青天の霹靂
がたん、と俺の隣で杖が床に転がり、それに伴って、倒れるように床に膝をついた小野坂が床に落ちたプリクラを一枚手に取った。
「……なん……どうして……」
小野坂からすれば、青天の霹靂だっただろう。
信用して、自分の娘の安全を任せていた相手が、自分の娘と交際しているなどと誰が思うだろうか。
しかも、平田貴士は既婚者で、小野坂美友も婚約者がいる身だ。どう考えても許されるような関係ではない。それに、平田は小野坂美友の父親である彼よりも年上なのだ。
「なんでそんなものが……っ! 小野坂、それは捏造だぞ! 俺はそんなものを撮った覚えがない!」
平田が茫然としている小野坂にそう訴える。
砂橋がそれを鼻で笑った。
「プリクラの捏造ってなに?」
ピアノの前の椅子から立ち上がり、砂橋は平田の前へと足を進めた。
「自分の妻が自分のことを怪しんでるのも分かってたでしょ。この家に来てるって知っただけで突撃して浮気してるんでしょって聞く気の強い奥さんだったんだから」
平田の妻は話を聞いているだけでも行動力のある人間だと分かる。
この家の前で平田の妻に何かを言われた小野坂は「先輩が? そんなわけないじゃないですか!」と笑っていたが、あれは平田の妻に「夫がこの家の人間と浮気してるんじゃないか?」とでも聞かれたのだろう。
証拠もないのに家に突撃する人間が直接夫に浮気をしていないか尋ねないわけがない。
「それに美友さんは婚約してから一年が経とうとしてる。もしかしたら、もうすぐ結婚式を挙げる予定だったかもしれない。だから、君はもうそろそろ関係を終わらせないといけないと思っていた」
既婚者でありながら後輩の娘に手を出していたのだ。
もし、このことが知られれば、彼の人生は取返しがつかないほど壊れることになるだろう。
だから、彼がこのことを終わらせようと思うのは無理もない話だ。当然、小野坂美友にこの関係を終わらせようと言ったのだろう。
そこで小野坂美友が首を縦に振ったのであれば、彼女は死なずに済んだかもしれない。
「遺書の言葉は覚えてる?」
砂橋が俺に視線を投げかけた。当然、覚えている。俺は口を開いた。
「お父さん、お母さん。ごめんなさい。私は親不孝者です。どうか怒らないでください。私は旅立ちます。誰かが悪いというわけではなく、私が悪いのです」
「それ、遺書にも読めるけど、駆け落ちする時の置き手紙にも読めるよね?」
死んだ小野坂美友の足元にあったため、遺書だと俺たちは受け取った。
しかし、ここには死ぬという旨の言葉は書かれていない。
旅立つということは、家族を捨てて駆け落ちをするという意味にも捉えられる。親不孝者だと自分のことを言っていることは、死ぬことも連想するが、親が勧めた相手と結婚せずに父親よりも年上の男性と駆け落ちすることだともとれる。
「別れて今までのことをなかったことにしようと言ったら、別れるなら全部ばらすとでも言われた? どんなところでもあなたとなら生きていけるなんて甘い言葉を言われた? とにかく、彼女は駆け落ちをするもんだと思って、文章を書いた」
遺書と思われた置き手紙は日記に書かれていた丸文字と一緒の文字が書かれていた。本人以外が書いたわけではない。
しかし、彼女の死体があったため、その置き手紙は本人の意図とは別の捉え方をされていたのだ。
「自分の両親なら、置き手紙にわざわざ星を描いた理由を察して、オルゴールの中身を確認してくれるかもしれない。置き手紙に詳しい内容は書けなくともそれぐらい考えて書いたのかもね」
駆け落ちをするための置き手紙を書いたとすれば、平田が必ず見ていただろう。遺書として違和感があるような文章では困るため、何度も訂正させたかもしれない。
だから、小野坂美友は、自分がいなくなる理由を両親に伝えるために星のマークを書き、さらに「月」を「星」に変えた。
平田は、月を星と書いたことぐらいは些細な問題だとでも思ったんだろう。
小野坂美友の部屋に俺の小説はなかった。だとしたら、あの文章を書けと言ったのは平田だろう。風呂場でウィッグが浮いていた事件のように、俺の小説に関連するものを残すためにあの一文を書くように指示したのかもしれない。
恋は盲目というが、小野坂美友は恋人に言われ、その通りに文章を書こうとする直前で「星」への変更を思いついた。
「彼女は駆け落ちをすると思っていたみたいだけど、そのまま殺された。駆け落ちしたいと思わせるほどの仲だったんだから。サプライズをしたいから、目的地につくまで目を瞑ってくれとでも言ったの? 首吊り用のロープは結構細かったから目を瞑った状態でネックレスだとでも言って首にかけた?」
目を瞑らせて、首にロープをかけ、女性を持ち上げ、手すりの上に座らせることができれば、背を少し押すだけだ。
あとは簡単だ。
小野坂美友が死んだら、家を飛び出し、ありもしないストーカーを追ったふりをする。どこかで怪我をして、気絶していたのだと後から訴えれば、例え、気絶していなくとも、それを信じる人間はいるだろう。
「俺がやったという証拠は? 物的証拠はないだろう」
「そんなの警察の仕事でしょ」
砂橋はばっさりと切り捨てた。
「美友さんの服から君の指紋がでるかもね。もしくは遺書から? ロープは用意したものだから指紋はつけていないと思うけど、家にあったものじゃないからどこかで買って持ってきたんでしょ。買ったお店の特定ができるかもね」
俺たちが詳しく死体を調べたり、指紋の検出結果などを見たりできるわけがない。だから、警察ではない探偵にできることはここまでだ。
ただ一つ、確実なのは、小野坂美友と平田貴士は付き合っていた。
ストーカーにつけられていると訴えて、父親の知り合いの警察官がいたら安心だと小野坂美友が言い出して、それと同時期に小野坂美友と付き合っていた平田貴士がタイミングよく小野坂靖に連絡をとったのかもしれない。
もしくは、ストーカーは小野坂美友の勘違いだったが、怖がる彼女のために助っ人として呼ばれた平田貴士と家に二人きりになり、付き合うようになり、二人きりになれる口実を作るためにストーカーがいると言い続けたのかもしれない。
「君のことを最終的に犯人かどうか判断するのは警察だけど……よかったね。君の人生、終わったのは確定だ」
にんまりと笑う砂橋に、目を見開いた平田が拳を振り上げた時だった。
俺の前を何かが飛び、平田の顔面に激突した。大きな音を出しながら、杖が床で二度ほど跳ねた。杖を投げた人物が吠える。
「平田ぁ!」
杖によってよろめいた平田の後ろに回った熊岸刑事が素早く彼のことを床に押さえつけた。
「弾正! 小野坂を!」
棚に手をついて、必死の形相で平田のことを睨み、足を進める小野坂の前に出る。
「小野坂さん! 止まってください!」
「どけ!」
小野坂の身体を受け止めて、足を踏ん張る。
ふと、こちらを見ている砂橋と目が合う。平田から離れ、俺が渡したクーベルチュールチョコを口に放り込んでいる砂橋はどうせ「好きにさせればいいのに」と思っているのだろう。
砂橋は復讐したい側の気持ちが分かってしまう人間だ。
砂橋には頼れない。
しかし、俺の予想とは裏腹に、すぐに小野坂はその場に力なく崩れ落ちた。俺は熊岸刑事ほど、身体を鍛えているわけではない。そんな俺なんか、突き飛ばして、平田を殴りに行くと思っていたのだが。
小野坂はまた立ち上がることなく、その場に項垂れていた。




