三十一話 痛みの記憶①
『何故、お前のような奴が生まれてきたんだ?』
それが、父親らしき人物が、毎日のように口にしていた言葉だった。
この世界の人間は、『スキル』と『魔術』、どちらかを持つ人間がほとんどだ。それはもはや、人にとって、手足であり、身体の一部。優秀かそうではないか、という違いはあるものの、しかし必ず誰もが何かしらの能力を持って生まれてくる。
それが普通。
それが当たり前。
そして、だからこそ、そういう普通であり、当たり前のものを持っていない存在というのは、周囲から奇異な目で見られるものだった。
『あっ、無能がやってきたぞ!!』
『あっち行けよな無能!!』
『こっちまでスキルがなくなるだろ!!』
子供というのは無邪気だ。だからこそ、平気で相手を傷つけることができる。
これがもしも、言葉だけの問題なら、まだ幾分かマシだったのかもしれない。
だが、当時の彼らにとって、無能者は気持ちの悪い虫と同じ存在。見た目は自分たちと同じだが、しかし本質的には全く違うものだと捉えていたのだ。
自分たちとは違うもの。だから、気色が悪いし、近づきたくない。
だからこそ、実力行使にうって出る者も少なくはなかった。
まぁ、ようするに、石や泥を投げて、追い返そうとしていたわけだ。
『っ……、』
泥だけならまだいい。洗えば汚れを落とすことができる。
だが、流石に石は体に堪えた。我慢することは簡単だ。慣れている。だが、傷ができてしまえば、作業に影響が出てしまう。そして、治る日数もそれなりにかかってしまうため、厄介だった。
だが、それが分かっていながら、無能者は何もしない。
やり返さない、だけではない。避けることすらしないのだ。何故か? それは、避ければ余計に攻撃の手が増すから。十個で済んでいたはずのところを、一度よけたせいで、それが三十、四十となってしまうのであれば、最初からわざわざ避けなければいい。
何より、反抗的な態度をみせれば、追い打ちをかけてくるのが、子供だけではなくなってしまう。
『見ろよ。無能がまた歩いてるぞ』
『おい馬鹿。わざわざ教えるなよ。視界に入っちまったじゃねぇか』
『何でも見ただけでも相手を不幸にするとかって話だよな』
『ったく、ホントいい迷惑な話だよ。あの疫病神』
子供たちと大差ない内容の話を、大人たちもしている。それもそうだろう。子供がああいう風に育つようにしたのは、親たちなのだから。蛙の子は蛙、とはよく言ったものである。
そして、無能者が何もしないのは、彼らの存在があるからだ。
子供相手ならば、反撃や抵抗もできるかもしれない。数の違いはあれど、それでも工夫をすれば何とかなるかもしれない。
けれど、それをしてしまえば、今度は親たちからの報復が待っている。
子供は物理的なやり口で攻めてくるが、これが大人になれば、もっと陰湿だ。彼らに本気でここから出て行くようにされてしまえば、それに抗う手段はない。そうなれば、本当に出て行くしかなくなってしまい、自分たちは本当に飢え死にをしてしまう。
だからこそ、どんなに理不尽だろうが、耐え忍ぶ他ないのだ。
無論、それは村の中だけのことではない。
『くそ……お前さえ、お前さえ生まれなければ……こんなことには……』
毎日毎日、ぐちぐちと暴言を吐き続ける父親。彼もまた、村の人間たちから「無能者」を生み出した存在として忌み嫌われている。
『俺はお前と違って、無能じゃないのに……どうしてなんだ。どうしてお前は、そんななんだよ……』
その言葉に、しかし何も返さない。
まともに会話をするのはほとんどない。すれば、喋るな、反論するな、口を動かすな、と何かしらの理由をつけて拳や蹴りが飛んでくるから。
村の中、家の中でも無能者に安らぎの場所などない。
ただただ罵倒され、忌避され、暴力を受ける毎日。
それが普通。
それが当たり前。
何故、ここから逃げ出さないのか、という問いに対しては、恐らく今の二つが答えだろう。無能者にとっての世界というのは否定と暴力。自分を受け入れてくれる者は存在せず、ただただ毎日、痛みと共に生きていく。
そこに絶望はない。
だってそうだろう?
最初から希望がなければ、絶望する、なんてことは絶対にないのだから。
希望があるから人は絶望する、と誰かが言っていたが、それは本当だ。最初から何も知らなければ、失う悲しさなんてものはないのだから。
……けれども。
それでも、不意に思うことはある。
もしも、ここから出て行くことができれば。
もしも、ここではないどこかに行くことができれば。
自分は、今とは違うように過ごせるのだろうか。
自分は……幸せになれるのであろうか、と。
無論、考えるだけで、実行はしない。そんな気力など、とうの昔にへし折られているのだから。
けれども。
『―――その娘、いくらで売ってくれるだろうか』
その一言で、無能者――――フールは、村を出て行くことになったのだった。