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「……神父さんではないんですか?」

「横内英二は感電死した」


 砂橋は答えないまま、事件の話をし始めた。

 ミサと呼ばれた向こう側の男性が懺悔室を出て行かないのを確認して、砂橋は言葉を続ける。


「湯を貯めた風呂に入っていたのは、スーツ姿の横内英二と、長髪のウィッグと、服などでよく使われるゴム紐」


 めぼしいものを挙げろと言われても、どれも気になるものだと言えるだろう。ジャケットを着たまま風呂に浸かるのも気になるし、ウィッグの存在は異常で気になるし、何故ゴム紐があったのかも気になる。


 どれもこれも偶然だと言ってしまえば、それまでだが、一度目をつければ、どこまでも異常だ。


「まず、端が焦げていた白いゴム紐のことだけど、いくら感電したとはいえ、水の中にあったものが焦げるなんてことはない。焦げた時、ゴム紐はお湯にない場所にあったんだ」


 当然、焦げたとなると、ゴム紐を焦がしたものが必要となるが、あのバスルームにあって、物を焦がすことができたものは一つしかない、感電死の原因となったヘアアイロンだ。


「あのバスルームには洗濯物を乾かせるように湯舟の真上に物干し竿が設置されてたね。そこにゴム紐を結ぶ。落ちないように結び目はきつくして、だけど、ヘアアイロンでしっかり挟んでも落ちないようにするぐらいはたゆませて……」


 砂橋の説明を、昨日見たバスルームの様子に当てはめていく。


 まず、湯舟の真上に位置している棒にゴム紐を結び、洗面所のコンセントに繋いだヘアアイロンでそのゴム紐を挟む。

 そして、電源を入れれば、いつかヘアアイロンはゴム紐を焼き切って湯舟へと落下するだろう。

 その結果、貯められたお湯にヘアアイロンは落ち、感電する。


 自殺だろうが、殺人だろうが成立する感電死のための仕掛けはこれで完成する。


「睡眠薬がアパートの部屋から発見されてたから、眠らせたのかな」


 向こうにいる人間は返事をしなかった。それならそれでいいと砂橋は他の話題を振る。


「実際、隠し通すなんて無理な話だと思うよ。だって、司法解剖の結果、睡眠薬を摂取してたってバレたら、せっかく君たちが作ったアリバイもダメになっちゃうしね」


 君たち、アリバイ。


 ということはやはり、この向こうにいるのは、死んだ横内英二の兄か弟ということになるのか。彼らはパンケーキを食べに店を訪れていた。横内英二が死んだと思われている時間に彼らはアパートにいなかったことになるが、先ほどの仕掛けを使えば、彼らがアパートを出て、しばらくした後にヘアアイロンが湯に落ちて、感電死することになる。


 スマホのアラームが鳴った現象については、いくらでも考えられる。


 ゴム紐の結び目の端を長くして、その先をスマホに繋いでおけば、ゴム紐が落ちたと同時にスマホも高い場所から落ちて、緊急アラームを鳴らせることが可能だ。

 しかし、それを可能にするためには、この事件の犯人が二人いないといけない。


「どっちが殺そうって言い出したの」

「……殺そうと言い出したのは、進一兄さんです」


 壁の向こうにいるのは、三男の歳三だ。

 彼がミサだったのだ。


「でも、兄さんに言われて仕掛けを作ったのは、僕です。英二兄さんがいれば、僕の生活が全部壊れてしまうと思って……」

「最初から殺すつもりで兄のことを呼び出したの?」

「それは、違います!」


 歳三が台に手をついて、前のめりになったのか、個室が揺れる。


「違うんです……僕はただ……自分が女性であることをちゃんと告白しようと思っただけなんです」


 悲痛な言葉に歳三が現場で言っていた言葉を思い出した。


『僕たちの両親は頭の固い人達ですから……兄も生きにくかったんでしょうね……。だから、両親にはなにも言わずに兄弟である僕たちに話したんでしょうけど、受け入れてくれなかったから……』


 受け入れてくれなかった、という言葉を使うのは、受け入れてもらえなかった側だ。受け入れなかった人間が使う言葉ではない。


 彼はずっと言っていたのだ。

 兄が自分のことを受け入れてくれなかったと。


「英二兄さんが言ったんです……頭がおかしい、精神病院に入った方がいいって、家族の恥だから両親にも言うって……僕は、おかしくなんてないのに……」


 受け入れないのであれば、放っておいてくれと彼は思っただろう。そうであれば、お互い近づかない程度で済むはずだ。しかし、次男の英二は彼の人格を否定し、病院を勧め、周りの人間に言いふらそうとした。

 家族に完全否定された彼の気持ちは計り知れない。


「頭が真っ白になって……でも、その時に、英二兄さんがうとうととし始めて、ついには眠っちゃって……そしたら、進一兄さんが殺そうって……」

「君があのアパートの本当の借主で、君が兄二人を呼び出した」

「……はい」

「そして、横内英二は飲み物を飲んだ。その飲み物を入れたのは長男?」

「そうです」


 英二が眠ったということは、進一がいれた飲み物に睡眠薬がいれられていたのだろう。歳三が突発的な殺人を行う理由はあるが、進一はどうだ。睡眠薬で英二のことを眠らせたとなると、彼は英二が歳三を受け入れないと宣言する前から、英二のことを眠らせるつもりだったのだ。

 そして、進一が英二を殺すことを歳三に持ちかけた。

 この場合、主犯はどちらだろうか。

 最初から英二を殺そうとしていた進一の方か、それとも進一に言われるがまま、仕掛けを作り、英二を死なせてしまった歳三か。


「ウィッグを被せたのは君?」

「……いいえ、僕は仕掛けを作っただけで……でも、進一兄さんが自殺に見せかけるためにはあの部屋の持ち主が英二兄さんだと思わせないといけないって言い出して、眠ったままの英二兄さんの頭にあれを被せたんです」


 砂橋は顎に手を当てて、俺の顔を見上げてきた。

 小説に出てきたシーンを再現したのは、横内進一だ。しかし、今はそんなことはどうでもいい。


「どうするつもり? 自首する?」

「……僕が自首をしたら、兄さんも捕まるんですか?」

「自首してもしなくても捕まるよ」


 砂橋ははっきりと言い切った。


「睡眠薬が検出される。もっと詳しく調べられる。いくら君たち兄弟の背丈が全員百七十後半といったところでミサとして他の人と会っていたのは君だし、顔つきも違うから聞き込みをすれば、死んだのがミサじゃないってすぐにバレる」


 死んだ英二も他二人も身長はほとんど一緒らしい。背丈では区別できないが顔つきは微妙に違う。親しい者が見れば、違いなど一目瞭然だろう。


「それに、水に落ちたからって指紋は消えないんだよ」

「……」


 ヘアアイロンを使っていたのは、あの部屋の本当の借主である歳三であり、感電死の仕掛けを作ったのも歳三だ。指紋の照合をすれば、ヘアアイロンに一度も英二が触っていないということは分かる。


 使われた凶器に指紋が残っている時点で、逃げ場はない。


「そして、証拠品の写真の中に映ってるの見たけど、君、睡眠薬飲んだことないでしょ」

「……処方されましたけど、あっちのアパートで寝ることはなかったので」

「つまり新品の睡眠薬を開けたのは、長男だってわけだ。分かる? もう逃げ場はないんだよ。警察の手を煩わせる前にさっさと自首しなよ」

「……はい」


 押し殺したような嗚咽が向こう側から聞こえる。

 罪に押しつぶされそうになっている彼の嗚咽に、砂橋の言葉が頭をよぎった。


『死体を早く見つけてほしかったんじゃない?』


 死体を早く見つけてもらわないとアリバイが成り立たない。だから、鍵をかけることができなかった。

 そもそも、歳三が部屋の借主だとバレてはいけないため、鍵を使えない。外から鍵をかけることができないから、必然的に鍵がかかっていない状態ができた。

 そして、なによりも、彼は早く自分の肩に乗った罪から解放されたかったのだ。


「ポーチは牧野神父に渡しておくから。いつか取りに来るといいよ」


 砂橋はそう言うと、ポーチを手にして、俺に視線を送った。もう懺悔室から出るからどけと言いたいのだろう。慌てて、扉を開けて、外に出る。

 砂橋が牧野神父を呼びに行ったのか、トイレへと向かい、俺は歳三のことが気になって、懺悔室の入り口を離れたところから見ていた。

 教会の長椅子には、懺悔室の方へのちらちらと視線を向ける由加里がいた。


「ミサさん!」


 しばらくして、懺悔室から出てきた歳三は長髪のウィッグも、女物の服もメイクもない、男性の姿をしていたが、そんな彼に由加里は駆け寄った。


 駆け寄ってきた由加里に歳三はぎょっとしたが、すぐに目元の涙を拭った。


「ポーチ、気に入った?」

「う、うん……リボンが可愛かったよ……ありがとう……」

「よかったぁ。じゃあ、これからたくさん使ってね!」

「えっと……ごめん、しばらくは、たぶん無理で……」

「え? どうして?」


 由加里が眉尻を下げる。

 彼女に嘘をついて、大切に使うと言うことも歳三にはできただろう。しかし、彼は口を開いた。


「罪を、犯したから……償わないといけないんだ。だから、その罪を償うまで、神父に預かってもらうことになって」


 歳三の言葉が尻すぼみになっていく。

 仲がいい少女に自分の罪を話すのは、易々とできることではないだろう。例え、その罪が殺人だと伝えなくとも、彼の心は押しつぶされそうになっているに違いない。


「罪……?」


 泣き出すのを堪えるような彼の表情から、由加里は彼の言う罪が軽くはないことを感じ取ったのだろう。堪える彼の代わりに彼女は涙を流した。


「大丈夫……大丈夫だよ、ミサさん! 善行すれば、赦されるって言うでしょ? だから、大丈夫……罪を償ったら、また私とお喋りしよ!」

「お喋り……」

「私は引っ越すからもうここには来ないけど、ポーチの中に私の新しい住所、書いて入れておいたから……だから、文通しよ!」

「……うん」


 涙を袖で押さえる彼の背をさすりながら、由加里は彼に連れ添うようにして、教会を出た。


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