詫び
熊岸刑事は警察署に平田と小野坂を連れて行くと言って、パトカーに乗っていった。小野坂は一人にしておくとどうなるか分からないと思ったのだろう。
俺が自分の車の元へと行くと、砂橋が流れるように助手席に乗ってきた。
「……落ち着いて考えてみたんだが」
車のエンジンを入れる前に俺は話をした。運転をしながらでは頭の整理が追い付かないと思ったのだ。
「小野坂が娘と平田の関係を知って激怒して殺した可能性は……」
「家を出る時に窓の鍵を一つだけ外しておいて、ストーカーのふりをした誰かを平田元刑事に追わせて、その間にってこと?」
「ああ……」
砂橋もプリクラを見て直感で平田が犯人だと思い込んだわけではないらしい。
「その可能性もあったか確認したんだよ。杖を使わないで踏ん張れるか」
砂橋の言葉に今日の出来事を頭の中で振り返る。砂橋が小野坂にしたことといえば、挑発したくらいだ。
「まさか、殴られそうになった時か?」
「それそれ。まぁ、あの人は途中で僕がなにを見たいか気づいてたから謝っただけで許してくれたんだよ」
「は?」
「あの人に人一人を運ぶことはできない。僕を殴れなかったのが証拠だよ」
小野坂が砂橋に掴みかかった行動を詳しく思い出す。小野坂は片手で砂橋の襟を掴み、もう片方の手をテーブルについていた。殴ろうと思ったら、テーブルについている手を振り上げればいい。
「……手をテーブルから離したら立てなかったのか」
砂橋はそれを確認したいがためにわざと小野坂を怒らせた。そして、小野坂も頭に血が上って、砂橋のことを掴んだものの、砂橋が自分のテーブルについた手を見ていることに気づいて引き下がったのだ。
「相手が大人でよかったな」
「本当だよ。殴られるのは嫌だからね」
砂橋が肩を竦めた。
杖をついていないと踏ん張ることができないということは両手で人一人抱えて歩くことができないということだ。
小野坂美友を手すりの上から落として殺す場合、犯人は小野坂美友を抱えて、手すりの上まで彼女の身体を抱え上げないといけない。人を抱えた状態で杖はつけない。
見たところ小野坂は片手で成人女性を抱えられるほど筋力があるように見えなかった。
砂橋は青いオルゴールの箱の中身を見た上で小野坂に犯行ができるかどうか確かめたのだ。
それにしても、娘を失った上に信頼していた先輩が娘と交際していて、その上で娘を殺したと知った小野坂の怒りは計り知れない。
日記を確認していた時に熊岸刑事から聞いたが、娘を預けられるほど小野坂が平田のことを信用していたのは、小野坂の足の怪我は、平田のことを庇った時に負ったものだからだったのだ。
自分が足を引きずることになってまで庇ったのだから、相手は自分に恩義を感じていると思ったのだろう。元々、彼は身を挺して守るほど平田のことを尊敬していたのかもしれない。
「……後味が悪いにも程がある」
俺が大きくため息をつくと、砂橋は珍しく俺に同意するように頷いた。
「浮気とか最低だね」
俺も砂橋も事件に関わることは多いながらも、やはり、死体を直接見るのは気が滅入るものだ。俺は砂橋と違って見ないようにしていたのだが、今回はまじまじと見てしまった。
死体を見て、吐かなかったことに自分で称賛を送りたいくらいだ。
「……これがあと二回あるのか?」
「止めたいのなら、話を聞きに行くのもありだよ。止められるかは分からないけど」
「話を……」
小説とそこから切り取ったページを送ってくる謎の黄色猫という人物。
その人物を知っているとしたら、三つの事件を起こした三人だろう。三人とも、俺の小説と似たような状況を作り出しているのだから。
「まぁ、その前に、弾正にはお詫びをしてもらわないと」
「詫び?」
砂橋はにこにこと笑った。
「仕事中の僕を付け回して、邪魔したこと」
「あ」
いや、俺は邪魔していない。
今回、仕事が中断したのは事件があったからだ。
しかし、砂橋にそれを言っても聞いてくれないだろう。それに適当に詫びだといいながら、今回もまた俺の家で飯を食いたいだけに決まっている。
「なにが食べたいんだ……」
「カニ食べたい」
「……鍋でいいか」
俺はため息を吐きながら、車のエンジンをかけた。




