人間は0と1の間に0.5があるって言いたい
オラ、アミーゴ!
三屋城衣智子です!
皆さんは、コンピューターの中身が0と1でできてるって話、知っていますか?
え、詳しく知っている?
素晴らしい!!
私はよく知りません。
今日はそんな、0か1かしか知らない、っていう考えぶっ壊しちゃるぜ、おまんら、覚悟しいや!!
というお話。
さて、いつもの如くまず用語を調べてみよー!
引用始め――――――――
二進法とは、二を底(てい、基(base)とも)として、底の冪の和で数を表現する方法である。
英語でバイナリ (binary) というが、これはラテン語「binarius」に由来する語で、「binary」と「binarius」は本来「二個一組」「二つから成る」を意味する語である(用例:バイナリ空間分割)。
引用終わり―――――――― 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より
ウン、ナニヲイッテイルカガワカラナイ、ヨ。
と、とにかく0と1で表す方法があるってことだ、よね??
ごめんインテリぶれない。
さーいってみよー(ごまかした)
結論として。
『自分が悪いか相手が悪いかで語るんじゃねー!!!!』
おまいさんには、
「ちょっとした思い込みや、確認もれですれ違った経験が、ないんかい??」
と言いたい。
脳機能的に備わってない場合は、勿論除く。
そこに気づいてないならば、しょうがない。
オーケー?
けど、うっすら気づいてる人よ、少しずつでもいい、経験の積み重ねや知識の習得はできないのかい?
見て見ぬ振りは、していないかい?
見て見ぬ振りしていないなら、周りへはきちんと自分の状態と考えを言葉で知らせているかい?
知らせていないならば、周りは気付けないんだ、気付きたくても気付けない。
そのことを、意識したことがあるかい?
色々な人と話すと、時々相手か自分か、と言った話をする方がいます。
それもありっちゃありです。
何故か?
勝負するならば、結果は相手か自分かだからです。
ただ、これを何にでも当てはめている人がいる。
私はそう考えています。
けど思うのです。
集団で行動したり、一緒に末長く暮らしていく場合、そのメンバー達は戦わねばならぬ相手なのでしょうか?
倒すべき、敵でしょうか?
間に挟める、何かはありませんか?
レタスでもハムでもトマトでも良いです。
私はベーコンとタマゴの挟まったホットサンドが好きです(どうでもいい)
議論大いにすべき! です。
家屋会議? 素晴らしい!
けれどやるならば、相手と自分との間に、橋を渡すべく、妥協でなく、打倒でもなく。
『妥当点』の0.5
これを探す話が、したいなって個人的に思います。
相手が話す「こう思っている」
自分が話す「こう思っている」
その間にある溝の中に、色々な手立て、先人達が気づいた知恵、総動員したら、なんとか一本でも蜘蛛の糸がかかる気がしませんか?
え、しない??
そんな人も、いるよねぇ。
え、蜘蛛の糸じゃ細すぎる?
まずはそこからです。
知って知られて、相互理解ができそうな手応え、それがあるかどうか……とは個人の感想です。
あ、ない場合?
ケースバイケースで、逃げるかタイマンはるか決めましょう!!☆きらっ
やり切ると、諦めもつきます!!
最初っから諦めて逃げる方がハッピーな場合もあります!!
多分ね。
この方法は保証の限りではありません。
用法ヨウリョウヲマモッテ、ジコセキニント、マワリノ、サポートデ、ガンバリマ、ショ、ウ。
カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ