尾行
砂橋と熊岸刑事の奥さんがファミレスで向かい合って座っていると、しばらくして、チョコレートソースがかかったチョコバナナパフェが砂橋の前に置かれる。
嬉しそうに細長いスプーンを手に取り、砂橋はチョコレートソースがかかったバニラアイスを口に運ぶ。
「……楽しんでないか?」
「砂橋は仕事でも食事中はあんな感じだ」
「そうか……」
仕事中の砂橋のことをまともに見たことがない熊岸刑事は顎に手を当てて首を捻った。
それにしても、この状況は久しぶりに再会した親戚の叔母さんにファミレスで甘いものを奢ってもらうという図にしか見えない。熊岸刑事の奥さんもなにかを話すわけでもなく、パフェを美味しそうに口に運ぶ砂橋を見て、ホットの飲み物に口をつけている。
会話も聞こえないのでは、この尾行に進展もなにもない。
そもそも、砂橋が依頼を受けて、その調査をして、報告するのであれば、こんなところではないはずだ。依頼人の指定がない限り、依頼人は探偵事務所へと足を運び、依頼をして、調査が完了すれば、また探偵事務所に呼ばれ、報告を受ける。
わざわざ熊岸刑事の奥さんとファミレスで会う必要はあるのだろうか。
ふと、砂橋と熊岸刑事の奥さんが顔をあげる。テーブルの傍に立った女性が二人に話しかけたのだ。
「あの女性は知り合いか?」
「見覚えはあるが、いったい誰だったか……」
熊岸刑事は眉間に皺を寄せて、二人に話しかけた人物を注視した。
女性がファーつきの茶色のコートを脱ぐとその下は花柄の長袖ワンピースだった。首元には真珠のネックレスがある。耳にも大きめの貝のようなイヤリングがついている。
知り合いなのか、熊岸刑事の奥さんとその女性が少し会話をして、奥さんが砂橋のことを指し示す。砂橋が軽く会釈をして、何か喋ったかと思うとすぐにパフェの残りを食べ始めた。
花柄ワンピースの女性が熊岸刑事の奥さんの隣に座る。
あの対応を見ると、熊岸刑事の奥さんが花柄ワンピースの女性と知り合いなのは間違いないだろう。熊岸刑事自身も見覚えがあると言っているのだから、夫婦そろって知り合いなのは間違いない。
しかし、浮気と探偵と単語と、新しく出てきた花柄ワンピースの女性は関係あるのだろうか。
パフェを食べ終わった砂橋が鞄からクリアファイルを取り出すと中から写真や書類などを取り出した。
もしかして、調査結果として写真を見せているのだろうか。三人の様子は見えるが、さすがに駐車場の車の中からでは砂橋が二人に見せた写真の内容までは分からない。
「もしかして、浮気調査を依頼したのは熊岸刑事の奥さんじゃなくて、隣にいる女性では……?」
俺は思ったことを口にした。
熊岸刑事が奥さんから俺へと視線を向ける。
「熊岸刑事も知ってるだろ。砂橋が所属している探偵事務所セレストは、ネットなどで依頼を募集していない口コミだけの会社。客や職員の紹介がないと依頼することもできない」
「妻は俺が持っていた砂橋の名刺を持っていた」
砂橋の名刺を持っていたということなら、熊岸刑事の奥さんは紹介されたという部類に入るだろう。なによりも、砂橋は今まで熊岸刑事に大変お世話になっている。奥さんからの頼みなら、砂橋も断ったりしないだろう。
実際、紹介制にしているのは、探偵事務所へ変な輩が依頼しないようにするためだ。熊岸刑事の奥さんなら身元の保証も大丈夫だろう。
となると、熊岸刑事の奥さんから紹介された人物も、当然、知り合いに紹介された依頼人ということになる。
「熊岸刑事は、奥さんが電話で「浮気」「探偵」と言っているのを聞いたんだよな?」
「ああ、そうだ」
「浮気を探偵に調査してほしいと思っていたのはあの知り合いの女性で、熊岸刑事の奥さんは熊岸刑事が懇意にしている探偵がいるとその知り合いに紹介しただけでは?」
「……なるほど」
熊岸刑事の口元が安堵で緩んだ。
砂橋が取り出した写真を花柄ワンピースの女性が険しい顔でまじまじと見つめるのに対し、熊岸刑事の奥さんは興味深そうに見つめている。真剣さからも花柄ワンピースの女性の方が浮気の調査を依頼したのだと分かる。
なによりも砂橋が熊岸刑事の奥さんではなく、花柄ワンピースの女性を見て、話をしている。写真を撮った時の状況について話しているのだろう。
「妻は、浮気調査に付き合わされただけか……。これで安心したな」
「いや、俺は安心してないんだが?」
熊岸刑事が奥さんに浮気を疑われているという線は消えたが、砂橋が奥さんに俺のことを話すかどうかはまだ油断できない。
砂橋のことだから仕事はちゃんとするだろうが、その後は別だ。
仕事が終わった途端、俺のことを話し始める可能性がある。
「あ、ああ、そうだったな……弾正先生」
「先生って呼ばないでくれ!」
俺が思わず熊岸刑事の肩を掴んだのと、写真を手にした花柄ワンピースの女性が立ち上がったのは、ほぼ同時だった。彼女が砂橋と熊岸刑事の奥さんに店を出ろと急かすように大振りに手を動かしたのが分かった。
その様子を見て、砂橋はテーブルの上に出していた他の写真をさっさと片付けて、熊岸刑事の奥さんもコートを手に取った。
どこか行くつもりなのだろうか。
幸い、熊岸刑事がもう尾行をやめようとしても、この車は俺のものだ。熊岸刑事が「俺の車で行けば、妻にバレる」と言っていたので俺の車で来ることにしたのだ。
さすがの砂橋も一人で仕事をしに来ているんだから、俺の車があるとは思わないだろう。
三人がファミレスから出てきて、花柄ワンピースの女性が乗ってきたらしいピンクの車に乗り込む。三人が出発すると、俺たちも慎重にその車の後を追いかけることにした。
 




