熊岸刑事の奥さん
どこにでもありそうなチェーンのファミレスの前で落ち合った砂橋と熊岸刑事の奥さんの熊岸水奈子さんは、歓談していた。
「……店内には」
「相手は妻と砂橋だ。すぐに俺とお前の顔はバレる。それこそ、店内に入った瞬間にだ」
「それもそうだが……」
車の中からファミレスにいる二人を見るのも限界があるだろう。しかし、店内に入って、二人の傍に行かなければ、砂橋と熊岸刑事の奥さんの会話など分かりそうもない。
「奥さんに盗聴器とかは」
「仕掛けるわけがないだろう。妻だぞ」
「……」
もし、熊岸刑事が奥さんに浮気を疑われることがあっても、熊岸刑事が奥さんのことを疑うことはないだろう。俺や砂橋が熊岸刑事の立場だったら、絶対に盗聴器を彼女の鞄に仕掛けていたはずだ。
それよりも俺は先ほどファミレスの駐車場に車を停車させてから熊岸刑事に渡された新たなページを見て、顔をしかめていた。
熊岸刑事には悪いが俺にとっては熊岸刑事の浮気が疑われていることよりも手元の小説のページの方が気になる。
小説の内容はこうだった。
『年老いた男性の死体が月明かりに照らされた状態で発見された。それ以外にも様々ないわくつきの月光館へと招待された探偵雪村はくるりと手に持っていた愛用の杖を回すと床をコツコツと二回ほど叩いた。
「確かにここは月光館の前の主人、月宮の死体が発見された部屋には違いありません。しかし、皆さま、誰一人、こうは言っていない。月宮がこの部屋で殺害されたのだと」
雪村の言葉に月光館に集まった一同は黙り込んだ。
この月光館に集まったのは、先ほど名が挙げられたこの月光館の前の主人月宮の死体が見つかった夜、この館にいた者たちだ。
本日、亡き月宮からの招待状によりやってきた探偵雪村と、彼に足として使われた友人城崎以外も、亡き月宮の名前を騙る何者かからの招待状により、この月光館へと足を踏み入れた。
「君たちはいったい、事件のなにを知っている?」
雪村の問いに集まった招待客は皆、口を引き結んだままだった。皆が押し黙る中、我こそはと口を開く者もいない。
雪村は一同の様子を眺めるとため息をついた。
「そういうことならば、いいだろう。これ以上の質問は無駄のようだ」
雪村が肩を竦め、部屋から出て行くのを慌てて城崎は追いかけた。
「おい、雪村!」
城崎の言葉を背中で受け止めながらも、赤い絨毯に覆われた廊下をまっすぐと雪村は歩を進めた。右に曲がり、左に曲がり、彼がようやく足を止めた頃には、城崎は肩で息をしていた。
「机にかじりついているから体力がないのだ、君は」
「お前が止まらなかったからだ!」
雪村と城崎が辿り着いた部屋は、ドーム型の天窓が天井全体を覆っている「月の間」と呼ばれる部屋だった。その部屋には、家具が一つもなかった。東と西に扉があり、雪村と城崎はたった今、東の扉から「月の間」へと入ったところだった。
「どうして、この部屋に?」
ドーム状の天窓からは昼の日差しが照り付けている。その眩しさに城崎は目を細めながら、光の中にいる雪村を見た。雪村はジャケットの内側から二つ折りにされた紙を一枚取り出した。
「この月光館に来て、案内された部屋に行くとこの紙があった」
「見せてくれ」
雪村から差し出された紙を受け取り、城崎は紙を開いた。
『月の下 真実を 御覧に入れましょう』
定規で書かれたまっすぐの字に城崎はさらに目を細めた。
「この館の中、月の下で会話ができるのはこの部屋のみだ」
「夜になるまでここで待つつもりか?」
「月が出たら、この部屋に来るつもりだ。分かっていると思うが、この紙の話は」
「分かってるよ。誰にも言わなければいいんだろう?」
城崎が紙を突き返すと雪村はまた紙を丁寧に折り畳んで、ジャケットの下へと忍ばせた。』
前はパンケーキ屋のポイントカードが入っていたが、今回は小説のページだけだった。前回も前々回も結局俺の小説が関わっているのが殺人事件だったことを考えるとどうしても嫌な予感がしてしまう。
本当なら、砂橋と熊岸刑事の奥さんの尾行をしている暇はない。
かといって、なにをどう調査すればいいのか分からない。
事前に事件を予測して食い止めることができるような超人的な力は俺にはない。砂橋だって、そんな力はないだろう。
破られている小説のページから次の事件を推測しようと自分の小説を読み直してみたはいいが、どれもこれも現実に反映できないものばかりだった。
今回送られてきた月光館の話だってそうだ。月光館は、月の間という天井がドーム型の天窓となっている部屋で成り立っている。もし、この月光館を元にした事件を起こすのであれば、それこそ、月光館を作れと言いたいところだ。




