玄関を開いたら
「美友……っ! 美友! どうしてこんなことを……!」
杖をついて歩いていた小野坂が両手で顔を覆っていた。
「女性二人は?」
「二人とも家には近づかずに車の中で話を聞いている。しかし、二人ともここに来たのは初めてだから、話を聞いたら解放されるだろう」
熊岸刑事の奥さんと花柄ワンピースの女性はこの家に来るのは初めて。小野坂とは面識があるのかどうかを聞こうにも小野坂は錯乱状態で話を聞くような状態ではない。
そんな小野坂に熊岸刑事が近づく。
「小野坂! しっかりしろ、小野坂!」
「く、熊岸先輩……っ⁉」
熊岸刑事に両肩を掴まれ、揺さぶられ、ようやく小野坂は両手を顔から話した。
女性の死体は警察によって降ろされ、手すりにはなにもぶら下がっていない。小野坂も死体を目にしたままでは正気で喋ることはできなかっただろう。
先ほど見た死体の女性は、熊岸刑事や小野坂より若く見えた。むしろ、俺や砂橋に近い年齢。二十代の女性だったろう。正確なことは分からないが。
「……お前の娘か」
熊岸刑事の問いに小野寺は唇を噛みしめ、頷いた。熊岸刑事が今にもまた涙を流し、受け答えができなくなりそうな小野坂のことをきつく抱きしめた。
大切な人間を失った相手にかける言葉もないだろう。それは人の死を一般人よりも多く見る刑事でも同じことだ。
俺も死体をまじまじと見るのは久しぶりで、なんと言ったらいいのか分からなかった。死体と出会う時はいつも砂橋がいたからか、自然と俺は砂橋の右に立った。
「どういう経緯でこの家に来たんだ」
「あれ、盗聴してなかったの?」
どうやら、こいつは俺と同じようなことを考えていたらしい。尾行するのなら、先に盗聴器を仕掛けておこうという思考が被ったことに居心地の悪さを感じながらも俺は頷いた。
「熊岸刑事はそんなことをしようとは微塵も考えなかったらしい」
「なるほどね」
砂橋は肩を竦めた。さすがに笑ったりしないのは、亡くなった女性の遺族が同じ空間にいて、今まさに絶望の縁に立っているからだろう。
「想像くらいはできてると思うけど?」
「熊岸刑事の奥さん経由で、あの花柄ワンピースの女性から浮気調査の依頼を受けたんだろう」
「正解」
やはり、浮気を疑われていたのは熊岸刑事ではなかったらしい。しかし、今はそれを安心できるような状況ではない。
「平田さん……花柄ワンピースの女性ね。本当に飛び込みで依頼が来て、すぐに主人のことを調べられるだけ調べてって言われて、今日のファミレスで報告会だったんだよ」
砂橋が両手と肩をあげて、やれやれと首を振る。
熊岸刑事の奥さんが紹介した依頼人とはいえ、その依頼の仕方は砂橋にとって面倒なものだったらしい。
「浮気の断定もできなかったけど、旦那さんがこの家に出入りしているのだけは分かったからその写真を見せたら行くって言って聞かないんだよ。もう少し調査して、ちゃんとした証拠を手にいれたらって、僕は言ったんだけどね」
それが先ほどのファミレスでのやり取りだったのだろう。砂橋の言葉も聞かず、依頼人は旦那が出入りしている家に浮気相手がいるかもしれないと突撃したのだ。
いつもは俺のことを振り回す砂橋も仕事に関しては依頼人に振り回されることがあるのか。
「それで、平田さんの旦那さんが出入りした家に突撃訪問したら、これだよ」
家を訪ね、家の住人である小野坂に出会い、招いてもらおうとしたら、玄関ホールにぶら下がった小野坂の娘の死体。
まさか、砂橋も浮気の調査依頼からこんなことに巻き込まれるとは思っていなかっただろう。
「……待て。この家には小野坂ではなく、平田という女性の旦那が出入りしてたんだろう?」
「そうだよ」
花柄ワンピースの平田は、熊岸刑事や小野坂よりも年上だろう。その女性の旦那がこの家に出入りしていた。
となると、小野坂の娘が首を吊ったのは、既婚者の男性と浮気をして、それがバレそうになったから、とも考えられる。いや、亡くなった相手のことも知らずにそういう考えは無粋か。遺書があるのなら、考えるまでもなく、彼女が死んだ理由も書かれているだろう。
「言っとくけど、僕は君と熊岸刑事みたいなバレる尾行はやってないから」
「……そうか」
探偵がそう言うのならそうなのだろう。
先ほど砂橋が持っていた遺書はいったん警察に提出した。
遺書があるのなら自殺なのだろう。
この前、起こった自殺に見せかけた殺人は遺書がなかったが、遺書があるならば、事件ではないし、俺の小説のページは関係ないだろうと思う。
しかし、先ほど砂橋が俺の言外の問いに見せた笑みが忘れられない。
「やはり、間に合わなかった……っ!」
切羽詰まった男性の声が玄関の外からしたかと思うと、スキンヘッドに眼鏡の男性が他の警察官の静止を振り切って、家の中へと入ってきた。
思わず、ぎょっとしたのは、その男性が額から血を流しているからだった。眼鏡もヒビが入っている。
自殺現場にどうして怪我人が現れる意味が分からずにいると熊岸刑事に宥められていた小野坂が顔をあげた。
「平田先輩……!」
「すまない、小野坂……今、外で聞いたよ、美友ちゃんのこと……俺のせいだ。本当にすまない、小野坂っ!」
スキンヘッドの男は額から血が出ているにも関わらず、玄関の床に自分の額を押し付けんばかりに小野坂に土下座をした。小野坂は、奥歯を噛みしめ、スキンヘッドの男性を睨んだかと思うと、今度は眉尻を下げて、また泣き出しそうな顔をした。
なんて言葉を出したらいいのか分からないようで、何度も口を開けては閉じている。
「平田っていうことは……」
俺は目の前の空気に混じらないように小声で砂橋に聞いた。砂橋は頷き、俺と同じく小声で言った。
「依頼人の平田真美さんの夫。平田貴士さんだよ」




