クーベルチュール
小野坂はストーカーが娘の婚約者の片淵かもしれないという言葉を聞くと、スマホを取り出した。スマホを耳にあてる。俺はいったいどうしたらいいのかと熊岸刑事に視線を送ったが、娘を失ったばかりの後輩を取り押さえるわけにもいかずに熊岸刑事は首を横に振った。
小野坂の電話の相手は、十中八九、小野坂美友の婚約者の片淵という男だろう。
ストーカーかもしれないというだけで小野坂が片淵に怒鳴りつけ、娘の死の原因を押し付けるのかと気が気でなかったが、小野坂は怒りをおさえつけ、少し震える声で電話相手に問いかけた。
「片淵くん、君、今日はなにをしていたんだ?」
仕事をしている、外出している、家族と一緒にいる、自分が娘のストーカーをしていないという証明ができるかどうか、まず小野坂は片淵に聞いた。
「……そうか。いや、聞きたかっただけだ。気にしないでくれ」
小野坂は通話を終わらせると指先を震わせながら、スマホを胸ポケットにしまった。
「熊岸先輩……」
「片淵はなんて?」
「今日はずっと家にいたみたいです。家族は旅行中でいないと」
アリバイを証明できる者がいない。
「片淵に話を聞く必要があるな。片淵の自宅は?」
熊岸刑事が小野坂に片淵の住所を教えてもらい、すぐに他の人に片淵の自宅に行くように指示しなければならないと言い出す。そこに小野坂の様子を見に来た平田まで加わり、三人がストーカーは片淵で、平田に追いかけられた片淵は平田が気絶した後、この家に戻ってきたのだと会話をし始めた。
その様子をぼーっと砂橋が見つめる。
「どうかしたのか?」
「ストーカーされてたら、窓の鍵も全部しめるよね」
「当たり前だ。玄関の鍵もしっかり閉めて、家に入らないように細心の注意を……」
監視カメラにはこの家に入ったストーカーの姿は確認されていない。熊岸刑事と小野坂と平田の会話内容が耳に入ってくる。
「監視カメラには外に出る平田先輩しか映っていなかったんですね?」
「ああ、そうだ。次にこの家にやってきたのは俺の妻とお前の妻とそこにいる探偵の小僧と小野坂の四人だ。そこに熊岸、お前ともう一人の探偵小僧がやってきたんだ」
どうやら、俺も砂橋と同じ探偵だと思われているみたいだが、今のところ、彼の勘違いはどうでもいい。
監視カメラには誰も映っていない。
小野坂美友が首を吊って死んだとされる一時間にこの家に玄関から入った者はいないのだ。ならば、ストーカーが彼女を殺したとして、いったいどうやって家の中に入ったのだ。
追いかけてきた平田が気絶してこの家に戻ってきた後、監視カメラの映らない場所から侵入したとでもいうのだろうか。
俺はリビングのカーテンを開いた。
リビングの窓には鍵がかかっている。塀から二階のベランダにのぼれそうにはなかった。俺は熊岸刑事たちの横を通り抜けて、一階の他の部屋に入る。畳の部屋の窓も鍵がかかっている。トイレもバスルームも鍵がかかっている。キッチンも夫婦の寝室らしき場所の窓にも鍵がかかっていた。
ストーカーがこの家に忍び込んだとして、逃げた時に外から鍵をしめたわけではないだろう。そうでなければ、小野坂美友を殺したストーカーはこの家にまだ滞在していて、どこかに隠れていることになる。さすがにストーカーにつきまとわれていたのだから、この家の中は熊岸刑事たちがくまなく探したはずだ。その線も薄い。
「砂橋」
「なに?」
「鍵は全部かかっていた」
砂橋はアルバムを閉じて、棚にしまうとその場から立ち上がった。
「弾正、お菓子持ってない?」
「……持ってる」
もし、尾行がバレた時に砂橋に機嫌をなおしてもらおうと思って、買っていたクーベルチュールチョコレートを鞄から取り出した。
砂橋は目をきらきらと輝かせながらそれを受け取り、四粒ほど頬張ってがりがりと噛み砕いた。
「じゃあ、噛み砕いて説明しようか。小野坂美友殺しの犯人」




