熊岸刑事の浮気疑惑
熊岸刑事がリビングにいて、砂橋がいないというのは初めてのことだった。いや、俺の家に熊岸刑事が来るのもまだ二回目だ。珍しいと言えるほどのことでもない。
「妻が俺の浮気を疑ってるかもしれないんだ」
「浮気?」
ここ最近の熊岸刑事といえば、裸コートの死体に、浴槽で感電死した死体の二つの殺人事件で忙しくしていた。そのため、浮気をするような時間もない。
裸コートの死体は夜中に見つかったため、夜、家にいないということもあるが、それも仕事のためしょうがないだろう。
「どうして、浮気を疑われていると?」
「妻が電話で誰かと話しているのを聞いたんだ。その時に浮気と言っていた。探偵とも言っていた……もしかしたら、この前の鍋パーティーが原因かもしれない」
「……」
鍋パーティーと言い出したのは、俺だ。
やはり、どう考えても熊岸刑事のような硬派な愛妻家の男がいきなり「鍋パーティーに行く」と言うのは怪しかったか。
もしかして、熊岸刑事が浮気を疑われているのは俺のせいか。
「しかし、それだけで本当に浮気だと疑われているわけでは……」
「俺も最初はそう思ったんだ。しかし、妻は、砂橋の名刺を持っていた」
「……」
砂橋の名刺となると、砂橋が探偵事務所セレストの職員として持ち歩いている名刺のことだろう。浮気と探偵という言葉だけでも浮気を疑われているのではと思わずにはいられないが、実際熊岸刑事は浮気をしていない。だから「浮気はなかった」で終わるはずなのだが、砂橋がいるとなると話は別だ。
「あいつが俺の妻から浮気の調査依頼を受けて、余計なことを話さないと思うか?」
「さすがの砂橋でも仕事はきちんと……」
どうしようもなく不安だ。
砂橋が今まで仕事を放って自分の欲望のままに場を引っ掻き回すことは一度もなかった。だから、仕事についてはまだ信用できる。信用できないのは仕事をこなした状態で場を引っ掻き回す場合だ。
「だから、俺と一緒に妻と砂橋のことを尾行してほしい」
「さすがに砂橋への尾行は……」
砂橋は探偵事務所に勤務している。さすがに本職の人間を俺みたいな人間が尾行すればすぐにバレてしまうだろう。熊岸刑事は警察だから尾行もできるとは思うが。
俺が渋っていると熊岸刑事は真剣な表情をしながら、俺の肩を掴んだ。
「俺が今の状態で最悪だと思っているシナリオはこうだ」
その真剣な表情に俺は口の中にあった唾を呑み込んだ。
「妻がファンをしている弾正先生と俺に付き合いがあると砂橋が妻にリークすることだ」
「尾行、しよう」
知り合いの妻に俺の存在をばらされるのは看過できない。
「妻と砂橋はどうやら明日の十四時頃にこの店で落ち合うらしい」
熊岸刑事は走り書きのようなメモを一枚、俺に見せた。
そのメモに文字は書かれていなかったが、鉛筆により、黒に塗りつぶされ、へこんでいた部分だけが鉛筆の炭がつかずに文字が浮き出ている。このメモ用紙の上にあったメモに書かれた文字が浮き出ているのだろう。
「これは……」
「妻が家の固定電話から砂橋に連絡をしていた時にとっていたメモだ」
固定電話で探偵に浮気調査の依頼をするか?
「それ、本当に浮気を疑われてるのか……?」




