所を自然に指で隠し、題名の『雪村探偵推理集 弐』を見せた。
平田は俺が彼の煽りに反応しないのを見ると大袈裟にため息をついてから、ガラスに鼻先を近づけて、俺の手元の小説を見た。眼鏡はいつの間に新調したのか、予備があったのか、ヒビが入っていなかった。事件現場で会った時、怪我と一緒に眼鏡のレンズも割れていたはずだ。
「知らないな。推理ってことは探偵小説か? 俺は探偵が嫌いなんだ」
俺と熊岸刑事は目を見合わせた。
前回の事件で現場に残された『星の下 真実を 御覧に入れましょう』と書かれた紙のことは信用している熊岸刑事にだけ話した。砂橋が死体を発見した時、いの一番に回収してくれたため、他の人間にはバレてない。
そもそも、今回、俺の小説の内容が事件に反映されている件については、熊岸刑事も関係している。今は現場を混乱させるからと小説のことは猫谷刑事にしか話していないと聞いている。
そうでなければ、猫谷刑事が警察官として面会に立ち会っている中、こんな話はしない。
「だったら、このフレーズは覚えているか?」
俺は熊岸刑事の元に届いた小説から切り取った一枚のページをガラスに貼り付けるようにして平田に見せた。
「真ん中あたりにある文章だ」
彼はしかめっ面のまま、ページの文字を目で追っていたが、該当箇所に辿り着いたみたいで目を見開いた。
しかし、口を開かない彼に俺は問いかけた。
「最初の文字だけ違うが、この文章は小野坂美友の死体が見つかった現場に落ちていた。しかも、物語で出てきたように、定規で線を引いて書かれていた。遺書として発見された手紙に定規は使われていなかったのに、わざわざこちらの文章は定規を使って書かれていた」
しかし、小説では「月」とされていた部分が現場の紙では「星」となっていた。星を示唆したのは亡くなった小野坂美友だろう。
彼女は星を強調することであることに気づいてほしかったのだ。それは平田を追い詰めるための材料になった。わざわざ平田が自分に都合の悪いものを示唆するために星を示したとは思えない。
「どうして、この文章をあの場に残そうとしたんだ?」
俺と熊岸刑事の顔を交互に見た平田はやがて、肩を落として、大きく息を吐いた。
「……脅されたんだ」
「脅された?」
「奴は何故か俺の浮気のことを知っていたんだ。しかも、美友ちゃんが大人しく別れてくれないことも、そうなった場合、俺が美友ちゃんのことを殺すだろうということも予想していた」
奴。この事件の裏に誰かがいることはすでに予想していた。
そして、その人物こそが俺の家に俺の小説を送り付け、熊岸刑事に俺の小説から切り取ったページを送っている「黄色猫」という人物だろう。
「殺す時、俺が警察に捕まらないような方法を教えるから、もし、そんなことが起こった時は、その文章を定規で書いて、その紙を現場に落とせと言われたんだ」
俺は小説のページが入った袋を熊岸刑事に渡した。
平田の言っていることを疑う気持ちはあまりない。彼が俺の小説を知らないというのなら、彼が「黄色猫」である可能性は低いだろう。それに再現されていない事件のページはまだ二つ残っている。
ならば、彼は黄色猫に指示されて、俺の小説の模倣をしたに違いない。
しかし、腑に落ちないことがある。
「わざわざ実行しなくてもよかっただろう。現場にこんなものを残したら、誰だって不審がるはずだ」
俺の言葉を平田は馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「もし、美友のことを殺して、俺が捕まらなかったとして、今までと同じ生活を過ごすとして、俺が指示に従わなかったと気づいた奴はどうする?」
小野坂美友が亡くなった時点で、相手は、平田が小野坂美友を殺したのだと確信しているだろう。しかし、平田が指示を無視したとなると、相手は警察に平田の殺人計画を話すことができる。
それに相手は平田の浮気を事前に知っていた。警察に殺人のことを話すか、平田の妻に浮気のことを暴露するか。
どちらにしろ、平田が今後も今までと変わらない生活を送ることは無理だったろう。
「だから、小野坂美友を殺した上で、あの手紙を現場に落としたのか」
「ああ、仕方なかったからな」
平田がやれやれと肩を竦めながら言うと熊岸刑事がいきなり台に拳を叩きつけた。
「仮にもあんたが、刑事だったあんたが、殺人を仕方ないなんて言うな」
叩きつけられた熊岸刑事の拳は震えていた。




